コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2011年04月10日

30年

私の姪が今年札幌の大学に入った。入学式からまだ一週間も経たない時期ではあるのだが、昨日室蘭宅に来て、私の両親共々昼食が外食であったことから少々話をした中から、今朝のテーマを思いついた次第。

そう私が大学に入ったのは今から丁度30年前であり、当時と今を比較してみようかと。


*部屋-昔は賄いつきの下宿が当たり前ではあったのだが、現在ではワンルームマンションが主流である。勿論下宿が絶滅したわけではないのだがね。下宿は当然に水周りは共同であるのだが、当時購入した洗面用桶は現在でも使用中という物持ちがよいことではある。
*電話-昔は当然に自前ではなく、呼び出し式であった。掛ける時は勿論公衆電話ではあるが、料金はまだ高いままであったような。ちなみにテレホンカードは出始めの頃であり、100度数には当初おまけ分が無かった、ということも知っている人は少ないのだろうな。現在では当然に携帯電話を持っていて当たり前であるから、公衆電話を掛ける機会すら稀なのだろうね。
*PC-昔はあったにせよ当然に高価である。いや大学にようやく大きなものが入りだした程度の時代で、現在こうして使用している機種よりも相当レベルが低いにも関わらず、使用の際は要注意であった時代ではある。ちなみに今では新品でお目にかかれないワープロはようやく個人レベルで買えるかどうかくらいの時期で、学生が個人レベルで買おうものなら大騒ぎしたものでもある。
*TV-昔は当然に地デジも無かったわけだが、アナログにしてもリモコン式ではなかったような。まあ個人レベルで小型タイプは買えたものではあった。現在は勿論これから購入するのであれば、地デジ対応しかありえないわけで。ちなみに録画関係で言えば、ビデオデッキはあったものの、学生レベルでは普通に買えた時代ではない。私が購入したのは社会人になってからである。


ところで30年前の4月といえば、室蘭にとっては大きな変化があったときでもある。それは市内大型店3点同時開店という、現在では有りえないような出来事であって。

その3店とは、丸井今井室蘭店、室蘭ショッピングセンター桐屋、長崎屋室蘭中央店であるのだが、それぞれに特に昨今は大きな動きもあったので、ついでに書いてしまおう、と。

丸井今井は承知の通り昨年1月に閉店した。現在取り壊しの最中で、跡地にはヤマダ電機ができる。移転前の建物は現在も改装して室蘭プリンスホテルとして存在しているのだから、皮肉なものでもありますな。ちなみに先述した洗面関係の道具は布団等とともに中央町にあった時代の店の閉店セールで購入したものではあります。
桐屋はもともとは輪西あった衣料品店であった。これが移転の際総合ショッピングセンター化したのであるが、当時ニチイ系列でありながら店名には採用していなかったのだな。その後室蘭サティ、ポスフール室蘭店と名前を変え、今年3月からはイオン室蘭店ではある。最も登別にもあることから、現在でも区別するために桐屋の方が通りはいい。
長崎屋は経営母体自体の変遷が大きいのだが、何度も閉店の危機を超えてきた経緯がある。こと側に市立病院が移転してきたことは大きかったのだが、来年1月末での閉店が現在の経営母体であるドン・キホーテグループから発表されているので、そのままで行けば蘭西地区にとっては痛手が大きいともいえる。


ついでに言えば、室蘭新道も完成して30年の節目の年ではある。ウイキにもあるように道内初の自動車専用道路であり、かつ無料であることも全国初である(当初は料金を取る話もあったのだが、ついぞ料金所は作られなかった)。


とまあ、関心の無い向きには取るに足らないことを長々と書いてしまいましたとさ。

室蘭新道の中央町-新富町間の片側3車線が完成したのも大学進学後のことだったものだから、夏休みに始めて帰省した際には大きな驚きがあったのも、今にしてみれば懐かしいことではあります。

posted by akira37 |06:29 | 室蘭 | コメント(1) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:30年

そんな昔からテレビっ子だったんですね^^

posted by 五味| 2011-04-10 17:15

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