コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2015年10月29日

『運命共同体』その後

1月のプレビューパーティーで、ステージ上の選手たちが一文字ずつ書いた文字を並べると
『運命共同体』というひとつの言葉になった。
選手だけではなく、チームに関わるすべての人が運命共同体といった内容だったと思う。
運命共同体という言葉をささっと調べてみると、こんな風に出ている。

所属する人が、繁栄するときも衰亡するときも運命をともにする組織や団体。
(goo辞書より)

"繁栄するとき"はもちろんのこと、"衰亡するとき"も運命をともにすることなのだそうだ。
プレビューパーティーの時の自分のブログを振り返ってみると、こんな風に書いていた。

>良い時に一緒に笑うのは簡単。でも『運命共同体』っていうのはそれだけじゃない。
>良くない時に一緒に我慢して戦うことも大切。そうやって一年間共に闘って行こう。

衰亡してしまっては困るけれど、良い時も良くない時もともに闘おうと。
それは良くない状況になった時にチームやクラブだけに責任を求めることでも、
試合の戦犯を探すことでも、高いところから他人事のように批判をすることでもないはずだと。
運命をともにするということは、サポーターだってその中のひとつであるということだと。
私は、今季はそういう年なのだと思っていたのだった。

こういったことは、シーズンがはじまる期待にあふれた時期には覚悟したつもりになれるのだけど
状況が劣勢になっていくとどうしても忘れてハタから見た他人側にまわってしまいがち。
シーズンが終わる最後の最後まで同じ気持ちを持ち続けることは簡単ではない。
けれど、強い意志を持って続けることが大切なんじゃないだろうか。
それができなければ結局いつまで経っても毎年同じことの繰り返しになってしまう。

フラチナリズムも「共に戦おう 共に叫ぼう 勝利のために」と歌っている。
残り4試合、そのうちの3試合をせっかくホームでできるのだ。
悲壮感を抱えた雰囲気を持ち込んでも良い結果は得られないだろう。
あらためてシーズンがはじまるあの頃のことを思い出して、勝利を信じて闘っていきたい。

posted by ひとみ |23:12 | コンサ徒然 | コメント(4) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:『運命共同体』その後

所属じゃなく帰属ですね。
これは強制するわけにはいかないけど、それを自発的に持つ人がドンだけいるかでクラブの底力が分かろうというもの。
こっちだって、現場やフロントに対するアーだコーだが全く無いわけじゃないですよ。
言って全体のためになるなら言いますが、自分の怒りを鎮めるためワザワザ公共の場で文字にするのはどうなのかって。
誰にも見せない日記にでも書いとけばいい。読み返して己の未熟を知るためには良い習慣になります。

1サッカークラブだけじゃなく地域に関わる問題だとまで考えて久しいのですが、サッカー観は人生観、世界観に通じると確信してるからです。

「北海道から世界へ」は現場にとっては文字通りの目標ですが、自分らにとっては更に頭を大きく使い掴み取る価値観のことではないかと思うんです。

そんなことより今をどーすんだと突っ込まれたら、「だ~からプロの現場が必死にやってるって。諦めてるわけないだろ」とやり返すのみでありまーす。
残り4試合にやり甲斐あり!

posted by owls| 2015-10-30 11:46

Re:『運命共同体』その後

ひとみさん、こんにちはー。
今日も心に訴えかけるタイトルだったので、私にもコメントさせて下さい (^^)

今日はコンサドーレが私の「運命共同体」となったエピソードの紹介です。
それは厚別にコンサの応援に行った時のことです。昇格争いをしているさなかでしたが、残念ながらその試合には負けてしまいました。試合後に挨拶周りをしている選手達をみると、目は真っ赤で遠目には悔し涙がにじんでいるようでした。
当時、多くの困難のため仕事に行き詰まりを感じていた自分でしたが、一つのことに全力を尽くし負けても次戦に立ち向かう彼らの姿をみて、勇気をもらったことを記憶しています。その後、私が多くの困難を乗り越えることができたのも彼らのおかげだと感謝しています。
もちろん昇格は大きな目標です。しかし、それだけがクラブの存在意義ではないはずです。人生の転機がどこに転がっているのか、それは過ぎ去ってからでないと気がつかないように、次の千葉戦が、選手、チーム、あるいは一人のサポーターの運命を変える日になるかもしれません。無駄な試合など1試合もないのです。自分が選手達の戦う姿に助けられた様に、チームが苦しい時ほど共に戦っていきたいと思います。

posted by パパコロ| 2015-10-30 15:32

Re:『運命共同体』その後

初めて行ったコンサの試合がフリューゲルス戦でした。
サッカーのさの字も知らない私、試合後通路でずっとフリューゲルスの名を呼んでいた若い男性の姿が強烈に記憶に残っています。
その何年も後、当時のフリューゲルスサポが全ての試合に行くため正社員にもかかわらずアルバイトをしていたことや、解散の後のどうする事もできない無力感を綴った記事を新聞で読みました。
コンサに浸かった今は他人事ではなくなりました。

あの時通路にいた人達、今は応援するクラブはあるんだろうかと時々考えてしまいます。

「クラブが生き延びること」ができなければJ1も世界もへちまもないから泣いたり笑ったりお金の心配したりぶーたれたりしながらそれでも一緒に歩むのよ~♪って運命共同体はどこいったんや!?

posted by さくら| 2015-10-30 22:58

コメントありがとうございます。

>>owlsさんへ

そうそう、あーだこーだがまったくないわけではないんです。
オンライン上で語らないだけで色々言いたいことはあるわけですよね。
それこそ居酒屋の愚痴レベルから、クラブに伝えたいレベルの建設的な意見も。
いつでも自分の意見を主張すれば良いわけではない、という典型ではないかなと。
勝ったから「試合に行こう」、まけたから「もう行かない」、それでもいいんですけど
チームがもう一段階上のレベルに行くにはみんながこうではいけないんじゃないかと思います。

ブレずに気持ちを持ち続けるというのは簡単ではないですが、
簡単ではないからこそそのレベルに達しているクラブは強くなれるのだろうなぁと。
やっていることは目の前の一戦一戦ですが、世界観としてはもっと大きなものなんですよね。
如何にちっちゃくならずにそこへ向かえるか。

「諦めたら試合終了」とはよく聞きますが、これほんとうですね。
諦めているチームは偶然勝つことなんてあり得ません。
勝ちを狙わなければまず間違いなく勝つことなんてできません。
選手見てればわかるだろって思うんですけどねぇ。わかる人が増えてほしいなぁ。

>>パパコロさんへ

こんばんはー。
訴えにコメントありがとうございます!感動しました...!

誰もがきっとこうして、パパコロさんのように
コンサドーレを支えたいと思ったきっかけがあったのだと思います。
勇気をもらったり、元気をもらったり、前を向く気持ちをもらったりして、
だからこそ今度はこっちが勇気を、元気を、前を向く力をあげたいと。
でもだんだんと欲が出てきて、ついつい忘れがちになってしまうんだろうなぁと。
自分以外の何かをこうして生きがいとできる私たちはほんとうに幸せですね。

目標を達成してもしなくても、社長や監督に責任を求める人は出てくるでしょう。
もちろん目標を立てたからにはその結果の検証は必要ですが、
そこばかりに目が行ってしまっていてはなんだか結局ただの繰り返しだと感じるのです。
『運命共同体』は選手たちが一丸となって戦うというだけの意味ではなかったはずですものね。
千葉戦はなんとか勝ちました。またすぐ次が来ます。頑張っていきましょう!

>>さくらさんへ

そのフリューゲルスサポに思いを寄せてじんわりコメントを読んでいたのに最後...!笑
いやでもほんとうに、そのサポーターたちは今どこかを応援していたりするのでしょうかねぇ。
じゃあマリノスを、っていうわけにはいかないことは他サポだってよくわかります。
時が経てば気持ちが変わることはあるかもしれないけれど、その哀しみは癒されないだろうなぁ。
応援しているチームはもう私たちの生活の一部なので、
もしもこれがなくなったらと思うと想像を絶する世界で恐ろしいです。
成績ももちろん大事ですが、スポンサー増やしたりしているクラブはもっと評価されるべきです。

運命をともにするということは、まさにこういうことなんだろうなと思います。
おっ、ちゃんと運命共同体に繋がりましたね♪

posted by ひとみ| 2015-11-02 00:02

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