コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2018年09月15日

自意識過剰な応援で

6年ぶり3度め(甲子園出場回数風)の7失点。
「でも前回の7失点よりも絶望的ではない」、なんて言えるほどには
大敗経験が豊富なコンサドーレサポーターでもある。
他チームにはないであろう誇れるところだ(誇れない)。

まけても勝っても地震のことを言われるだろうとは思っていたけど、
言い訳にはしたくなかったし、でもやっぱり影響はあっただろうと思わさる。
「選手たちは北海道のためにと気を張っていたぶん、自分たちにがっかりしたのでは」
と言っている人がいて、なるほどそうかもしれないなあと思った。
「いつもどおりがんばる」には、まだパワーがすくなかったのだろうな。
他人を元気づけるためには、自分がまず元気でなくてはいけないというのをあらためて感じる。

いつだったか、芳賀ちゃんが怪我でずっと試合に出られなかったとき。
たぶんそれこそ2012年だったと思うけど、純平に対して
「試合で負けることができて羨ましい」と言っていたのを思い出す。
怪我で試合に出られなければ、まける試合に立ち会うこともできない。
勝敗云々だけではなく当たり前にサッカーができる日常、というものを今回の地震で感じた。
まけることができるのもサッカーができる日常があるからこそ。
と、一見ポジティブっぽく書くことができるくらいにはメンタルが鍛えられている。

現地の応援について褒めてくれているサポーターの声があるけれど、
私たちのまわりは声を出したり手拍子をしたりで応援をしない人ばかりのエリアだったので、
(2階席は立ち見禁止なので立っての応援はできない)そんなにすごかったとは思えない。
失点するたびニヤニヤしてふざけたり、試合中ずーっとネガティブな罵声をとばしたり。
手拍子もしない人ばかりだったし、途中で帰った人もけっこういた。
試合後にブーイングをしていた人もいた。
当たり前だけどみんなが最後まで力強く応援できていたわけではない。
もちろん、勝っているからと気軽な気持ちで来た人もいただろうし、
応援スタイルはそれぞれだから「みんなが90分声出して手拍子しろ」とは言わない。
でも、悔しくてもぐっとこらえて最後まで応援し続けた人にはきっと
ただただ怒りをぶつけるだけとはちがう景色が見えていたことと思う。実際私はそうだった。
試合結果にふりまわされているうちは、応援ではなくただのリアクションだ。
「流れを自分たちで引き寄せる」というくらい自意識過剰な人をひとりでも多く増やして、
強い気持ちで応援できるサポーターが増えるといいなと思う。

川崎は強かった。ミスをいっこも見逃してくれない。
チャナに必ず複数人ついていたり、宮澤のパスまで読まれていたのがわかったときには
強いチームが強くあるべき準備力というか、したたかさを感じたのだった。
そういうチームに対しても超攻撃的サッカーをし続けるほうがいいのか?論が
出てきそうだけど、答えはひとつ「続けていく」なのだ。
どんな結果になろうともチャレンジを続ける。それがコンサの生きる道。

現地組はいろんな思いをしただろうけど、私は現地でよかったと思っている。
久しぶりに『俺たちの街の誇り』を歌えたのも楽しかったな。

posted by ひとみ |23:54 | 試合観戦 | コメント(5) | トラックバック(0)