2012年08月20日
孤独な選手たち
チャンスが訪れたりゴールが入ったあとは、スタジアムの雰囲気が最高に良くなる。 スタジアムの雰囲気が良くなると選手も頑張ってくれる。 それが上手いこと結果に繋がると、仙台戦のようなことが起こるんだろうなぁと思う。 試合は相手があることだから、いつでも気持ちでなんとかなるわけではない。 負けることだってある(←負けてばっかり、と言ってはいけない)。 でも選手が頑張ったことで応援が大きくなっていくのって あくまでプレーに対してのリアクションでしかないのではないかと感じている。 それは選手の後押しと言えるか。うん、言える。けれど選手をリードするには至っていない。 仙台戦は10,000人ちょいの来場者数が凄まじい雰囲気をつくった。 もし劣勢時や失点のあとにあの雰囲気をつくることができれば、 下を向く選手なんてひとりも出てこないんじゃないかと思う。 きつい時に気持ちが落ちてしまうのは誰だって同じだ。 そこで気持ちのままに任せてしまうか、なにくそと声を出すかの違い。 あぁもう本当につらいとなると、そのへんに寝転がりたくなってしまう(私だけかも?)。 それでも選手はまだ走っている。 きっと応援の声が途端に小さくなったり消えたりするのを、 一番ダイレクトに感じているのは選手のはず。 さっきまで味方だった人に、途端に裏切られたような気持ちになってはいないだろうか。 以前マイクがインタビューで「サッカー選手は孤独だ」というようなことを言っていた。 結果を出さなければ相手にされない的な意味で使っていたのだけど、 もし試合の劣勢時に選手がそう感じていたら、こんなに哀しいことはない。 「自分は結局孤独なのか」と選手に思わせて何がサポーターだろう。 つらい時、苦しい時に味方になってこそのサポーター。個人的にはそう思う。 先日の神戸戦では、8,117人の来場者数があった。 その前の厚別は名古屋戦で、こちらも8,360人と成績のわりにはそこそこの集客。 何が理由かはわからないけれど、このような状況でも後押しをしようと足を運ぶ人がいる。 ならば試合中も、あと少しの後押しができないだろうか。 ずっと立って、ずっと跳んで、ずっと声を出して、ずっと手拍子をしようというお話ではなく。 あと少し、もう少し、いつもよりちょっと頑張って応援してみたら 何か変わるんじゃないかと思う。自分たちで変えられるんじゃないかと。 リアクションでは"観戦"止まり。"参戦"するからには応援はアクションでありたい。
posted by ひとみ |23:24 | コンサ徒然 | コメント(4) | トラックバック(0)