コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2016年12月10日

宮澤裕樹とともに10年

このエントリーは『北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2016』に参加しています。
アドベントカレンダーというと、クリスマスまでの日にちを数えながら
お菓子カレンダーの窓を開けていくものが有名ですね。石屋製菓でも売っていましたね。
『北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2016』はコンサドーレに関するあれこれを
いろんな人がいろんな視点で書いていくもの、ということです。私は本日10日に参加しました。

で、10日なので、背番号10宮澤キャプテンについて過去に書いたブログをあげようと思ったのだけど
自分のブログを振り返っていたら宮澤について書いているエントリーが結構な量だったので。笑
過去エントリーを載せるのではなく、それらをまとめることにしました。
宮澤裕樹が高卒で入団した時から、今季キャプテンとして昇格するまでを個人視点でざっくり書きます。



2007年冬。コンサドーレ入団が内定している宮澤くんが最終戦を観戦した、
という記事があり、そこに載っていた宮澤はすました顔をして写真に写っていた。
何かね?鹿島からもオファーがあった僕だけどコンサドーレに入るからどれ見てやるか、ってことかね?
なんて捻くれた気持ちでいたのだけど、実は宮澤は単に内気で人見知りなため
写真も無愛想に写って見えただけだったのだとあとから知ることになる。
入団会見の時にユニフォームを着て「着心地はどうか」と言う記者の質問に
「(制服の)Yシャツの上に着ているのでよくわからない」という天然発言をしていた記憶がある。
室蘭大谷の監督に相談せず、進路を就職にしようとしてなまら怒られた、なんてエピソードもあった。
年末年始は室蘭大谷の試合をテレビで観て、プレーの上手さにすぐに宮澤のファンになったものだった。

プロ一年目にあげた、名古屋戦でのゴールは素晴らしかったなあ。
これぞストライカー宮澤裕樹だった。そうだわ、以前はFWだったんだものねー。

前回昇格前年の2011年、「サポーターの皆さんを、もう一度J1へ連れて行きます」と宮澤は言った。
道新のラジオCMで。CMの原稿は選手が本人書いているのだとどこかで見かけた。
(宮澤の原稿については本人に確認をとってくれたサポーターさんがコメントしてくれている。)
一度目の昇格は入団と同時だったから、主力感もないまま降格したのだろう。
チームの目標は毎年「J1昇格」だったけれど、「もう一度J1へ連れて行く」と言える選手は何人もいない。
「自分が連れて行く」なんて言う勇気のある選手もそうそういないだろうし、
「もう一度」と言うほど長く所属している選手も多くない。
しかし宮澤はこの言葉を言って、そしてほんとうにJ1へ連れて行ってくれたのだった。
(Jリーグ史上最速降格で降格したことは触れてはいけない。)

クライトンは自分の後継者に宮澤の名前を挙げていた。あぁ~クライトン元気かな~。
wikipediaによると、宮澤のリーグ戦出場試合数はこんなかんじとのこと。

2008年(背番号25) J1 6試合
2009年(背番号11) J2 43試合
2010年(背番号10) J2 28試合
2011年(背番号10) J2 34試合
2012年(背番号10) J1 23試合
2013年(背番号10) J2 33試合
2014年(背番号10) J2 41試合
2015年(背番号10) J2 41試合

この間監督が5人いるけれど、どの監督にも必要とされてきたのがわかる。
のぶりんの頃に登録がFWからMFになって、サポーターからもいろいろと言われてきたけれど
「FWでいてほしかった」とか「MFのほうが向いている」ということではなくて、
宮澤はいつでも"今がベスト"なんじゃないかなと思っている。

2016年(背番号10) J2 31試合

そして今季はついにキャプテンとなった。
宮澤が入ってきた時から、いつかはキャプテンをやってほしいと思っていた。 
だんだんと、それが現実のものとなっても違和感がない選手になっていた。
あの竜二アニキに指名され、本人もそうあるべきと考え、周囲も自然と受け入れていた。
いつの間にこんなにたくましい選手になったんだろうねぇ。

来季はコンサドーレで3回目のJ1を経験することになる。
これはかのレジェンドであるソダンも砂さまも経験していないことだ。
と書くと、宮澤が如何にコンサドーレにとって重要で素晴らしい選手か伝わると思う。
海外志向の選手が多い中、宮澤は「コンサドーレに居続けても成長できる」と言ってくれる選手だ。
移籍をするのも結構、でも自分はここでレベルアップさせてもらえる自信がある、と。
コンサドーレを、言葉でも行動でも大好きだと伝えてくれる選手。
外に出ることだけが成長ではない、と身をもって教えてくれる選手。

一度外に出て、他チームを知ることで成長し戻ってくる選手もいる。
けれどそれを経験した石井ちゃんとカズゥに、
「おまえは外へ出ずに、ここで成長すべき選手。」と言われた宮澤。
ふたりからの言葉は強い説得力を感じただろう。ここで頑張るんだ宮澤。来年も一緒に戦おう。



最後に、個人的に気に入っている宮澤記事にリンクしておきます。超暇だったら読んでください。笑

●2010年05月16日 「室蘭で頑張る」 宮澤母さんからかっこいいダンマクが出ていた室蘭入江。笑
●2010年09月21日 「たくさんの選択肢」 宮澤にはたくさんの選択肢があるんだろうなあ(プレー的な意味で)
●2010年09月24日 「サポーターのウルトラソウル☆」 コンササポーターあるある?
●2011年05月04日 「宮澤が決めてくれたーーっ」
よーし宮澤の悪口を言い続けていた人たち、そこへ並べー。
●2013年12月23日 「ナビゲーター芳賀博信」 芳賀ちゃんが乱入したトークショー
●2014年12月21日 「ありのままの宮澤」 宮澤と名良橋が2014年を振り返る(とっくんからのツッコミあり)
●2016年02月20日 「増川隆洋選手 北海道コンサドーレ札幌Type:B加入のお知らせ」
毎年B型の選手を紹介(?)しているエントリーの2016版

posted by ひとみ |11:53 | 選手戯言 | コメント(5) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:宮澤裕樹とともに10年

>室蘭大谷の監督に相談せず、進路を就職にしようとしてなまら怒られた、なんてエピソードもあった。
 
似たような経験あるからすっごいよくわかるわー。全く持ってB型気質全開だなあ(笑)。
 
ステップアップのためとか売ってカネに換えるなど移籍が頻繁に起こるこの業界(?)では
1つところに10年在籍し続けることはかなり希有な例だと思います。
何より選手自身の能力がなければプロ選手で居続けることすらできないですし
指導者との巡り合わせなどある種の運の強さも必要でしょうし、
そうした選手がいることはすごく幸せなことだと思いますよ。
 
他のクラブを見渡してみてもそうした選手は例えばガンバの遠藤(は移籍加入だけど)や
フロンターレの中村憲剛、鹿島の小笠原のようにクラブの顔、象徴と言える選手ばかり。
真に優秀な選手は誰が指導者になっても必要とされるし、サポーターからも愛される。
 
レジェンドという言葉は安易に使いたくないんですが、
そうした選手、フットボールの世界だとバンディエラといわれる選手は
そういう道筋を自然と辿るものなのかもしれません。
ただ、バンディエラとしてもキャプテン像としても
アクの強さがなく妙に淡泊に感じるってのは贅沢な話なんでせうかw。
宮澤らしいっちゃらしいんですが…。

posted by フラッ太| 2016-12-10 13:35

Re:宮澤裕樹とともに10年

ううっ、私はひとみさんの書く「宮澤ネタ」が大好物なんだっ!(笑)
そうそう、ちゃっちゃと就職しようとしてなまら怒られたんです~。
地元から出るのがイヤで仮病を使って代表を断ったんです~。
そんな「チョット、まじかい?」な部分もひっくるめて今のみーやが存在してるんですよね~。
思い返すたび「よくぞここまで成長したねぇ」という気持ちですが、それもずっとコンサにいるからなのでしょう。
過去のチームメイトに「お前がキャプテン?」と言われるらしいですが、クライトンにはわかっていたのかなぁ。
クライトンと言えば「このチームにはミヤがいる」という言葉とあの立派なお尻しか思い出せませんが(笑)
入団した頃は「移籍することになったらサッカー選手辞めちゃいそう」と疑われていたみーや(@当社比)。
今はどうかな?
もっと違う答えを出すかもしれませんね。
でもこれからもずっとずっと赤黒のみーやが見たいし、見ていたいなぁぁ!
上のリンク記事は楽しみながら読ませてもらいます~。むふっ♪

posted by チームがある限り| 2016-12-10 17:35

Re:宮澤裕樹とともに10年

クラブの歴史の半分に関わってるんですね。
最初の松山光は彼じゃないか。なってもらいましょう。
プレー面は勿論、道民なら、とーさんもかーさんも、じいちゃんもばあちゃんもみんな宮澤裕樹を知ってる。サッカー知らないけど宮澤裕樹は知ってる。
ボールもまとめるけど道民もまとめる。

ガソリンは抜かれちゃったけど、俺達には天然エネルギーがあるさ。

posted by owls| 2016-12-11 21:10

Re:宮澤裕樹とともに10年

晩秋の細かい雨降りの中、着膨れて厚別で高校サッカーの決勝戦、
「彼がコンサに来てくれるかもしれない宮澤君かー」とずっと姿を追って見ていたのがつい先日のような(よくある錯覚)気がします。

今や10番もすっかり板につき、キャプテンで、めんこいちびちゃんをだっこして試合前撮影に臨むコンサの大赤黒柱。

…そりゃー私もと…

やがて彼らのちびちゃんがボールを追いかけたりするようになって私の腰が曲がる頃にはみーやはコンサの監督かのぅ~。

posted by さくら| 2016-12-11 22:45

コメントありがとうございます。

お返事が大変遅くなりましてすみませんでした!

>>フラッ太さんへ

B型にもいろいろいますが、宮澤は私たちが想像する典型的なB型だなって思います。笑
加入した頃は、まさか宮澤が10年もうちにいることになるとは想像できませんでしたねー。
あっという間にどこかへ移籍していくもんだと思っていました。

そうですね、そもそも10年プロで居続けるということが簡単ではないですし、
選手本人の意思が通る環境でなくてはいけないし、
その選手本人がここに居続けたいと望んでくれなければ
実現しないことなのでなかなかの確率だなと。
「あの選手はあのチームのイメージだよね」っていうのがビッグクラブになるほどありますが、
うちにとっての宮澤がそんな存在なのかと思うと感慨深いです。

最近良く思うのは「宮澤って思っていた以上にコンサドーレが好きなのね!」ってことです。
単に人見知りで北海道から出たくないだけかと思いきや、
ちゃんと自分やチームのことを考えていて自分の意思でここにいるんだなと(←当たりまえ)。

もし「コンサドーレを出なくては」と思うことがあればその意思も尊重したいですが、
永遠にここに居たいって言うならもちろん大歓迎ですね!笑
これからも出来るだけ長くコンサドーレに必要とされ、その期待に応えてほしいです。

>>チームがある限りさんへ

ありがとうございますーぅ( ´ ▽ ` )ノ
宮澤ネタは批判されている時こそ活発なので、最近はめっきり大人しくなっていました。笑

非常に現実的というか、真面目というか、家庭の事情もあったのでしょうけれど、
就職しようとした話は今思い出しても「まじかい!?」って思いますねー。ありえないわー。笑
そんな選手がちゃんとプロになり、向上心をもって成長し、
チームのキャプテンを任されその任務をしっかり成し遂げることになるなんて。

そう、クライトンといえばお尻ですよね。池内が欲しいと言ったあのお尻。笑
クライトンや竜二アニキといったリーダーシップのある人が何かを感じたであろう宮澤。
宮澤がチームにとってそういう存在になることを想定すると同時に、
チームとして宮澤の存在をそう扱うべきというところも見えていたのかもしれませんね。

コンサドーレに詳しくなくても、「室蘭の宮澤くん」は多くの道民が知っていると思います。
北海道の息子的な存在ですね(?)。これからもその成長をここで見守りたいですね。

>>owlsさんへ

10年いるということは、そういうことになりますねー。
いつの間にかソダンよりも長く、砂さまに近づく在籍期間になっていたとは。
それだけで竜二アニキがキャプテンに推したわけではないでしょうけれど、
ここに居続けたくてもそれが叶わない選手もいる中
宮澤はやはりバンディエラに相応しい選手なんだろうなあと思います。

天然エネルギー、うまいっ!笑

>>さくらさんへ

おーっ、さくらさんは決勝を現地で観ていたのですね。
コンサドーレでの10年を見ているだけでも感慨深いというのに、
高校の頃から見ていたとなると走馬灯のように(え?)いろいろと思い出しますよね。

そうでした...なんだか宮澤だけ10年経ったような気持ちでいましたが
その間はわれわれも10年経っているのでした...おそろしや...。

クライトンが、本気なのかリップサービスなのかわかりませんが
コンサの監督をやりたいと三上さんに猛アタックしてくるという話を思い出しました。
そうなるとまた楽しそうですし、みーやにもそういう夢を見るのも良いですなあ。

posted by ひとみ| 2016-12-29 08:15

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