コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2016年08月29日

押し売りは御免です

別に意識したのではないのですが、タイトルを見て何かにかけたように見えたとしたら、それはまあ偶然でしょうが、我ながらあれかなと思ったり。

では何のことかさっぱりか。


昨夜NHKのEテレで衝撃の30分生放送があった。

服装からして、裏でやっている長大な番組に対抗していることは明らかなことではあったのだが、内容を見れば単に他でやっていることの批判だけはなく、自身の局の過去に対しても触れていることの方が大きいとも見える。

正直なところ、制作者とそこに出ていた芸能関係者の今後が気になってしまう部分はあるだるうかと。


元より作り手側に「これは感動ものだ!」という意識が見えてしまうと、敬遠してしまう性質である。

だから特に正月にやってる、これも長々としたものであるが、走っているだけの番組もまともに取り合わない。
いやあれはすでにスポーツとも呼べる代物ではないからね。
まあゼッケンスポンサーが、かかわりが大きいところなので、もどかしい部分は多分にあるのだけれども。


会社勤めが長くなると、時に気にする事項として出てくるのが、人事異動というものがある。

私自身は別段人事権もなく、なるようにしかならんものだし、いちいち気にしてもどうにかなるものではないと割り切っているから、関心度は低いのだが、好きな人はいるんだな。

多少早くその情報が得られたとして、そして聞かされた時に感じるのは、だから何なの?でしかない。
それが偉いことなの?いずれ判ることが、多少早いからといって、凄いの?

そんな他がどのようになろうとも、自分自身はどうなの?
自分の職務すら十分に全う出来ていないのに、他のことを気にするくらい暇なの?


どうもね、自分自身がどのように生きていくかよりも、他人のことが気になってしょうがない傾向は身近だけじゃないのだろうと。

ある芸能人が不祥事を起こす。
そうすると周囲が執拗に必要以上に追及する。

そんな情報を見せられて、愉快になるの?

他人の不幸だからいいのか。同様なことが身近に起きた時への想像があまりに足りない。


一方でやたらと自主規制が多くて、本来追及すべきことへの対応には腰が引けている。

国内の生活保護とか福祉とかにかかる費用は簡単に削るくせに、海外にはそれ以上の金額のものを断りもなく勝手にばらまく、なんていうのは明らかに異常だろうと。

いやちょっとでも政治的に批判めいたことでも口にしたら、それすら規制をかけようしてしまうのは何だと。

一部だけの幸せのために、他の多数が不幸になっていいだなんて、誰が決めたんだ?


何か変な勢いになってしまった。

事実だけを淡々と伝えればいいだけのことなんですがね。

どうしてまあ勝手に感動的な方向にするだとか、先入観をもって捻じ曲げたりだとかするんでしょうかね。

一方的な強制的手法には常に監視していないと、いつの間にか不自由なことだらけになってしまうぞ。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)

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