コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2024年03月12日

大地震の前後を思う

昨日は東日本大震災発生から13年目の日ではあった。
勿論忘れないことは大事ではあるけれども、とその先のことについては後述する。


先週土曜日9日午後、地震があった。その時私はベットの上で横になっていたのだが、室内にある家具のガラス戸がガタガタし始めたので、ああ地震だろうと。

こういう時はNHKに何らかの表示が出るからと見ていたら、発生からはやや遅れて出てきたと。
室蘭は震度1であったけれども、最大震度3が出たのが5年半前の胆振東部地震で被害が大きかった3自治体と同じだったから、ああその時の余震に相当するのだろうと思ってはいたのではあった。


一方でその日時にちょっと思うところがあって。

そう発生時間帯を言えば、東日本大震災の発生時刻付近であり、日付でいえばその前震と後でいわれることになる地震の発生日と同じになるのだなと。

勿論関連性があるわけではないのだが、そう結び付けてしまうわけだ。


2011年3月9日は午後からの訪問のために、札幌から恵庭に向けて国道36号線を走行中であった。

時間帯的に正午に近い段階で脇のパーキングで休憩、昼食をとる段取り、習慣的に昼のニュースを聴くべくNHKのラジオを準備、というところでほどなく緊急地震速報が出て、ニュースが吹っ飛んだのだな。

その時は感じなかったけれども、翌々日の発生後、この時に備えができていれば、もっと局面が変わったのではないかと後に思うに至って。

しかし地震予知なんてものは、そう簡単にできるものではないのだし。
それが前震からどのくらい経てば、なんてことは判りようもない。


元日の能登半島地震でもあったらしいけれども、本震はその直後のようだったから、何かできるできるどころにはならなかったとは言える。

ただその前からよく判らないながらもその付近では地震発生自体は多かったわけで、備えるという部分ではある程度でも可能だったとみるのだけれども、結果は無残。
いやその後にしても、発生から間もなく2か月半近くになっても、ちっとも様相が変わらないのは如何なものかと。

何度も言うけれども、地震後の生活困難な様子や、大変だけれども頑張っています的な映像なんていうのはいらないのよ。
相変わらずの教訓がない避難生活の場、停電・断水という部分での復旧の遅れについて、もっと怒りがあってもいいのだろうけれども、そういうのは出てこない。

肝心の為政者の方は、自身の犯した裏金とかキックバックの釈明ばかりが先立っていて、ちっとも被災者に構おうとすらしていないじゃないか。
うわべだけの言葉なんて聞いても無駄なわけよ。
けど現状を見るにつけ、やはり絶望的にしかなりませんな。


昨日の「あれから13年前の日」が過ぎれば、また何もなかったかのようになる。
忘れないようにするのはいいけれども、発生日近くになって毎年そのときだけ「あれから〇年」というやり方はどうなのか。

別にアリバイを見たいわけではなく。
その日さえやり過ごせば、また何もないかのようなことも、なんか違うのだと感じるわけだな。


実際は日々の自身の生活対応があれこれ大変で、他がどうこう言う余裕はどれだけあるものか。

ただその日が近いだけで、その瞬間だけ寄り添うようなことだけにはなりたくないものだとは思うところよ。

posted by akira37 |05:19 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)