2020年11月04日
歴史は動いて
等々力はアウエイの試合会場としては行った回数が多いスタジアムの一つである。 その初めての試合は2003年J2第16節であった。 まだバクスタよりもメインの方が貧相で、確かアウエイベンチ裏で見たのは、金曜夜の試合ということもあって、まだまだのどかな時代だったのであろう。 試合は曽田のバックパスをさらわれて決められたのが決勝点での敗戦であった。 この年ルーキーイヤーだったのが、今回引退を表明した選手である。 記録を見るとベンチスタートで87分での交代出場、まあ記憶にはない。 それよりもMDPが貧弱で、B4サイズの1枚物、それも試合ごとではなく1か月まとめての内容、その年新加入選手の紹介がされていて、本人も紹介されているのだが、その当時は同期加入ではむしろ我那覇の方が有名だったかもしれない(この試合ではスタメン)。 当時の相手監督は後にうちにやってくる石崎氏であるが、MDPにあった写真の説明が「監督選手」という表記で、なんじゃこりゃ、というどうでもいいことばかり記憶している。
余談が過ぎた。 今節の試合時間帯は、大半がレンタカーを運転中の状態であったから、細かく内容を見ることはできない。 何度か停車中にスコアチェックをしていくのだが、前半はずっと動かず。 後半開始早々は要注意であったが、変わらず。 そして後半30分過ぎに見たときに我目を疑ったのである。 2-0でリードしている。 流石に落ち着かなくなる。 後半アディショナルタイムに入ってからは、車を止めてひたすら祈る。 で試合終了の文字を見て、本気で泣けてきたのだった。
夜は当然に一人祝勝会ではある。 勿論録画したのもニマニマしながら見ていて。 ようやく積年の最後の砦でもあった「未勝利」チームが無くなったことに素直に感じ入っていたのだな。
先般「タイミング」について書いた。 そちらのストーリーとしては引退までの2か月近く前から大騒ぎしたいのだろうが、ここはセレモニークラッシャーの本領を発揮したのだな(過去の代表例:2016年のフクアリ)。 いやこちらとしては他が何と言おうとこっちの事情があるわけで。 相手にしてみればストライカーを負傷で失っていることを理由にするかもしれないが、こちらも事情は同じなのでね、見苦しいことになるぞ、と勝ったからなんとでも言える。
まだまだ書き足りない気分だけれども、この辺で。 でも意外とこういう時は内容が陳腐だなあ・・・。
posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)