2019年08月01日
難解の果て
昨夜は今年のPMF道内での最後の演奏会に出向いていた。 通常平日月-木の演奏会は体力上の問題もあって参戦しないのであるが、昨夜の指揮者はゲルギエフ氏。何と前売完売で流石の人気、が理由ではない。 演目にショスタコーヴィチの交響曲第4番が含まれていたからである。
この曲、勿論PMFとしても初ではあるのだが、kitaraにおいても初。 私自身CDで何度か聴いた経験があっても、生でとなると初めてであるからにして、興味本位が上回って、というのが理由ではあるのだな。 今回のPMFにおいては、ここ数シーズン参戦が減少気味だったところから増加に転じている。 理由はブルックナーの6番とかマーラーの8番とか、これまた稀な曲が取り上げられたからなのではあるのだが、聴き終えて今回のが最難解であったという印象ではある。 ショスタコーヴィチの交響曲と言えば、5番が圧倒的に有名ではあるのだが、その直前に書かれた4番は初演が大幅に遅れるなど、いわくつきの曲でもあったのだが、諸事情諸説ある中では、単純に演奏が大変だから、というのが最大の理由なんだろうな。 ええ実際ブルックナーとは違う修業状態でしたからね。 編成が巨大で、並々ならぬ意力は判るのだが、正直思い先行、詰め込みすぎというのか、1曲で2曲分の内容とでもいうのか。 あるいはもう少し推敲すれば聴きやすくなるのに、というくらいの粗削り方とでもいうのか。 まあ平日の夜に聴くのは、体力がないとしんどいね、という結論でもあったのである。面白かったけど。
終演後はまだもわっとした空気の中を帰宅していく。 字ずらを変えれば、最初変換されたように「来た苦」という有様ではありました。 ええ演奏会後の興奮状態も相まって、ややしばらく眠れない月またぎの夜でした。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)