2018年02月15日
もやる
五輪については、そもそも開催という部分については、昨今あまりに限りなくブラックに近いグレーみたいなものだから、積極的な立場にはない。 2020年については、今からでも撤回してほしいし(まあ無理というか、無理してでもやるんだろうが)2026年の誘致についても明確な反対の立場だし(やる頃には市民でない可能性が高いのだから影響は少ないだろうが)。 とはいえ現行進んでいる部分については、特段情報断にはならないし、しないし。 ただ集中するほどのことでもないのではあるが、という立場で。
タイトルは、こと冬の競技は夏以上にそういう気持ちになってしまう部分が多いと。 少なくとも採点型の競技では主観が避けられないから、いくらやろうとも公平な目が難しくなる。例えば昼間にあった銀メダル獲得の競技など。 本来同じものを見ても違う点がつくということはあり得ないのがそうなってしまうので、負けてしまうとどうしてもそんな気分が残ってしまうのだな。 タイムレースにしても、そういう部分はあって。 陸上や水泳なら1回で結論が出るけど、スピードスケートだとそうはならない。 条件も一定にはならず、屋内であったとしても氷温だとかスタートがインかアウトかでも変わってくるだろうし、滑走順でも違うだろうし。 そんなことを書いているのは、ここまでの結果がそうさせている部分もあるのか。
「メダル至上主義」で言えば、数はそこそこでも金がないのでどうたらこうたらになりやすいんでね。 まあこの辺りは、例によってマスゴミのレベルの低さを露呈しているからでもあるのだがね。 無用なプレッシャーを与えている一旦がどこにあるのかを考えれば、本来はおのずと変われるはずなのにそうならないのは何故なのかは、もう少しちゃんと考察した方がいいのだろうが、そこまでやるときりがないんで、今朝はこの辺でお終い。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)