2014年03月15日
去り行くものへの作法
タイトルだけでは意味不明ですが。 テーマは鉄道について。 まず個人的事情について言えば、JR北海道の部分は自分の週末の動きに影響がある変更があって。 S北斗・北斗・すずらんに変更があれば、その前後の普通列車を含め、自身の週末の動き方に影響があって、今回はそれがちょっと顕著になっている。 実際には次の帰蘭から関係してくるのであるが、今日はその事の話ではない。 最近は「葬鉄」という表現があって、鉄道趣味の中でも一分野として特化している感じではあるのだが、個人的にはそれを良しとしない。 列車がなくなる、廃線に至る、というのは基本的に利用が少なくなることに起因してるのだから、いざ無くなりますというところに押しかけるのはおかしいだろうと。 昨夜で言えば、「あけぼの」の廃止ですか(厳密には定期運用としてだが)。 その発車の様子まで生中継するほどのことなのか。 そしてそこに押しかけては迷惑をかける、少なくとも鉄道ファンと見なしたくないレベルの人々も感心しない。 大騒ぎするのではなく、そっと見送るのが礼儀だと考えるのですが、いかがでしょう。
と書いてみて、また昨今の細胞を巡る騒動に思う。 真偽の程に口を挟めるほど理解力はないのであるが、どうも傍目にはここぞとばかりに叩く姿勢ばかりが目立つような。 いや専門外の人間までも調子に乗って偉そうに言っているのを見ると辟易してくるのだな。 いやこれだけではない。 何か起きるたびにこの現象は起きることを思えば、結局醜さしか残らないのではあるのだがね。 どうなのだろう。
自然は確実に春が近づいて。 何だかんだ言っても、ちゃんと雪解けが進んでいるのをみると、大騒ぎだけする姿が結構哀れな気分にもなるのだな。
posted by akira37 |05:56 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)