2011年12月19日
「歓喜に寄す」からの連想
昨日の個人的なメイン行動はkitaraでの札幌交響楽団特別演奏会の「第9」を聴きにいくことであった。
その前に大通で下車して、紀伊国屋書店オーロラタウン店で本を買い込む。 日祝日はさっぽろ地下街ポイントクラブのポイントが倍になるから、予めそうするケースは多い。 今回のメインは前日発売開始のコンサの15周年記念誌にあったわけだが、店先は大変な力の入れようであることが判る。 勿論関連して月刊コンサドーレやサカマガやサカダイのコンサ関係記事が載ったもののバックナンバーも置いてあるわけで。 本当に有難いことではある。
日本では師走になるとベートーヴェンの第9をやるというのが恒例であって。 私自身もかれこれ10年以上この時期に出向いて聴いてきたわけだが、今年は結構格別のものがあった。 それは今年大震災があったから、特別の感慨があって、ということではなくて。 事前に団員のツイートで、こと合唱の出来が良いというものあって、実際そうだったからに他ならなくて。 また今年は創立50周年記念としてツィクルスとしてやり、今回が最後の最後であって、演奏終了後に団員たちが互いに握手をする姿が多数見られ、やりきった感があったことも大きな部分ではなかったのかな、と感じながら帰宅したのではありましたな。
ということで岡山主催の「憶年会」には行っておりません。 途中から参加であればOKだったのでしょうが、どうもそういう形は好きではないので。 雰囲気はこちらで判ったのだが、ちょっと後悔はあるかな。 いやはや彼は想像以上の武器なのではなかろうか。
と普段日常のことを思う。 少なくとも懐疑的な部分が跋扈しているようでは展望が開けないのかもしれない。
posted by akira37 |05:01 | 雑記 | コメント(1) | トラックバック(1)