コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2011年12月14日

当事者意識

昨日の朝刊で35年来の旧知の友人の母親の死を知った。昨年末一時危なかったのが持ち直したことは知っていたのだが残念なことになってしまって。年齢が私の母親と近い若さというを初めて知ってでちょっとショックでもあったのだな。

実際のところ、このことで慰めの言葉をかけるのは簡単なのだろうが、今は見守って、落ち着いた時点でゆっくりと寄り添えられればいいのかなと考えたことで。


某プロ野球球団で訴訟合戦になっている。

事の発端の時には、勇気あることかなとは感じたのだが、今の状況を見れば内輪揉め、いい大人が子どもじみたけんかをしているくらいの感じしかしない。

何か違うんだよなあ、というのがあって、垣間見えるのは、本当は誰のための利益?というのか、どっちに転んでも悪い影響しか残らないような気がするのだが。


このような事例は身近にもあって。

いい歳をした大人の愚痴が、関係ないところから伝わってくるというのはどういうことか。
文句があるのなら直接本人に言えばいいだろうに。

他人への干渉が好きなくせに、自分への干渉を極度に嫌う。

そういうのは所詮反面教師にしかならないのであるが、何ともやりきれないことにしかならない。


さて我がコンサである。

最終戦から10日経過し、一昨日の「感謝の集い」で公式行事も終了して、オフに入った様子が伝わってきている。

周知の通りキックオフイベントが1/15だから、約1ヶ月間のオフは、長いようで短いのだろうとは感じる。

前述の「感謝の集い」はTVでもニュース素材になっていて、やはりJ1昇格効果だとは思うのだが、調子の良いときだけの取り上げられ方には、結構な違和感もあるのだな。

こちらとしては普段からもっと取り上げて欲しい気分はシーズン中からもっているでね。


かつてサポーターとファンの違いについて書いたこともあったのだが、改めるにサポーターというのは当事者意識が強い存在でもあるのだなと、再確認することに至るのだな。

単に贔屓のチームの試合結果に一喜一憂しているだけではなく、直接関与できないにしても経営状態や未来像についても想いを及ぼし、真剣に考えている存在がサポーターであって。

だから一見さんやちょっとサッカーに詳しいからといって高飛車な態度での発言には、結構嫌悪感も覚えてしまうのだな。


サポーター稼業は結構しんどいものだと再認識したところで、今朝の愚痴っぽさは終了。

posted by akira37 |05:01 | 雑記 | コメント(1) | トラックバック(0)