コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年04月17日

井上ひさし氏のこと

亡くなられて早一週間というところが書くのに妥当かどうかという部分はあるのだがね。

最初この事実を知ったのは、ヤフーのニュース掲示板であった。11日の午前4時過ぎ。
前日中にはニュースとして見ていないし、その後のNHK5時のニュースでも出てこなかったから、本当かどうかを見極めるのに時間がかかったような経緯がある。

その前にあった闘病の経緯は自分としては知っていなかったものだから、唐突な印象がまずはあったものであった。


氏の功績を語る中で、最初に出てくるのが「ひょっこりひょうたん島」ということになる。
放映時期は、私が就学する前なので見ていた可能性はあるのだが、正確な記憶としては定かではない。
その後の過去を振り返る番組の中では見ているが、詳細な記憶としてあるものではない。

うーん回りくどいな。

断片的な記憶とものの本の照会によれば、この手の番組は現在では作れないことだけは確かであろう、という感想が出てくる。
まあ世相への風刺も多かったから、という理由からではあるが、少なくとも現在の迎合主義というのか、自らの頭で考えることが出来なくなっているマスゴミには覚悟を持った仕事などは無理なのかもしれないからね。
懐かしがってはいけないのだろうが、あの頃の番組作りには少なくとも挑戦があった(たまさか改編期特番で出てきた「8時だよ全員集合」にしても同じことが言えるなあ)。それを現在に期待するだけ無駄であろうね。

うーん本筋から離れすぎるな。

氏の作品で最初に自分の金で買った本が「吉里吉里人」であった。
何かの書評で、いろんなことが盛り込まれていて面白い的なものがあったものだから、当時大学入学して間もない身分には結構勇気のいる投資(何せ相当分厚いからね)ではあったのだが、結構速いペースで読みきった記憶がある。
個人的にはこの本を初版で購入したことが自慢でもあるが、その後ベストセラーになるものを、なる前に買っていたことも自慢かな(ついでに言えば、昨日大騒ぎしていた本の発売については全然感心しない。少なくとも個人的にはベストセラーだから買うというのは、理由として妥当性があるものではないからね)。

その後は折に触れて何冊かの購入してもおり、一作家の書物を定期的に読んでいるケースでは、小説の分野では最初であった。


氏の主張の特色として「日本語」に対する考察があって、その中で「日本語は主語を隠し、責任を曖昧にするには都合が良い」というのがある。
これはかなり前から言われていたことではあったが、昨今のマスゴミのあり方を見るにつけ、また感じ入る部分ではなかろうか。

いろいろな場面で腹立たしい表現は散見されるが、多くは責任を取れる形にはなっていない。
何度か書いているけども、それは単純に卑怯でしかないのだが、まったく困ったものだとしか言えないのだな。


さてまただらだらと書いてきて、まとまりはないのだが。

没後いくつかのHP・ブログ・ツイッター等で氏を悼む表現を見てきた。
それが特定の分野に偏っていないところが、影響の与え方として特徴があったのかなとの理解ではある。

個人的には城山三郎氏が亡くなられたときと同様に、改めて作品に触れなおすことだけは確かであろうね。

posted by akira37 |05:38 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)