コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2009年12月31日

更に成長していくために

気温は高いはずだから、昨日の降雪も落雪の展開で目が覚めるかと思っていたら、そうではなく風の音が要因で起床した大晦日ではある。

外を見ると明るさがある、ということは曇りではなく晴れ。月が見事に見えている様は、本当に年末年始に荒れるという予報が俄かには信じることが出来ないようなもので。

まあ嵐の前の静けさ、に近いのかもしれないが。


個人的にはあまり意識しないようにしているものの、周囲が年末らしさを演出しているから、それなりに思うところはある。

時間は切れることなく流れているから、それを分断して振り返るのもどうかはあるが、ちょっとは考えてみたい。


今年最大のエポックは政権交代であろう。そこから100日あまり経ったのだが、その内容について細かい論評をしようということではない。
第一そんなに性急にして評価できるようなものとは思えないのだが。

先日新聞の読者投書欄のある部分に目が止まった。
再三書いてきたように、TVでの「街の声」を嫌悪する者としては、新聞においても同様な意識が働くのだが、この部分についてはモヤモヤが取れたような気分であった。

一部転載する。

・・・成熟した世の中で、誰もが自分の都合ばかり主張しているのではないか。官僚も政治家も経営者も科学者も文化人も。そして私も。
・・・数多くの空港を造った官僚や政治家らは責任逃ればかり。地球温暖化抑止策には、産業界が自社防衛の意見に終始する。これらには公共や人命尊重の意識も欠けており、国の秩序が劣化し始めているのではないのか。


珍しく多忙のまま推移した年末の仕事環境の中でも、それに似た空気を感じていたものである。
多くの発言が受け売りであって、自分の責任に帰することがない。

勝手な発言をした挙句に、よく判らないけど、などと言われてしまっては迷惑なだけだし。


我が応援するチームの事情については、最近のクリスマスプレゼント的な部分に目が奪われがちだけれども、1年を通してみればパッとしないものではあった。

J1にいないと、一般的には無関心か非難しかしてこない。
我々は耐えることばかり強くなっていくのではあるのだが、しかし、これは本来の姿なのか?

チームが弱いことについて、単純に罵倒するのはその場では楽だろうけれども、ちっとも生産的にはならない。


改めて「責任」について考える。

政治とサポートすべきチームのことを一緒に語るのは、無理があることなのかもしれないが、やってみる。

他人ずらして、言いたいことを言っているだけは、楽ではあろう。
しかし本気で変えたいのであれば、自分自身にも責任の一端があることを意識していかねばならない。

そのことを折に触れて意識するようになった1年なのかな、と個人的には考えている。


ゴン中山加入のことは、確かに全国的注目度としても大きなエポックではあるけど、それだけで問題が解決しないことは充分承知である。

勿論うまく利用した上で、前進すべく考察を繰り返すことが、来年における課題だろう、と無理にまとめて、本年最後のエントリーとします。


最後は月並みですが、皆様よいお年をお迎えください、で締めくくります。


posted by akira37 |05:15 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)