2009年06月05日
扱いの大きさが必ずしも自分の関心事になるとは限らない
無駄に長いタイトルだなあ(苦笑)。 昨日、いわゆる「足利事件」で犯人にされて受刑中の方が外に出られた。 まったく長い間苦しまれてきたことについては想像もつかないが、逮捕された当時が現在の自分の年齢と大差なく、それから20年近くも罪を着せられたままというのは、本当にぞっとする。 当時の警察や検察に謝ってほしい、との会見があったが、恐らくそうしないだろうな、との想像があるのだが、果たしてどうか。
サッカーの話題では、世間的には日本代表がどうなるかが中心なのだろうが、こちらは勿論そんなことにならない。 第一残り3試合で1勝すればOK、という情況は余程のことがない限り達成可能であるから、その点でも興味は薄れる。 こちらは地元チームの行方にしか関心がない。
先日触れた件だけれども、ようやくポスターを見かけるようになった。 しかしねえ、金曜日の発売で3000枚は舐めていないか? 先々月あった公の方は、ハガキでの事前募集で都合1万枚だったのだが、販売方法といい、開始日と枚数といい、そんなに差をつけるものかね? どうもこのやり口には違和感がある。
昨日は交流戦がなかったこともあって、スポーツ紙面の作りに、無理が感じられるのだが、どこだか忘れたが公が富良野在住の作家と組んで環境のことをどうの、というのが大きくあったような。 どうなんでしょう。 こちらは先日こういうことがあったわけだが、少なくともマスゴミで大きく見かけてはいない。 いやあ単純に力で大きく見せればいい、というものではないだろう、ということで。こういうのを見せつけられた日にはたまりません。
posted by akira37 |07:15 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)