2018年12月13日
内村ゴール!
ウッチーは愛媛から「昇格の可能性が高いチームだから」と移籍してきたのだと記憶している。 きっとチームはどこでも良かった。自分がJ1でやれればどこでも良かった(そこまで言ってない)。 大分のころは問題児で遠征につれていってもらえなかったり、 そんなことをやっていて戦力外になりやっとこ危機感を感じたウッチーは、 愛媛でとにかくゴールをうばうためにプレーしていたとインタビューで話していた。 そんなウッチーが、他からどのようなオファーがきてもすべて断り、 自分の年俸は上げなくていいからそのお金で良い外国人選手を獲ってと言ったり、 減俸でも札幌にいると言ってくれたり...。 コンサドーレにとってウッチーが欠かせない存在になっていくのと一緒に、 ウッチーにとってもコンサドーレが欠かせない存在になったのだなぁとしみじみ思いかえす。 相思相愛。だからこそ、ウッチーが「もうやりきった!」と思える引退のその日まで コンサドーレでプレーできたら最高だったのだけど、そううまくいかないのが世の常。 ウッチーとの思い出を自分のブログで振り返ってみる。古い話もさかのぼるよ。 ●2010年 「無回転出たー!」 引退した次の年に曽田さんトークショー。曽田的No.1イケメンはウッチー。 「ホロ酔いウッチー」 ヤスとのビヤガーデントークショー。トークショーの前から飲んでいたウッチー。笑 「だって、DFだもの。」 2010年来たばかりのころのウッチーのサインは、いまと違うので比べてみてね。 札幌でサインを書く機会が増えたので簡略化していったと、いつだったか言っていた。 「内村語録」 そうか、ウッチーって最初のころは王様気質だったのか。 私が「ウッチーにはまず結果を出してもらいたい」とか偉そうなことを言っている...。 ●2011年 「生き生きウッチー」 ハットトリック寸前だったウッチー。 「奈良くんわっしょい!」 ウッチーに念をおくったら届いた。 「良かったねヤスしゅんぴー」 昇格特番。 アウェイ鳥取戦でまけたあと、夜にコンビニで選手数名を見かけて 声をかけようとしたら文句でも言われると思ったのか逃げられたんだけど、笑 ウッチーだけ逃げないでくれていつも通りに接してくれたことがあった。 落ち込んでいるとか苛立っているでもなく、いつも通り淡々と。 それは試合ですべてを出し切って、切り替えられているからこそではないかと思ったり。 J200試合出場もこの年だったはず。 「撃てば入る」という名言を生み出した年でもあるわね。 ウッチーのコメントは個性的なので名言が多い。 ●2012年 「負けがあるから勝ちが嬉しい。」 2012年の昇格後ウッチーの初ゴール。 「みんなでひとつのチームだよ」 小倉ホイップクリームパンをプロデュースしたこともあった。おいしかった。 ●2013年 「勘違いでもいいから」 「ウッチーのなせるワザ」 「コンサドーレ札幌ブルマ部」 ウッチーといえばブルマ。ブルマといえばウッチー。 「こんな杉山哲どーよ!」 クラブの日本人最多得点記録を更新。 ●2014年 「ウッチーの里帰り」 年末年始の帰省を追った番組。箸の持ち方と食べ方がきれいだった、と書いてある。笑 「あの都倉が来た」 石屋製菓のCM。ウッチーが歌う「白い恋人~♪」は上手だった(リンク先が消えてて残念)。 ●2016年 「狂喜の歓喜」 みんな大好きアウェイ千葉戦。 ●2017年 「「そうでもない選手もいる」J1のこと」 宮澤、ウッチー、ヘイス、マセードのトークショー。 ブログに出てくるほかの選手の名前も懐かしい...。 振り返ると、ウッチーとはクラブが金銭的に窮状していたり、成績がかんばしくなかったり、 思うような補強ができなかったり、金銭的理由で選手を契約解除しなきゃいけなかったり、 昇格争いすらせずにおわったり...という、苦しい時期をたくさん共にしていたと思う。 もしかしたら楽しい時間よりも苦しい時間のほうが長かったかもしれない。 楽しい瞬間、うれしい試合をこれからもっと一緒に喜び合えたらよかった。 昨季と今季のJ1残留という成績、今季の4位という結果、 「監督が変わるとこうも変わるのか!」と外からは簡単に言われることもあるけれど、 苦しい時期にがんばってくれたウッチーのような選手がいてくれたからこその軌跡。 そう思えば、これからのコンサドーレにもウッチーの存在を感じられる。 寂しいけれど、哀しくなんてないのよ。 トライアウトは手ごたえがあったようなので、良いチームに決まるといいな。 どこへ行っても応援に足を運びたいと思う大好きな選手。内村札幌!
posted by ひとみ |12:13 | 選手戯言 | コメント(0) | トラックバック(0)
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