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2010年07月12日

修理はつづくよ、どこまでも

先日、うちのサニー(中古・13年)を法定点検に持っていきました。
毎年のことなので、何かあるだろうなあと覚悟しつつ・・・。

1年点検の項目はクリアーとなってましたが、やっぱりありました。
オイル漏れ2カ所、タイヤのボルトの劣化など。
見積もり計15万円!

なんか、はやく次を買いましょうよ、と言われているようなお値段に言葉を失っていると、新車買うと減税なんかでこれだけお得という説明にふんふん・・、が、次にでてきた車のお値段(うわっ高っ!)に再びぐーんとひいてしまい、至急といわれた場所のオイル漏れだけ、今日、持っていってなおしてもらいました。

車を持つまでは、タクシー使ってる方がやすくつくよと言ってた知人の話も、まさかあ、と若干疑ってたんですが、こうちょくちょく、万札の飛んでいく修理ばかりじゃ、納得も納得、大納得。
それに、たんび高額の請求書に落ち込むこともないし。

何もなかったのは、最初の2年(製造から8年)くらいでしょうか。
ただ、旦那のアッシー役としては、やっぱり車がないと福島じゃらちあかないんですよねえ。
困ったもんです。

posted by じゅうよっつ |22:49 | 暮らし |

2010年07月11日

黄色いトマトとイモムシ

虫の苦手なかたは、ご覧になりませぬよう!~特に後半!

今日初収穫の、黄色いトマトです。
(小さいのは普通のミニトマト)

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夕飯で食べる予定なので味はまだ分かりません。

それと、庭で見つけたアゲハの幼虫。

20100711-00.jpg


三つ葉の葉を無心に食べてました。
三つ葉は一杯生えているので、この坊や一匹くらいでは大丈夫。

早く大きくなれよ~!
とは、虫好きの私と、悪夢にはすべてくねくね虫が出演という旦那の、いみじくもイモ虫にかけた同じ言葉でした。


posted by じゅうよっつ |16:40 | 動・植物 |

2010年07月09日

内気なキュウリ

まるで作った人の性格そのままではないですか~!(???)

20100709-00.jpg



posted by じゅうよっつ |22:16 | 動・植物 |

2010年07月07日

ザ・コーヴ(続き)

昨日は寝るときもまだ、映画の内容を引っ張ってたんですが、イルカ漁(イルカもクジラの仲間ですから捕鯨の一種とも言えますが、この場合、わかりやすいように大型クジラのそれとは区別して)ってどのくらいの歴史があるんだろうとか、どれくらいの収入になるんだろうとか、どれくらいの太地町の人が関わっているのだろうとか、いろんな疑問がわいてきました。

確かに、太地町には長い捕鯨の歴史があるけど、太地の捕鯨というと、絵巻ものにでてくる、セミ鯨というずんどうで泳ぎの遅い大型クジラが代表格のようになってます。(もっとも今はセミ鯨は捕れませんが)
昨日の映画によるとイルカ漁は、船から大きな音を出し網で追い込む漁だったので、昔でもできなくはないんですけど、捕鯨と同じように、イルカ漁も歴史がふるいのでしょうか?
大型クジラの捕鯨とイルカ漁は、別の方が携わってらっしゃるのかしら?
あるいは、捕る方だけでなく、イルカを食べる文化もまた、太地町には古くから或るものなのでしょうかね。

昨日は、第一次産業は国の補助無しに続けるのが難しいと書きましたが、もしかしてイルカ漁の収入ってそんなに悪くないのでしょうか。
もしかして、国の援助無しに独立してやっていけるほど収入あったりするかしら?
イルカを水族館に売るのは、ほぼ太地町のイルカ漁のみ。ただ、海棲ほ乳類を飼育する館はだんだん減ってきているので、イルカの需要も少なくなってきているかもしれません。
イルカ肉の需要のほうはどうなんでしょう?需要過多?供給過多?

映画には映っていなかったけど、知りたいことがでてきました。
やっぱり情報は、いろんなスタンスから得ないと、正しく判断できません。
人間、いきなり責められると、自己防衛のために貝のように閉ざしてしまうものですが、ここは、同じようにやっぱり太地町の方も、自分たちの思ってること、やってることを公表してくれないかなあと思います。

posted by じゅうよっつ |23:12 | 映画 |

2010年07月06日

ザ・コーヴ

福島ではやってない映画「ザ・コーヴ」を見るために、仙台に行って来ました。(ややネタばれです)

和歌山県・太地町のイルカ漁を取り扱っているため、上映させるのさせないのと言う時点で既に話題になりましたが、見るなと言われると見たくなるのが人情ってもんです。
第一、誰かが映画を見る権利を勝手に奪っていい法はありません。
やっぱり見てから考えたいと思いました。

映画の中心を流れるのは、元イルカの調教師で、日本でも大いにはやったアメリカTV映画「腕白フリッパー」のフリッパーも調教したリック・オバリー氏のイルカに対する気持ちです。
日本では、映画中のイルカ漁のことだけに焦点が集まっています(確かに一番のインパクトです)が、おそらく彼が映画に載せたいメッセージは、太地町に限らず、世界中のイルカを自由にしたいと言うことです。

彼は、調教師としてイルカとつきあううち、囲いの中でイルカを飼うことには無理があると考え始めたんですが、解放運動に向かう引き金になったのは、フリッパー役のイルカのうちの一頭が、鬱状態になり、最期は、オバリー氏の腕の中で自殺した(意識的に呼吸~海上に噴気口を出して息をする~をしないと呼吸できない鯨類であるイルカが、意識的に呼吸しなかった)のを見たときだそうです。
彼は、フリッパーで儲けたお金でイルカを買い戻して解放すれば良かったのに、いい気になって車なんか買ってしまった、と自嘲的に話していました。

太地町では、彼を含む映画の製作者と、「この場所やこの場所には入らないで」とか、「イルカ漁に反対するのが目的ではないですか?」など一応、彼らに確認をとるのですが(一応いい返事)、もちろん彼らの目的は、なんとかイルカ漁の様子、特に、イルカを追い込んでいるところでなく、その中から水族館などに売るためのイルカを除いた食料となるイルカをと殺する現場を撮ることです。
そのために集めたスタッフが凄腕揃い、映画の小道具専門家(カメラを岩に見立てた中に隠す)や、素潜りの名人、どんな凄い場所でも撮影してきたというカメラマンなど、一流の腕の人間が太地町に集まってきます。
当然、こんな大がかりな計画に、1つの小さな漁師町が太刀打ちできるものではないことは明らか、見つかったりしながらも、隠し撮りの撮影は成功しました。

映画を見る前に、どんなシーンでも感情的には見るまいと思っていました。
と殺の現場は、イルカでなくても、どんな食料とされる動物の場合も、それが見るに忍びないものであることは想像がつきます。
もともとは、それだって各人がやらなければ食べられない約束だったわけですし、ここで感情移入してはいけないと自制しつつ、それでも、血を噴きながら逃げようとするイルカが沈んでいくシーンなど、感情的にならずにおれないシーンもありました。
(が、それは同じ生き物として当然の感情でもあるわけですしね。)

ただ、この映画、私には、かわいそうなイルカを救おうと果敢に挑むヒーロー映画には映りませんでした。
やっつけるべき悪者不在の映画です。
イルカへの純粋な思いを語るオバリー氏にも、生活のためにイルカ漁をする漁師さんの側も、おそらく双方とも、根っこのところに悪気はない、それなのにぶつかり合わないといけないのは、見ていてつらいところです。

責める側も抵抗する側も、相手を間違えているような気がするんです。
映画のストーリーに悪者が必要なら、それはもっと別のところにいるような気がしてなりません。

オバリー氏(前に彼の本を読んだときにはあまり共感してなかったんですが。たとえば、水族館から解放したあとのイルカが野生で生き残れるのかと思うと、あまりに無責任に感じて)の側から言うと、彼のイルカへの純粋な気持ちには共感できるものがありましたが、それを映画にしようとするととたんにうさんくさいものもつきまとってくるものです。

太地町の側から考えると、日本の第一次産業で、国から何の補助も受けずにやっていける産業なんてないと思いますが、太地町の漁師さんも、そうだと思います。
昔、ホエールウォッチングを始めようとする町の役場の方とお話する機会があったんですが、ホエールウォッチングは始めたいけど、国(農水省)からの補助金がでなくなるような方向(反捕鯨とか)のイメージになると漁業を営む町としてはまずいという思いもあるようでした。
それに、正義を真っ向からぶら下げて来られたら、逃げ道なくなっちゃいますから、漁師さんたちの中には、意固地にならざるを得ない部分もあると思います。
(でも、漁師さんって一本気な、わかればとことん分かってくれるような人が多いんです。)

文化の違いもあると思います。
考え方や感じ方、交渉の仕方、互いが各自正しいと思ってきたやり方で真っ向勝負するので、混じり合うところを見失ってる感じがします。

映画の中では、イルカ肉の水銀量についてもインタビューがあっています。
イルカは食物連鎖のほぼ頂点にいる長生きの動物なので、補食する下位の魚の体内にある水銀が長年に渡って蓄積されるためです。
今日のニュースによると、そのインタビューをうけた准教授が、反捕鯨のために使われるとは思わなかったのでと、シーンの削除を求めているそうですが、それが圧力によるものなのか?データが間違っていたのか?どうして削除を求められたのか、理由が知りたいところです。
(本当にそのデータが正しいのなら、隠しておくような数値ではなかったんですから!)

どうも、とりとめない長文になってしまいました。
尻切れトンボですが、エネルギーがそろそろ終わりです。

posted by じゅうよっつ |22:59 | 映画 |

2010年07月04日

言葉って面白い

フランス代表のメンバーが監督の指示に従わずにののしったことで、代表追放になったと言うニュースが載ってました(ここ)。
でもこの選手が言った言葉、随分と正確に日本語に(意)訳してあるものだから、何か凄いことのように感じましたが、逆に英訳してみると、よく言われる言葉だったんですね、2文とも。

よく映画なんかでもでてくる、「Son of a b●●」というやつと「F●● your a●● hole」っていうやつ。
日本語のけなし言葉でも同じだと思いますが、たぶん、本当にその意味で使っている人は少ないですから、この場合、訳す必要があったかどうか・・・。
訳したことでかえって凄い印象を与えることになった感じもしますが。

考えてみると、言葉って面白いです。
完全に慣習化して使われている言葉には、もともとの意味ほどのことが含まれてない場合が結構ありそうです。

「すみません」って、相手にとって「すまない」ことをしていると自覚してるのにそれでも何かをやろうとしているのだから、そうそう簡単に通るものではないってことだし。
でもやってる方もやられる方も、だいたいそんなに真剣には考えてません。

「ごめんなさい」を分解してみると、「ごめん」してくれと相手の都合関係無しに頼んでいるんだから、結構厚かましい意味合いかも。

よく子供が喧嘩で使う、「おまえの母さんでべそ」は、ほんとうに母親がでべそかどうかなんて関係無しに、なぜか、それが侮辱する言葉と素直に受け取られちゃうんですから。
(だいたい母親がでべそだからってなぜ侮辱されたことになるのかも不思議ですが。)

posted by じゅうよっつ |15:41 | 言葉 |

2010年07月03日

新幹線であった本当の話

新幹線に乗っていると、たいてい何度かは、売り子さんが飲み物やお菓子、おみやげなんかをワゴンにのせて売りにくるのに出会います。
寝てるときなんかだと、ちょっとうるさいなあなどと思いながら、たいていは無関心に、通り過ぎるのを待っていることが多いようで。

あの日も、そんな、いつもと変わらない日でした、あの売り子さんに出会うまでは・・・・。

ぼんやり外の風景を見ながら、聞くとはなしに聞いていたアナウンス。
「・・・・はいかがでしょうか?おみやげに・・・東北名産・”親の薫製”・・・」

えーっ!親の薫製?!
”おや”って、まさか”親”?
でもたしかに”おや”と。

2度目のアナウンスはしっかり聞き耳を立てておりました。
「・・・ほやの薫製・・」
よおく聞くと、”親”でなく”ほや”でした。
しかし、抑揚として”ほや”は下がる感じ、”親”の上がり調子とは違います。
彼女が上がり調子で”ほや”と発音したものだから、”親”と聞き間違えたようで。

でもこれ、私的には大いにうけました。
そうか、食うに困って、とうとう親まで薫製にして売ってるのか、などと、ブラックユーモアをひとりごちておりました。

posted by じゅうよっつ |21:32 | 旅行 |

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