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2019年04月02日

踊りたくない

なにか大勢がわいわいやっていると、よくも悪くも、気後れして一歩引いてしまう自分がいます。
だから、流行にはついていけず、ずっと遅れます。
ただ、何か問題がないか、考える時間はあります。

今回の新元号もそうです。
「平成最後の・・」という文句をさんざん聞き飽きていたこの数ヶ月。
今度はきっと「令和最初の・・」という言葉を聞き飽きるんだろうなあ、くらいにしか思えません。

誤解ないように言いますと、天皇陛下やそのご家族のお話や行動には共感を持っています。
(これは右とか左とか関係なく、お人柄というものです)

でも、新元号を決めるのはあくまで政治的なもの。
(政治的でなければ、親が子の名前を決めるのと同じ、皇太子が自分で名前を決めて問題ないはずですし)
新元号が決まるんだというなにか実態のないけど喜ばしい感じのものに対して、政府が日本国中を踊らせているような印象を受けます。

オリンピックと同じです。
スポーツという純なものを盾に、政治が動いている。

私にはどちらもやっぱり素直に喜べません。

posted by じゅうよっつ |20:20 | 考えごと |

2019年01月08日

不毛な争い

このところ毎日のように放送されている韓国駆逐艦から自衛隊機がレーダー照射を受けたという問題について、韓国と日本の言い争いを見ていると、なんだか子供が「誰々ちゃんが先に叩いた」「違う、誰々ちゃんだ」(←日本と韓国)と先生(=対外国)に言いつけて、自分の正当性を主張しているのと重なってきて、もういいかげん聞き飽きてきました。
どうやっても埒のあかない議論に思えるんですよねえ。

効果があるとすれば、国民の反日感情、反韓感情をそれぞれに煽ることができるくらいでしょうか。
それが政府の政策に役に立つことはあるかも。

今回のことに限らず、何かにつけて、お互い、相手の言ったことに「いや、そうでない」と難癖つける。
隣同士なのに、なんとか仲良くする方向に進みたいと考えているとは思えないのが、とても不思議です。

posted by じゅうよっつ |19:45 | 考えごと |

2018年11月18日

マスコミの正義

このごろずっと、アメリカのCNNが面白いので、見ていました。
トランプさんと真っ向からやりあっている。
あれだけ卑劣な手段で脅されても、公平な目とやり方で彼を批判している。
すごいと思います。さすが。

それに比べて、日本のマスコミの政府への遠慮しいしいはなんとも情けない。

先日来、麻生氏演説「人の税金で大学に」という記事が出てます。

彼の言ってることはいうまでもなく的外れな批判ですが、記事の弱気具合がなんとも情けない!
麻生さんの失言・暴言癖はもう慣れっこだということかもしれませんが、マスコミがそれを認めてはいけない。
「不適切だとの指摘も浴びそうだ。」と結ぶのでなく、ここは「不適切だ」と結ぶべきところ。
そして、どうしてそういう事を言うのか、どうしてそれが正しくないことなのかを詰めるべきところ。

自分の身が危ないところはそっとしておいて、美味しいところだけつつくというのは、本来の仕事ではないはず。
もっとマスコミとしてのやるべきことに誇りを持ってほしいです。

posted by じゅうよっつ |17:03 | 考えごと |

2018年10月07日

隣国への配慮

俳優の国村隼、「自衛隊の旭日旗論争、望ましくない」
で国村さんが言ってることに同感。

自衛隊として旭日旗を掲げないことはありえないという気持ちも理解できないことはないですが、その旗を過去の戦争で被害にあった韓国(あるいはそれを見てきた他の国)がどう思うかもまた、十二分に配慮しないといけないこと。

このニュースを聞いたとき一番に思ったのは、もしドイツの自衛隊(があるのかどうか知りませんが、そういった国の代表が、という意味で)が、ナチスの旗と同じ模様の旗を掲げていたとしたら、ドイツ国民はみなれているとしても、他の国民がみてどう感じるか?
その意図は全く違います、と説明があったとしても、多分、え?ドイツって危ないかも、と少なからず脅威をかんじそうです。

幸い、ドイツはよその国民にたいしても、自分たちがしたことについても、謙虚な気持ちを持っている印象なので、そんなことはおこらなさそうですけど。

自分中心でかんがえていると、対外的に見て、危ないことになってることは世界を見回しても、あちこちで起こっていることだと思えます。

どうも日本って、あるいは日本政府って、といったほうがいいのか、韓国や北朝鮮、中国と仲良くやっていきたいという気持ちが薄い感じがします。
それが国民全体に伝播しているような。

でも、お隣さんと仲良くやっていくことって国でも個人でも、大事なことです。
そこが始まりですもん。

posted by じゅうよっつ |13:50 | 考えごと |

2018年09月12日

地球規模で考える

昨日、東京オリンピックのためのテストセーリング大会の開会式で、イルカショーが行われて大会参加者に不愉快な思いをさせたというニュースがでてました。

イルカショーの是非については別の機会で、として、今どきこんなことを世界大会でやるということに呆れました。

今の時代、イルカを水族館で飼うということ自体、世界的に見て、どれほど異様なことなのか、関係者はおそらく理解してなく、ただセーリングのイメージからイルカのショーを思いついたのだと思います。
でも、せめて、水族館の職員からは、それやばいでしょ、という疑問の声を上げるべきでした。

それと同じことは、日本に限らず、どこの国のどんな考え方や情報にだって起こりえるんじゃないかと思います。(以下の文章は”情報”にしてますが”考え方”についても同じです)

井の中の蛙、という言葉どおり、一国(あるいは一地域)から出る情報が、世界的にどのような位置にあるものなのか、わからない場合が多いです。
つまり、偏った情報になる可能性が大いにあります。

今回問題になったイルカの飼育の話だと、多分、関係者の方々は、それを非難しているのは一部の過激な環境保護団体だけなのだろうと考えていたと思います。
だから、一般人にとっては、どこの国の人でも問題ないだろうと。

よく言われている環境保護のスローガンに、「地球規模で考え、地元で行動しよう」というものがありますが、情報についても、同じことが言えそうで、情報はできるだけいろんな側面から見てみることが必要なんでしょうね。
今のネットやテレビで国際ニュースを受信しやすい時代では、そんなに難しいことではないはずですし。

もしかして、このニュースを見て、「別に違法でもないことをやってるのに文句を言わないでくれ」と反感を持つ方もいたかもしれませんが、ずっと以前、日章旗を掲げたサッカーの日本サポの応援に不快感を覚えた相手国のときと同じ、だからやっていいということにはなりません。
むしろ、それならやめましょうというのが大人。
どこの国も独立独歩やっていけるところはなく、常に相手を考えないといけないんですから。

偏った情報は、国家的(あるいは地域的)に何かを進める時に、時に進めやすく、住んでいる人にとって納得しやすい場合もありますが、それで間違った方向に進んでしまう危険な場合もありそうです。(戦争とか・・)

posted by じゅうよっつ |19:24 | 考えごと |

2018年09月08日

これから

今回の北海道の地震で、被害はもちろん、その後、食料が不足したり、同じ商品ばかりの並んだコンビニ(それでもありがたかったですけど!)や、ガソリンに大行列したりする風景が、2011年の福島と重なって、自分にまだ引きずってる部分があったんだといまさらながら感じています
とても他人事には思えない。

完全に元に戻ることはなかなかだけど、日本だったら内地からの物資や援助も徐々に届くし、必ず、立ち直れます。
(って、引きずってると言っときながら、説得力ないですけどね!)

2011年当時、「いったいいつくらいまで、大きな余震に(気持ちも物も)備えないといけないのかな」というのが、一番知りたかったことでした。
誰も答えるのが無理なことだとはわかっていても、人間、いついつまで耐えてくださいと言われれば割とそうできるけど、いつまでかわからないと言われれば精神的にとてもつらいものです。

で、やはり大きな余震には、しばらく、例えば1か月、2か月、1年、正確には言えないけど、心と物の準備はしておいたほうがよかったように記憶しています。
当時一度、コンサの試合をテレビで見ているときに地震が来て、家具を抑えながら見ていたのを思い出しました。
それくらいのことができるくらい、余震は結構あったのだと思いますが、地震に慣れて見くびるのはまずいけど、慣れてました。

もちろん、今回の地震もそうだ、とは言えないわけで、そんな怖い思いはもうない、あるいはあまりないことを願ってますけど、そういう理由で、片づけはほどほどにしておいたほうがいいです。
落ちたものは、元に戻すとまた余震の時に落ちる可能性もありますし(あれって、気力が萎えます)、しばらくはぐうたらを決めておいたほうがいいかも。


福島では、緊急のものはすんでますが、まだ、震災後の建物の修復が続いています。
仮設もまだのこっています。家を建てるなんて、なかなか、人生2度もできることじゃないですもんね。あと除染もあってるし。

多分、北海道でも、その前の台風で大被害をうけた関西や四国、中部にしても、完全に元に戻るというのは、インフラは戻っても、なかなか長い時間がかかるんじゃないかと思います。

でもあの当時、Jリーグの試合はしばらく止まってましたが、チャリティの試合が仙台であって、久々にサッカーを見た時の嬉しさは忘れられません。
日本中いろんなところで、心配していただきましたが、災害にあって苦しい時に、苦しいところをすぎればその向こうにはそれまでの日常があるんだという光のようなものがみえることも必要だったんだと思います。
だから、日常に戻れるところから今まで通りの生活に戻っていくもことも、苦しんでいる人に手を差し伸べることになるんじゃないかなと思います。

posted by じゅうよっつ |13:18 | 考えごと |

2018年09月02日

翁長さんの仕事

翁長沖縄知事の奥さんのインタビュー。

多くの政治家が、ここまでの覚悟をもって、住民や国民、地域や国のことを思って働いていたら、この国は、もっとクリーンで、もっと多くの人がずっと心穏やかに幸せになりそう。
(それに比べてなんだ、この政府の卑怯な上から目線の脅しは!!と思った。)

政治に限らず、どんな仕事であっても、命をかけて真摯に全うする姿勢、そんな仕事を見つけたことも含めてすごいことだな。

働き方改革とかで、時短や休みが増えることばかりに目が行ってしまいますけど、実際になにかを動かしている人って、そういうのに関係なく影となり働いている気もします。
まあ実際、そういう恩恵をこうむれるのは、大企業だけで、アリのようにコツコツ働くほとんどの人間には関係ないことなのでしょうけど。

posted by じゅうよっつ |18:30 | 考えごと |

2018年08月13日

翁長さん

サッカーでは自分のポジションに応じて、その役目を1分1秒ももらさず忠実に果たさないと、好き勝手していてはチームとして成り立たないわけですけど、それは、他の職業や地位であっても、そうなんだと思います。

私利私欲や、地位や役に固執して保身に走るのでなく、自分の役目に忠実であること。
それを貫き通すのは、とても難しいことでしょうが、翁長さんは、まさに命を賭して沖縄のために国を相手に戦って来られたんだと思いました。

最後の頃は、ほんとうに顔色も悪くて痩せてて、大丈夫か?と思わせるほど華奢でしたが、それでも彼の目はいつもまっすぐ前を見つめていました。
私利私欲でなく、正義を貫く姿勢は美しかったです。

もしかして、正義を貫くというのは、政治家のすることではないのかもしれません。(特に今の世の中を見ていると)
でも、やはり、世の中、正しいことより都合(経済なんか)や多数の暴力を優先させていて、明るい未来があるようには思えません。

沖縄のためにこれほど情熱をかけて一生を送った人は、もういないかもしれません。

「なぜウチナーンチュは自分で持ってきたわけでもない基地を挟み、いがみ合うのか。誰かが上から見て笑っていないか」

これからどうなるにしても、沖縄の方々が自分たちがこれを選んだんだと納得できる結果になることを願っています。

posted by じゅうよっつ |19:10 | 考えごと |

2018年07月09日

未曾有の災害とマスコミ

カンニング竹山、首都圏マスコミは「他人事みたい」 豪雨被害で「報道特番ないんだ...」という記事を読んで、まったく同感。

日本は一極集中しすぎなんですよね。
被災地ではまだまだこれからなときに、東京で起こればどうだとか、そういうのは、ローカルでやってほしいと思います。
被災地で頑張らざるを得ないで働いておられる方々は、そういう言葉にひどく傷つきます。
そうか、うちはもうどうでもいいのか、と。
そして、実際、被災地以外の人の気持ちはそういうふうに変わっていってしまうことも恐ろしい。

3.11のとき、原発関係の記者会見に参加する機会がありましたが、あの時、「東京は大丈夫でしょうか?」と質問した記者さんをいまだ忘れられません。
会見場は福島、事故が起こったのも福島で、一番に助けが必要なのも福島。
東京さえ良ければいいの?

あのころ、福島のあちこちで放射線の説明をしてくださってた先生が、ある全国版のTV番組で、どなたかの質問に「困っているのは福島なんですよ」と答えた時、スタジオにはちょっとムカッとした雰囲気が漂ったのを覚えてますが(あの頃いろんな専門家がテレビにでてましたが、それ以降、その先生の出演はなくなった)、私は、福島のことを第一に考えてくれてる人がいて、冷静に状況を説明してくれる人がいて、ありがたかった。

昼のワイドショーの、ミヤネ屋さんが、オウム関連の死刑執行の日が今回の大雨被害からもう少しずれていれば、という話をして批判されたようですけど、あれも私は同感でした。
刑の執行と災害が重なったのは、偶然でしょうからどうしようもないことですが、気持ちとしては、1分でも1秒でも多く早く被災の情報を得たい、というのが被災地や、被災地を心配する人たちの求めるものだったと思います。

”被災地復興”というありがたい看板を掲げている東京オリンピックの、どうのこうのとか楽しいニュースは、どうぞローカルでやってください。
ましてや、そんなときにエンタメなんてやってる気はしれません。

posted by じゅうよっつ |20:34 | 考えごと |

2018年04月16日

復興とオリンピック

熊本地震から2年という節目で、家をなくした方々の再建が進まないという記事をよく目にします。
福島だっていまだ仮設がある状態。
熊本の再建が進まないのも納得(しちゃいけないんですけど!)できます。

そういうときにいつも考えるのが、東京オリンピックです。
家を建てる大工さんが足りない。
その原因は、福島と熊本での需要、そしてオリンピック需要だそうで。

もし、熊本でも福島でもなく、東京の地震で沢山の方が家を失っていたとしても、仮設や仮住まいをしている人々のその横で、オリンピック会場を建設していて平気でいられるのだろうか?
文句は出ないんだろうか?と。

もう2年あるいは7年経ったこの時期に、被災された方々に必要なものは、早期の(とはもう言えないですが)再建でなく、オリンピックの聖火を見ることでしょうか?

posted by じゅうよっつ |20:04 | 考えごと |