コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2011年11月12日

共に作り上げていくということ

昨夜は札幌交響楽団の定期演奏会に出向いていた。
演目はベートーヴェンの交響曲第4番と5番で。
現在定期では「ベートーヴェン・チクルス」の最中であり、今回が中間点、来月は4回目としての2・6番をやって、最後が第9となる。

クラシックの演奏会では、演奏最中に静かにしているというのが、まあルールではある。しかし実際は結構物音がするのよね。
生理現象としての咳はともかく(しかしそれとて、本体は我慢できるレベルなはずだが)、なぜかその時にやらなくてもいい探し物をするような物音には閉口してしまう。
本人は自分だけ、小さいことだと思っているようだけれども、音響の良いkitaraだけに遠く離れていても充分伝わるので、勘弁して欲しいのだな。

演奏会は、演奏者がいて、それを観衆がただ聴いているだけのものではない。
演奏会の良し悪しは、単に演奏者の力量だけではなく、聴く側の姿勢も問われ、全体としての評価という見方もありだと考えるのだな。

すなわち演奏会を作り上げていくには、一方だけが良ければそれでおしまい、ということでもないのだろうという考え方ではある。


漫画「GIANT KILLING」については、今更解説不要である連載ものであるが、NHKではアニメ化したものをすでに4回くらいやっているのかな。

でアニメの方の最終回というのは、HDDに録画したものを時に見直すこともあるのだが、その中で有名になった「カレーパーティー」が出てくる。
まあここでの教訓は、チームはピッチ上で戦っている11名だけではなく、スタッフ・サポーターも含めたすべてであるようなところに結びついていくのだが、今のコンサの状態は過去にないくらいそこに近づいているのだな、というのが雑駁な個人的意見で。


何度か繰り返しているように、過去3回の昇格年は、基本「先行逃げ切り型」できたから、今年の今時分には、ハラハラどきどきするようなことにはなっていない。

ここにきての状況は、必ずしも思い描いたような感じではないけれども、しかしチーム全体としてのあり方としては、むしろ過去にないくらい理想的な方向に来ているのではないのか、と。

少なくとも他人事のように、「勝って欲しい」とか「勝てればいいね」とかの意識ではなく。

「共に戦って、共に勝利を」という姿勢がより鮮明になっているのだな。


だから、というのではないけれども、コンサはJ1に上がらなければならない存在であることを見せなければならない。

私の周囲にある、日和見的なあるいは評論家的な見方を喝破すべく(別にKAPPA様にかけているのではないが)、厚別に向かうものは全力でその場に向き合わなければならない、と何やら朝から力みすぎていますか。


偉そうな言いようになりますが、試合を作り上げていくのはその場に居合わすすべての人の力だから、気を緩めることなく共に作り上げていきましょう(だからお願いだから、変な審判は来ないでね)。


posted by akira37 |05:24 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)