2006年02月24日
感動について
今朝の話題はやっぱりこれでしょう「フサイチタツノリ」。
失礼しました。
ええしっかり見ていましたよ。いつも4時台にはしっかり起きていますから、生観戦は問題ないのですが。
五輪が始まる前、惨敗したスノボのある男子選手が「感動を与えたい」みたいなコメントをしていました。若造のくせに、というよりこの表現日本語としても変。
感動は「する」ものであって、「与える」ものではないだろうに。
この言葉を聞くとこう言い返したくなる。「余計なことを考えずに、全力を尽くすだけでいいです」
今朝の場合、最終グループについてははらはらしながら見ていたわけです。
ただね、不思議なもので荒川のときは全部邪念が飛んでいったというのか、久々に意味もなくうるうるしてきていました。
これって何でしょうね。これが「感動」なのでしょう。
勿論競技である以上順位がつけられるわけですが、この時は点がどうだとかメダルがどうだとかはすっかり飛んでいる。
全力を出し切ったアスリートというのは、こうも美しいものだろうかとしか考えていませんでした。
そしてそれが結果として反映されたことを素直に喜べばいい。
posted by akira37 |07:42 | その他 | コメント(1) | トラックバック(0)
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この記事に対するコメント一覧
Re:感動について
感動の意味と若造の日本語表現についての御意見、同感です(笑)。私も今朝、少なからず感動しました。
“余計なことを考えず”は、必要なことを全てやれば自然と生まれる状態かもしれませんね。そして、それが“全力を出し切ったアスリートの美しさ”に通ずるのかも。
邪念や煩悩にみちて生きている凡人である我々だから、その研ぎ澄まされた美に打たれてしまうのでしょうか。嬉しいような、悲しいような…。はっ、私、素直に喜んでませんね?スミマセン!
posted by MasaMaru | 2006-02-24 09:51