コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2018年11月30日

16年前を思い出しながら

今朝起床してみますと、外は一面真っ白な札幌なのではあります。
いやあなんだかんだ言ってもちゃんと冬はやってきますな。
予報では今日明日は基本降雪が主体、まずは外出時に気を引き締めて行きましょう。


もうあと一日半もすれば、結果が出ているのかと思えば不思議な感じがしますが、その前提にこんなことを考えるなどとは誰が予想したでしょう。

当初の予想からすれば、J1残留争いを想定したのかもしれませんが、まさかのACL出場争いになるとは。
少なくとも最低でも明日どちらかのチームの出場が確定するのですから、ここは流石「日程くん」を褒めるべきなのでしょうかね。


さて16年前の話を今朝は持ち出すわけですが、勿論それは明日の一大イベントに向けてのことではあるのですが、それが今日であることも重要なわけで。

2002年Jリーグ ディビジョン1 第2ステージ最終節が今日だということです。

この年の相手も広島なのですが、開幕戦もアウエイでそうだったという相似形がまずあります。

開幕戦は1-5のボロ負けでした。最初の試合だけで順位が決まることではありませんが、当然に得失点差もあってうちは最下位で、最終結果もそうなるのですが、相手は首位からまさかの降格争いになっていたわけです。
確か広島は過去ステージ優勝はありましたから、J史上初めてその経験チームの降格危機でもあったわけで。

まあ最終節を迎える段階で、相手は数字上残留の可能性があったものの、得失点差でほぼ絶望的だったと記憶しておりまして、試合開始前に「2003年J2第0節」の弾幕がでたことは結構印象的ではありました。

まあ試合の方は5-4でうちがVゴール勝ちするわけですが、この年限りでVゴール方式は終了、最終節で延長になったのはこの試合だけで、結果最後のVゴール達成者は現在も記録となっているわけです。
まあ改めるまでもなく、それは曽田でしたが、途中出場でハットトリックというおまけ付きの記録、当然に長く記憶に残ることではあります。


まあこの試合、いろんなことがあって、まさかその後に、というのもあります。

この試合、相手GKが負傷交代したのがJ初出場、そしてそれがまさかうちに来て仙台を経て、また戻って、恐らく明日もスタメンであろう彼だという部分は一番大きいでしょうかね。

勿論試合に入ってしまえば関係ないことではありますが、まさかの因縁が廻ってくるとは、でもあります。


細々書いてみても明日その場に行けば関係なく集中するだけですが。

いやはや今から何とも言えない気分ではあります。

posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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