2016年04月21日
ライフライン
いやたまたまなのかもしれないのだろうが、タイトルにある言葉を初めて見かけたのが昨夜のことである。 過去の大震災においては、このことがまず前面に出ていたような記憶があるのだが、今回はどうも様相が違うというのが本音ではあって。 正直実感が伴いにくい当地にあって、今一つ緊張感が得にくいのは、そんなことも影響しているのかもしれないと考えるのだが、いかに。 そして東京中心レベルでいえば、最初の発生から一週間もしないうちにニュースのごく一部の扱いになっている。 過剰な同じことの繰り返しよりはマシだろうが、一方で亡くなられて人の葬儀の様子の映像なんてものはいらない。 これについては殺人事件の被害者の時でも感じていることだが、身内だけで共有すればいいだけのことであって、マスゴミが刺激的な映像を求めるがあまりに関わるのは止めてほしいのだな。
地震関連のニュースとして、国が23億円を出すというのが出てきた。 まあ確かに金額としては一見大きいのであるが、他方で外国に何千億円というのを見ると、微々たるものにしかならない。 相変わらず見栄えのいい、外ずらだけは立派な行為ではあるな。 これでは日本国内のことよりも外国の方が大事だ、と見られても致し方ないだろう。 困難に立ち向かう姿勢が見えてないのはあまりにも悲しい。
加えて出てくるのが、国会議員の幼稚な発言のオンパレードだ。 全くいちいち取り上げるのが馬鹿らしくなるくらいのレベルの低さで。 驕り高ぶれば、もはや慎重になることすらならないんだろうなと。
またタイトルからずれたまんまか。 相変わらず考え続けている。 もっと行動に移さねばと忸怩たる部分を抱えたままなのだがね。 ただ懸命にやっている人々に対して、安全な場所から揶揄する輩だけは許せないのよね。 いい気になっている野郎を見ると、いくら年上ではあっても、リスペクトの欠片もない言動には唾棄するよりないのだと。
おっとまたはしたなくなってしまった。 まあそれだけ安定していないことでもあるのだが。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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