2014年08月27日
まず受けとめからの
界隈は殺伐としている感覚で。 いや判らない人には判らないことであろうが、かの如くの成績ではなかなかに明るくなれないのは事実ではありましょう。 苦しい先に希望があるとでも考えていないとやっていけないのではありますが、しんどいことは否定できません。
さてタイトルが何を物語ろうとしているのか。 少なくとも事実はまず事実としてから、というのが第一義で。 それが自分の主張に反しているからと言って、無理を通してでも反論するのは誤りだろうと。 いやいい歳した大人が意外とやりがちなことではあるから、そこはまず冷静に見極めないと。
次に簡単に信じないこと。 ニュースなどはその典型で。 別段今の報道姿勢に注文を付けるだけでなく、そもそもニュースには「編集」が必ず入るのだから、いくらでも恣意的にできることは感じていた方が良い。 単純に信じることは危険。実際ありえないかもしれないが、仮にニュースで自分の存在を否定する見解をやったとしたときに、ではそれを実行しますか、ということである。
最後は自分の考えで責任を取ること。 いや問題が起きるたびに、何かのせいにするのは容易いのだろうけれども、それで納得できますかね、ということ。 苦しくとも最後は自分の考えで責任を帰結させないとならないのです。
と偉そうな御託を並べている感じでもありますが、他人の意見に左右される人生が楽しいのか、ということでもあるのでしょう。 世の中には意に反したことがたくさんあるものですが、いちいち振り回されてしまっては体が持ちません。 少し批判精神を持って見るくらいが健全に近づけるのかもしれませんな。
まあ正直なところ、そんなに凄いわけでもない存在ではありますが、見失わないようにはしていきたいものだと、模索は続くのではありますよ。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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