2013年09月05日
そこにある異常と平穏に見える異常
いやあスッキリしない天候が続きますね。 札幌に関して言えば、夏の当初はずっと雨がなかったようなのが、ここに来て取り戻すかのような勢いもあって。 またそれが不安定な形でくるから、予報もまちまち傘は常に手放せない。 ニュースで大雨の被害が映し出される時に感じるのは、これがいつ何処であっても不思議でない、今や特別なことでもないのだろうという感覚であって。 決して他人事にはならない、次はすぐ側で起きたとしてもおかしくはないという意識を持つことに至るのだな。 それにしても程度を超えているというのはあるのだろう。ニュースレベルに至らないレベルでも、ちょっとした恐怖というのはすでに何度か経験してきたことだし、こういうのも過去にはちょっとない。
一方で、という表現が正しいのかどうか、ニュース素材として大きいのは2020年五輪が何処に決まるかのことで。 私自身は正直あまり関心がない。 それ以前のことがあまりにも大きすぎる実態もかたやであるのだが、単純に報道量に辟易している部分もある。 何日も前から現地入りして云々というのが出てくれば、いったいその費用たるやどうなのか、その分をもっと有効に使う場があるのではないのかとも考える。 更にはそうしたことから浮かれているかに見えるマスコミというのもあるんだろうな。 何か違う。違和感は常につきまとう。
マスコミの違和感ついでに言えば、スポンサーである新聞紙上で移転10年目の公についての連載記事というのもある。 私自身は直接触れていないのだが、他のブログやツイッターを見るところに拠れば、評判はあまりよろしくない。 どうも他人事のようになってしまっている部分が大きいのか。少なくとも当事者意識はない模様。 まあ他のことについても決して反省する気など更々ないのだろうから、その点で期待するのは難しいのではあろうか。 何もスキャンダラスなことを求めているわけではないのに、彼らはさも我々がそれを欲しているかの如く言われてしまってはたまったものではないのだな。 まあ期待するだけ無理だから、こちらは自助努力で選択していくよりないのだが。
とまあなってしまうのも、身近にまた無責任な状況を見ることが多いからでもあるのだが。 嘆息だけは減らない。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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