2013年02月21日
2002年のシーズンパス
ちょっと上手く撮れていないけど、これが実物である。 コンサが旧JFL時代・J加盟時点では、私自身の勤務地が室蘭だったので、シーズンパスを所持はしていなかった。 2001年夏に札幌に転勤となったので、2002年から所持するようになり、これが自身第1号。以降今年で12シーズン目になる。
今回のネタは、あるときふと思い立っての理由がある。 改めるまでもなく、彼らはその後コンサを出てJ1でも主力なっていくのであるが、改めて見れば、今年はコンサがJ2なのに、彼らの所属チームと対戦するのだという事実を認識したからであって。 うーん何とも微妙な気分。
因みにこの裏には日程が載っているのであるが、今にしてみれば興味深い内容ではある。 まず開催地であるが、厚別はわずか3試合しかなくて。 こんなに少なかったのだろうか、というのが第一印象。 そして開場時間は、ドームの場合キックオフの3時間前だったということ。 まあ当時はまだ公が来ていなかったのだから、自由に使える機会は多かったのだから、観衆面での対応も必要だったということだろう。 今からすれば、当然に複雑な気分になってしまうのだがね。
2002年といえば、日本でW杯開催があった年で。 札幌ドームは前年開業していたのではあるが、その準備のためにシーズン当初は使えない。 W杯中断前の日程は、まずもってドームがないときと同じ状況であった。 ホーム開幕は前年同様に春野で。今ではありえないが、アウエイ3連戦があり、残りのホームは室蘭と函館のみ。 ナビスコはこの年からJ1のみで、予選リーグを4チームによるH&A6試合となったのだが、確か「ホット6」とか言って、すべて中2日、GW中心に集中開催したのだな。 コンサのホーム開催は、3試合とも違う場所、厚別は初の4月開催があって。という状況ではあったから、6試合すべて違う場所ということでもあった。 現在水戸の監督をしている当時のコンサの監督の顛末については、あえて触れない(苦笑)。
昨日スケジュールポスターが出てきた。 恒例により、私もポスターサポーターに参加する。 毎度思うことではあるのだが、デザインは贔屓目があるにしても他チームにひけをとらないと思っている。 それだけに奈良の背番号が昨年のままで見えてしまっているのは惜しい。
posted by akira37 |04:41 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(0)
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