2011年04月26日
悼みつつ、細かいことが気になる
正直故人の肉声の音声が出てきたのに驚いたのが、昨夜のニュースではある。自身の亡き後のことまで考えていたような部分においては、ちょっと真似ができるようなことではなくて、むしろ残された側には難しい気分も出てくるような感じもしている。
弔辞を聞きながら感じるのは、ファンの間では「ちゃん付け」であっても、当人同士では「さん付け」なのね、ということで。 だから「スーさん」と表現されると、「釣りバカ日誌」の社長が連想されてしまうのは、不謹慎と思いつつ、我ながら困ったものだな、と。
関心を持っていたHPに変化が出た。 揖保の糸はさすがにトップから消えたが、同時にコメントも出したのだな。そうかこんなに長くCMに出ていたとは知らなかった。 ここまでの関係を築かれたことは、羨ましい気持ちである。 一方故人の最後の仕事になったであろう、ナレーションの番組については、ひっそりと名前が消えたのだな。 これについては正直ちょっとどうなのかな、という気分がある。少なくとも一言あってもいいような気はするのだが。 番組は関東ローカルだから、こちらで確かめるすべもないのだが、今夜放送があるので現地で見られる人は確認してほしいところで。 果たしてナレーションは差し替えられるのか。放送上でコメントの表示があるのか。 細かいといえばそれまでだけれどもね。
これらの映像を見るにつけ、自分の時はどうなるのだろう、とも考えるのよね。まだまだ先のこと、と言えない年齢だし、急に何があったとしてもおかしくないからね。 普段一人の時間が多いだけに、余計に考えてしまうのかもしれない。
posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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