2010年06月25日
さあどう書くつもりか
うまく行く時というのはそういうものだ、との試合が終わったわけだ。 どういう心境になるか、もあったのだが、勝って嬉しくない訳がない。 W杯直前の状態からして、3連敗もあり、と予想した人が多かったであろう。 そのこと自体は、別に不思議な感情でないにしても、だからといってそれを望む人は、通常の神経でないはずである。 ところが、それでもそれを望まない人もいたのだな。 わざわざ単行本までだし、週刊誌の連載でも意地を張っていた人が。
「週刊朝日」に連載している、最新号にあるその人の文章を改めて見直したのだが、やはりおかしい。 勝利を醜いと言い、敗北が感動的だと言う。 単純にどういう感覚かとも思う。 そもそも相手がある競技においては、相手によって戦い方を考えるのは当たり前のことである。 こういう大会において大事なのは、まず何としてでも勝つことであって、内容を求めるのは二の次だろう。 ましてそれが「少年たちに影響を及ぼす」からといって、イコールそれを真似るという論理の飛躍には恐れ入るしかない。 何としてでも自分の思考に導きたいのだな。 そしてオランダ戦は素晴らしかった、という。 しかし善戦しても負けは負けである。 卑下する必要がないにしても、負けの事実は変わらない。 下手に美化する事のほうが悲劇を起こす。 冷静に読み流すと、結構支離滅裂な気分にもさせられる。 単に自分の論理に酔っているとさえ感じる。 素直な気持ちがなくなると、こんなにも酷い展開になるのか、とも率直になる。 今日の結果を受けて、果たしてこの作者はどんな文章を書くのであろうか。 非常に興味深い(苦笑)。
さて今日の試合は、主審が酷かった。 前半2枚の遅延行為と思われるイエローはないだろうし、後半のPKも極めて怪しい。 それでも勝っているのだから、価値はあるのだろうね。
比喩としては妥当でないのだろうが、高校野球でいえば勝ち上がるたびに強くなる無名チームに近い状態なのか。いや身近なところで言えば、コンサの2006年の天皇杯での躍進にもあるのだろうか。 試合を重ねることで強くなる事の典型なのかもしれない。
勿論手放しでどうこう、ということではない。 ただ今は今なのであって、将来を語る次元ではないのだろう。 そのことを理解せずに、虚勢を張ったいわゆるスポーツライターたちは、これからどう書くつもりであるのかは、一種の見ものではありますな。
posted by akira37 |05:33 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(1)
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