2010年06月10日
思考停止しない生き方
昨夜は寝つきが悪い感じがすぐにあった。 何とか寝たものの、寝苦しさから一旦目覚めたのが0時1分(ビデオデッキの時計で確認)。その後の起床が3時47分頃。 このくらいで、実のところ余裕は無くて1日がスタートしている。 連日疲れを残しているような日々であるが、一つには最高気温20度超の環境にまだ慣れていない部分がある。 もう一つといえば、常に考え続けている状態があって休まらないからだろうなあ、と。
何度も似たようなことを書いてきて恐縮だが、嫌いな報道の一つに「街の声」の多用がある。 こんなのは卑怯で無責任な手法だと考えるのだがいかがだろう。 少なくとも判断は我々の手に委ねてほしいものなのだよ。 報道は事実に徹するべきであり、用語面で難しいもの以外の解説は不要だし、まして身勝手な感想・意見はミスリードにしかならないのだから、止めてほしいのだな。 まあ本来はそんなのが出てきた時に、自らの判断で忌避すればいいだけのことではあるのだがね。
最近の話題の中に、所謂問題作とされる映画の上映中止、というのがある。 私などは、何でそんなことをするのかなあ、という考え方なのね。 物事の良し悪しなどは、判断材料があってこそできるもので、入り口部分で遮断するやり方はおかしい。 むしろそうする事のほうが不自然。 本来感じ方は人それぞれになるのだから、圧力を持って判断材料を奪うやり方では理解が得られないでしょう。
与えられるものが常に正しいものでないことくらいは、いい加減学習していていいはずなのだろうが、見受ける感じでは相変わらず流されているとしか言いようがない。 「誰かが言っているから」という言い分は、一見もっともらしいけど、そこに自分はないから、責任もないのだな。 そんなものを信じろ、と言われて説得力があると思います? 自分の言葉で語られないものに対して、簡単に同調を求められるのは空々しいだけでしょう。 虚勢だけを張ったところに価値などは見出せない。
容疑者は推定無罪の状態である。一方的な見方で最初から犯人扱いの姿勢でいるのは最低でも避けたいものである。 内閣が変わって支持率が上昇、などというのが報じられているが、その数字に怪しいものを感じる方が自然な気がするけど、どうも思われます? 勝手な見方でつけられる形容詞に対しても、そのまま信じるような姿勢は避けたいものである。 こうやって私の頭の中は休まらないのであります・・・。
にしても相変わらず人の足を引っ張るのが好きな世の中って、単純に寂しいものを感じずにはいられないものではあります。
posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)
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