2009年01月03日
温故知新
意味は改めて説明するまで無いことではあるのだが、何故このようなことを持ち出したのかを少々説明。 この年始は幸いに個人的にはFMが充実しているものだから、TVは基本無視で関わっていて。 それを聴きつつ年末で一旦中断していた後片付けを再開したような次第で、その中にかつてアウエイ観戦した時の資料がBOXにあったものを、初めてひっくり返して今となっては旬なものが出てきた。 現在では道外の競技場としては一番行っている等々力。その一番最初の訪問時が2003年6月のことであった。 金曜夜の試合。曽田のバックパスを今野章に奪われて0-1で敗戦したのだったな。スタッツを見ると、相手DFに箕輪の名前があって、試合後の反省会をした居酒屋での扱いがひどくてこんなところでアウエイの洗礼を受けたのか、とかの印象であったのだが、記憶としては間違いないでしょうか、関係諸氏。 その試合で手にした資料を見ると、今のマッチディ・プログラムと比較にならないくらいに質素(悪く言えばお粗末)なものであるのだが、その時の川崎の監督が石崎氏である。 この試合が第16節、それまで1敗しかしてなくて好調だったはずだが、最終的には勝ち点差1でJ1昇格を逃して監督解任となったのではあります。 ちなみに先ほどコンサの2004年のオフィシャル・ガイドブックを見たら、監督の名前が間違っているのだな。手元にある方は、ご確認を。 さて今日の主眼はそこからではない。 タイトルからの想像では、まああながち間違った方向ではないのだが。 最近の世の中の傾向として気がかりなことを書きたくもあって。 それは過去を懐かしむばかりで、新しきを知ることにはなっていないのではないのかと。 「昔は良かった」だけでは何も生まれないよね。そこから学ぶことをしなければ、進歩は無いのに。 元日に首相が何か言ったらしいけど、勿論世界的には無視されている。 威勢のいいことを言ったところで、中身が伴わなければ、訴えるものがないことの典型でしょうなあ。 いささかまとまりのないところは、正月ゆえあれで、と逃げてはいけないのだが。 ただかようなことについて、流すのではなく、もっと注視しないといけないということです。
posted by akira37 |04:50 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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