2013年07月13日
人が先か、経済が先か
人間は学習する動物とよく言われますが、少なくとも、歴史から学ぶことはあまりできてないんじゃと思うことがあります。 今の中国は、経済成長を重視するあまり、公害や、不十分な調査や不備による本当なら防げるような事故、量産を目指したための食物の汚染などに苦しんでいるように見えるんですが、それらは、日本を含め、いろんな国がかつて70年代に経験してきたこと。 その日本に住んでいるものから見れば、過去から学べば、そうなる前に、もっと賢く太刀打ちできそうなのに、と思えます。 他の国に学ぶのはプライドが許さないというのもあるでしょうが、その行く末がわかっているのにその道を進むのは、あまりにも無駄がおおい気がしてしまいます。 でも、渦中にいると周りが見えないことは大いにありそう。 また、自分(の国、政策)だけは正しい、他とは違うという、はたから見れば楽天的にも見える思いは、どこの国にも自然とあるんだと思います。 (そうでないと、やってけないですもんね) 逆に、日本にいる自分たちも、ほんのちょっと前、自分たちの国で今の中国と同じようなことをしてしまった(そういえば、コピーがうまい国~皮肉で~とも言われてましたよね)のを忘れがちなのを考えると、これはもう、他国から学ぶなんて、程遠いことなのかもしれません。 「歴史は繰り返す」とはいえ、ただ、やっぱり、歴史の中でおこったことを、他国のことはいざしらず、せめて自分たちがやってしまった失敗を繰り返すことだけは、幾らかずつでもやめていこうとしないと、技術の進歩しているいまでは、その昔の失敗よりももっとひどい結果を導きかねないと思います。 福島の原発も、もともとは、大企業や経済成長を優先させるために、より多くの電気を安定して安価で供給するという目的が、予備の電源を作っておくとか、防波堤をもっと高くするとか、そんなまず起こりそうにない地元のための事故対策より優先して作られたのだろうと思います。 (ただ、起こりましたけど・・) 戦後、日本が大企業優先、経済成長優先を急ぎすぎたための、そしてそれを政府に許した私達への、少し遅れてきた、しかしとても大きなしっぺがえしの1つでしょうね。 原発を再稼働するしないとは別に、そういう経緯についての反省は、大いにし、繰り返さないようにしなければならないのだと思います。 さらに、戦後60年以上がたって、「戦争を知らない子供」やその二世、三世が多くを占める世の中で、戦争に向かっていく気配を楽天的に受け止めてしまうことに、とても不安を感じてしまいます。 プライドも、自己中心的な正義も、それらを政治が利用して国民を動かすことはとても危険に見えます。 ゲームや映画や、いろんなところで偽物の(或いは他所事の本物の)戦争に慣れていることもあるのでしょうね。 でもそれだって、日本はほんの半世紀前に反省したばかりなんですよね。
posted by じゅうよっつ |20:37 | 考えごと |