2011年06月05日
覚悟のとき
昨日の近藤選手のシュートが、あまりにすばらしくて、すべてのもやもやをずどーんとかっさらって、ゴールマウスに突きとばしてくれたような気持ちになれたので、まだ元気になれるんだと、嬉しくなりました。 実際、今福島に暮らすコンサのブロガーさんもブログに来られている方々も、他の多くのコンササポの方のブログを見ながら、ああ、自分もたしかに、3月11日まではあそこにた、はやくあそこに戻りたい、ともがいている最中だと思います。 コンサのことを考えているときは、普通にもどれた気持ちになって、でもまた現実に引き戻されて・・・その繰り返し。 空元気もやってればいつか本物の元気になると考えているのに、それをいつまで続ければいいのか分からない状態では、カラのままかもというどうしようもない悲しみに襲われることもあります。 何もないのに吐き気がしたり、早く家事が済んでいいわ、と浅い眠りの言い訳したり。 そういうのって、地震や事故直後より、今頃でてくるのかも。 ちょっと、疲れました。 ここでコメントを受け付ける気力も体力もなくなりましたので、コメントは受け付けない、に設定し直しました。 また元気いっぱいになったら、戻すかもしれませんが、当面は無理。 今、何も考えず、世間の波にまかせていれば、もう少しは気楽になれるかもしれません。 でも、それでもニュースや新聞(うちはもうとってないですけど)やネットをみるたび、放射線や原発に関連するものを目にしないことはないし、直接関わってくる福島に住んでいるものとしてそれを無視する事もできません。 否が応でも関わってくるというのが現実。 実際、そうやって、どちらかと言われれば、原発なんてイヤだわと私を含め多数の人が思っていたにも拘わらず、実際には放射線についての勉強(これは、ほんとうに事故前にしておくべきだった!)も、反対運動も、東電に安全対策をたしかめることも、何もしなかったツケが、今回の事故でもありますし。 お子さんの放射線の年間限界値が、20ミリから1ミリシーベルトに押さえる方向に変わりましたが、1ミリは、事故前からの日本での年間限界値です。(実際には今回の事故に関係なくそれを越え、自然からでる放射線量が福島市と同じくらいある地域は、県外の日本国内、海外にも、現在も過去にもあります。) 20の時には下げろ、1になると、どっちが本当だ?という風に、下げるように交渉した父兄の皆さんご自身が、とまどっているのは、一寸疑問です。 誰かにまかせるのでなく、自分たちでもっと勉強して、どちらにしたいのか、納得し、決めるべき事です。 やみくもに危ないといっていれば、大丈夫なわけではないです。 実際には危なくなかった時、ああよかったねで、すまされる訳でもありません。 そういわれたことで避難することになった人たち(いや、しない人でも)の生活、お金、精神的負担も関わってきます。 子供たち自身にもストレスがかかります。 そして、いったんそれが実行されれば、自分たちが決めたのだという覚悟をもつ。 分からないままでなく、各人が、それくらいの覚悟を決めなければならないときだと思います。 政治も放射線対策も、今は、誰か(あるいはどの団体)の主義や主張が通った、勝った!なんていう次元であってはなりません。 あらゆる人の知恵を出し合って、冷静に長い目でベストなものを探す時です。 それはきっと将来、地震大国日本や世界中の原発で、起こって欲しくはないけど同じような事が起こった時にも役立つはず。
posted by じゅうよっつ |16:06 | 考えごと |