2011年05月09日
放射線に政治が絡まったとき
ツイッターなんかでは、まだ、これから福島市から市外(たぶん県外でしょうが)に避難する方もおられるようです。 私も同じ場所にすんでいるので、放射線については、長崎大の先生の講演に始まり、研究者の話やニュースなど、いろいろと注意してきたつもりです。 もちろん、いろんな情報を集めた上で、何を信じてどう理解し、対処するかは、各人の自由ですから、避難する、しないもその一つ、それぞれが納得して決めればいいことです。 ただ、その情報が、原発反対(や賛成、いればですが)に利用するために操作され、情報が曲げて伝えられるのは、決してあってはなりません。 それは、原発の反対の力にはなるかもしれません。 ただでさえ放射線は危ないという方向の情報は、受け入れられやすいですし。 でもこれは、今、放射線に苦しめられている我々の存在をあまりに無視したものです。 今、一押しされればパニックになるかもしれない気持ちを抑えながら、この場で働いて、暮らして、生きていることをまったく尊重してくれてないことになります。 たとえば、そうやって今から避難しようとしている家族は、ここでの生活も仕事も家も友達もあとにして、出て行くわけです。 これから1からやり直しかもしれません。 もしかしたら、今までここで重ねたキャリアを生かせず、そこでの生活は苦しいかも。 影響はたぶん、その方が関わっていた方にも多少とも及ぶでしょう。 でも、それが、必要以上に恐怖をあおった情報からきたものだったら、その家族の新しい場所での生活に慣れるまでのエネルギーや、お金や、いろんなものを誰が謝ってくれるんでしょう?保証してくれるんでしょう? ほしいのは、正しく解釈された正しい情報。 素人考えや中途半端な解釈ではありません。 そうでないと、そんな人や家族に大きな犠牲を強いることになることをわかってほしいと思います。
posted by じゅうよっつ |20:55 | 暮らし |