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2010年05月14日

基地と地方

「祇園の暗殺者(’62年公開)」という私の大好きな映画(残念ながらマイナー・・)には、先日亡くなられた佐藤慶さんが、徳川幕府の倒幕急進派のリーダー役として出演されていて、同じ派でありながら無意味な暗殺に疑問を持ち始めた主人公にこういいます。

「君はもう人を斬りたくないんだろう。敵でも味方でもないものはやはり敵なんだ、君はどちらを選ぶ?」

今、ニュースの焦点になっているアメリカ軍基地を何処に移すか(移さないか)という問題でも、日本の各自治体の長の方々に、この言葉を投げかけてみたいなと思ったりします。(もちろん、最初のフレーズは無しで!)

基地を移そうと政府が交渉している徳之島と、基地問題を抱えている沖縄、加えて演習を持ち回りで受け持つことになるかもしれない九州の各自治体は当然、この問題に関わっていますが、ほかの地方の自治体は、まるで何事もないかのように、とてもおとなしい気がします。

この場合、黙っているというのは、中立を保っていることではないと思います。
むしろ、基地問題で困っている自治体にとっては、自分のところでなければいいという消極的な(でもやっかいな!)”賛成”と感じていると思うんです。
上の佐藤慶さんのせりふで言えば、「(基地の政府案に)賛成でも反対でもないものは、やはり賛成してることになるんだ」と言うことでしょうか。

基地が、何処へ持っていっても歓迎されないことは明らかで、ここは全国の自治体が団結して反対してもおかしくないのに、あたかも自分のところでなければいいかな・・と暗に賛成している様子なのが、とても気になります。
日頃、世界で類を見ないほど中央集権国家の日本で、こんな時だけ、地方の方頼みます、なんてことをだまってさせてる法はないんじゃないかしら?
決してどこか1つ(あるいは複数)の自治体に偏って負担をおわすべき問題ではないのに、どうして政府に対抗せず黙っている(特に日頃、地方分権に熱心な長の方々が!)のかが不思議です。

ちなみに映画では、その言葉に賛同して次々暗殺に向かう仲間達を目の当たりにした主人公は、やむなく再度暗殺に加わり、その後、仲間によって悲劇的な最期を遂げることになります。
しかし、そんな主人公1人の苦しみなど全く意に介しないかのように、京都の暑い1日が今日もすぎていく、というシーンで映画は終わりです。

現実の日本でも、あれだけ大騒ぎしたのに、結局は一部の地方の人たちの不満が、大勢の人たちの沈黙に押さえつけられてしまった、ということにならないといいのですが!

posted by じゅうよっつ |23:04 | 考えごと |