2009年07月12日
野次を考える。 -野次に一工夫を-
前回の私の野次に関する記事に対して、 様々なコメントを頂きありがとうございます。 チームが勝つことを期待して、このタイミングで議論を始めたわけですが、 いきなり目論見がはずれました(苦笑)。 しかし、過大な期待を寄せられても困るので、予め申し上げておきますが、 野次について何か画期的な解決法があるとは思っていません。 なぜなら、どうやったところで野次はなくならないと思うからです。 私が考えるのは、“野次の根絶”ではなく、“野次との共存”です。 また、野次を全否定するつもりもありません。 ですから、前回、野球の野次の例を挙げた意図は、 まず、野次といっても全てが即“悪い”という訳ではないのではないか? という問題提起のつもりでした。 これについては、ある程度、共感を得られたものと考えています。 すぐるさんが表現した“聴かせる野次”というのが存在する。 また、Ryosukeさんが、前回の記事に対して、 >適切であれば多少の言葉の悪さは我慢します。 というコメントを寄せてくれています。 そこに、野次との共存のヒントがあるのかなと。 そのポイントは、おそらく“的確な野次”と“ユーモアのある野次”は、 意外と周囲の人に受け入れられる可能性があるということです。 したがって、野次に関する最初のアプローチは、 野次そのものをちょっと変えてみようという話です。
posted by whiteowl |09:11 | Column | コメント(0) | トラックバック(1)