スポンサーリンク

2011年02月07日

八百長の徹底追及に“正義”はあるのか?

昨年は、ちょっとした“正義”論ブームでした。

きっかけは、NHK教育で放送されていた「ハーバード白熱教室」という番組。

アメリカの政治哲学者サンデルが、
嬉しそうに功利主義者、リバタリアンをこきおろす番組・・・
解決の難しい社会問題を題材に、社会的“正義”とは何かを考えさせる番組でした。

前回の記事に頂いたコメントやトラバを読みながら、何か似てるなぁと(笑)


ただ、今回の八百長問題に関して、“どや顔”で“国民の期待を裏切った責任”とかいって、
相撲協会を追及するマスコミに正義はないと、私は思うわけです。





まず、なぜ私が、相撲の八百長は大した問題じゃないと割り切れるのかと言えば、

“相撲はスポーツではない” と思っているからです。


相撲も体を動かすという意味ではスポーツかもしれませんが、
競技としてのスポーツは明確なルールが決まっていて、
そのルールの中で競われるから意味がある。

確かに、相撲にもルールはあります。

しかし、相撲をスポーツとして考えた時に最大の問題となるのは、

“ドーピング” です。

大麻問題の時に話題になりましたが、相撲はドーピング検査をしていない。


これは、もし筋肉増強剤を大量に投与して勝っている力士がいたとしても、
取り締まることが出来ないということを意味しています。
ドーピングは相手と示し合わせているわけではないので、八百長ではないのでしょうか。

そもそも、あれだけの体重を維持するために、かなり体に負担がかかっています。
ある意味、あの異常ともいえる体重そのものがドーピングと言えないこともない。

ここに歯止めがない状態で、他のスポーツと同列に語っても虚しいだけだと思うからです。


誤解のないように書いておきますが、私は、相撲のことをさげすんで、
スポーツではないと言っているわけではありません。

スポーツの文化は西洋の文化です。

例えば、柔道はオリンピック競技となり国際的に広まりましたが、
次第にルール化され、日本古来の武道の精神は次第に薄れていっています。

国際的に普及したいのなら、曖昧な部分を普遍的なルールとして明文化して
相撲もスポーツ化すればいい。

しかし、相撲を日本の伝統文化とするなら、スポーツ化するなどもってのほかで、
むしろ清濁含めて今ある形を保護しなければ、相撲の文化は失われていくだけです。

きれいな部分だけ残すことなど本当に出来るのでしょうか?


マスコミが、そこまで考えて相撲の八百長を批判しているとは思えません。






また、先日取り上げた道新の卓上四季の記事のように、
徹底的に八百長にまつわる真実を追及した結果に“正義”があるとも思えません。


例えば、過去の八百長まで追及した結果、
郷土の英雄の偉大な記録に泥を塗り、おとしめ、多くの国民の失望を生み、
その結果、大相撲の人気が失墜する結果になったとしてまで追及する
“真実”とやらに、一体どれ程の価値があるというのでしょうか。

多くの人を失望させ、多くの人間を不幸にするかもしれない真実の追及に
一体どんな意味があるというのでしょうか。

意味があるというのなら是非教えていただきたい。






ただし、これが政治や経済の問題なら話は別です。

例え、相撲の八百長で金銭がやり取りされていたとして、我々に大きな実害はない。

一方、政治経済の問題は、我々の税金の使われ方など実害があるわけです。


まだ、マスコミが、全ての不正を許せないという高尚な理想の下に
記事を書いているのなら理解もできます。

そういう意味では、週刊誌の方が一貫性がある(笑)

しかし、実害のある方の追及は腰砕けで、
実害のない相撲に対しては国民の名を語って正義を振りかざす。


“強きを助け、弱きを挫く” という姿勢に、
どうしても“正義”があるとは思えないんですよね。




posted by whiteowl |15:00 | Column | コメント(3) | トラックバック(1)

スポンサーリンク

スポンサーリンク

トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.consadole.net/whiteowl/tb_ping/752
この記事に対するトラックバック一覧
相撲のある国日本 【LOVE さっぽろ】

大相撲がまた新たな問題を抱えています。 この影響で春場所の中止も決定、残念なことです。 今朝の北海道新聞3面はその大半、 記事のすべてと社説の半分が大相撲です。 その社説が、不正は微塵も許すまいとの正義感に満ち溢れた強い論調に終始している一方で、 記事の中にあるスポーツライター玉木正之氏のコメント。 「日本にとっての相撲を問え」との大きな見出しとともに、  ・大相撲は「神事」「興行」「格闘技(スポーツ)」の三つの要素から成り立っているイベント。  ・この三本柱が、揺れながらもバランスを保ち、修正しながら歴

続きを読む
この記事に対するコメント一覧
Re:相撲とプロレス

しょーもないコメントで申し訳ないのですが、相撲と昔はガチだと思われていたプロレスに似てるような気が・・・。

また、プロ野球のドラフトにしても、話題作りのために、わざと昨年は成績が急落して宜しくなかった日ハムに、斉藤 祐選手を”回した”、と勘ぐりたくなるのですが(汗

posted by dale| 2011-02-07 16:16

Re:八百長の徹底追及に“正義”はあるのか?

ドーピング検査してないスポーツって、オリンピックに縁が無い競技はみんなそうですね~
オリンピックに関わると、いわゆるカッチリした競技指向のスポーツになってると思います。

前のエントリーのコメントにも書きましたが、星のやり取りをお金でするようになると、やの付く自由業の方が入ってきちゃうので、「国技」として残したいならどうするか知恵を絞った方がいいと思います。

マスコミも商売なんで、楽して儲かる方に行くから、庶民のリテラシーが向上しないと、こういう報道はなくならないでしょう。「正義」でなくて「商売」として追及してるんですよ。それこそ、「興行」ですね~

以前上岡竜太郎が地上波で素っ裸の女性の局部を自分の頭で隠して、トークするという企画をやってた時
「批判するなら、見なきゃこっちも商売にならないから、こういう下品なネタはやりません。批判される方はチャンネルを変えて下さい。」
という発言をしてて、なるほどなーと関心したものです。批判するなら新聞読むなって,テレビ見るなって事なんですが、コンサのスポンサーは道新というジレンマ・・・orz

posted by langu| 2011-02-08 09:28

Re:八百長の徹底追及に“正義”はあるのか?のお返事。

>daleさん

確かに、相撲にはプロレス的な要素もあると思いますよ。

作為があったかどうかはしりませんが、
ドラフトは完全ウェーバー制にすべきなんじゃないですかね。

>languさん

>ドーピング検査してないスポーツって、オリンピックに縁が無い競技はみんなそう

具体的に何を想定して書いたかって言えば、メジャーリーグです。

ドーピングによるホームラン記録の取り扱いです。

オリンピック競技にしたいのなら、徹底的に追及すればいいと思いますが、
する気がないなら、そもそも徹底的に追及することに意味が感じられない。

>星のやり取りをお金でするようになると・・・

確かに、道義的に問題だと思いますよ。

しかし、八百長の定義が曖昧で、人によって解釈も許容範囲も違う。

例えば、じゃあお金のやり取りが問題なら、
それがなければ、八百長をやってもいいのかってことです。

そこに皆が納得するようなラインを引くのは難しいと思うんですよ。

>「国技」として残したいならどうするか知恵を絞った方がいい

徹底追及した後に、一体何を新しく作る気なのかって事です。

まっさらにするなら、“設計図”がなければまたいびつな形のものが出来上がるだけです。

設計図もなく、ただぶっ壊せというのは感心しないということです。

>「批判するなら、見なきゃこっちも商売にならないから、こういう下品なネタはやりません。批判される方はチャンネルを変えて下さい。」

ただ、こっちも道新が自らをタブロイド紙だって言ってるなら問題にはしませんよ。

見たくない奴は見なければいいってのは、基本的に責任ある立場にある人はいっちゃダメだと思うんです。

それなりに影響力があるわけですから。

だって、例えば、一国の首相が私の意見に賛成したくない奴は
私の事を無視すればいいって言いたいかもしれないけど(笑)、それをいっちゃぁお終いでしょう。

posted by whiteowl| 2011-02-08 13:49

コメントする