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2006年04月29日

関浩二



どんなに寒くても半袖姿の「熱い男」でした。
忘れられないのは1998年12月5日、そう室蘭でのJ1第3参入決定戦です。関はこの年の10月になって、入れ替え戦をにらんで獲得したFW。リーグ戦は4試合出場し、無得点。入れ替え戦はこの日も含め4試合とも出場しました。この日の室蘭は雪に見舞われ、私もスキーウエアを着込んでの観戦。その寒さの中で関は半袖でした。涙なくして語れない試合は福岡に0-3。試合終了の笛とともに号泣する関の姿は忘れられません。移籍してきたばかりなのに、こんなにチームを愛してくれていたのか、と感極まったものです。

翌99年、J2で25試合出場で6得点。残念ながらシーズン後、戦力外となり、チームを去りました。ストライカーとしては物足りなかったかもしれませんが、妙に記憶に残る選手でした。天皇杯は2年で5試合3得点と天皇杯男でもありました。コンサとの縁は続き、コンサドーレ退団情報によると、2003年にジュニアサッカースクールの指導者になり、04年からU-12のコーチを務めています。ぜひともあの「熱い気持ち」を未来のコンサを担う選手たちに注入してほしいと思っています。

写真のカードは左と中央がJカード、右がカルビー、いずれも平塚時代のものです。


posted by papa12 |11:45 | 思い出の選手 | コメント(0) |

2006年04月28日

コンサドーレ札幌「赤と黒」の奇跡



J1に昇格した2001年7月に北海道新聞社から刊行されました。HFCの特別協力の下、北海道新聞情報研究所編です。四六判260ページ、税込み1260円。1996年のチーム発足以来の歩みをつぶさに紹介しています。
発売と同時に購入し、すぐに読み終えました。チームよりも、コンサドーレを取り巻く人間模様に焦点が当てられ、とりわけ熱いサポーターなどがたっぷりと取り上げられており、たいへん興味深い内容です。さまざまなサポーターの活動ぶりは本当に勉強になりました。CVSやすいか隊などの貢献ぶりも見逃せません。コンサから広がるビジネスチャンスから経営問題、そして未来像まで描かれ、サポーター必読の書と言えるでしょう。

コンサを取り上げた単行本としては、これまで唯一のものだと思います。今でも北海道新聞社やアマゾンのネット販売で買えますが、ブックオフの105円コーナーあたりでよく見かけるようになりました。実は初めて105円コーナーで見たとき、思わずもう1冊買ってしまいました。カミさんから「家にあるのに」と責められましたが、「こんな良書が105円なんて…」という思いからでした。コンサが成績低迷とともに人気も落ち目となって売られたんだろうか、などと考えてしまいます。皆さん、この本を105円コーナーに眠らせておくのは惜しいので、見つけたらぜひ買い占めましょう。

そういえば、コンサドーレ10年史「夢に挑む」が7月に刊行されます。DVDつきで6300円。こちらはチームの歩みそのものが中心になるようですね。ちょっと高いですが、希望選手の直筆サイン入りというのがサポ心をくすぐります。私は印刷になりますが、選手全員にしようかと思っています。皆さん、HFCから購入しましょうね。


posted by papa12 |20:46 | 思い出 | コメント(2) |

2006年04月21日

深川友貴


コンサを初めて生観戦した1998年にセレッソ大阪から移籍してきたFWが深川友貴でした。当時、転勤で室蘭に住んでいた私は高校サッカーの影響でやはり室蘭大谷高出身者を応援していました。当時、コンサには道産子選手がまだ少なく、それだけに貴重な存在でした。ただ、吉原宏太ファンの娘ら家族に、深川を応援していると、「えーっ、シブすぎる」と言われたものです。コンサでは98年Jで24試合2得点、99年J2で36試合5得点、2000年J2で13試合1得点、01年J1で11試合無得点と、後半はけがに泣きました。戦力外となって02年に水戸でプレーして引退、03年からコンサユースU-18のコーチを務めています。
児玉社長のブログ「近未来のコンサ」によると、4月5日の草津戦で一時、道産子選手5人が同時に出場、さらにベンチに1人いました。コンサが文字通り北海道のチームになりつつあり、喜ばしいことだと思います。深川コーチには引き続き道産子選手をトップチームに送り続けるよう育ててほしいと願っています。

写真のカードは左が2001年Jカード、右は同年のイレブンスターズ。セレッソ時代にもカードになっていますが、コンサではこの2枚だけのようです。


posted by papa12 |22:47 | 思い出の選手 | コメント(6) |

2006年04月14日

「妙なる天空の音色」


2002年に「住友順子『夢のつづき』プロジェクト」として取り組まれた「コンサドーレ札幌メモリアルCD」です。
HFC営業部社員だった住友順子さんはこの年の8月1日、若くして病気で亡くなりました。残されていた「短かったが懸命に生きてきた生涯の証を残してほしい」というメッセージから、このCD収録の企画が持ち上がったそうです。収録は8月31日に厚別で行われた柏戦で行われました。通常より開場時間を繰り上げ、ゴール裏にサポーター有志らが集結。ご遺族を前に、応援歌やコールを収録しました。私も上の娘と2人で参加し、目頭を熱くしながら精いっぱい歌いました。「コンサのサポは素晴らしい」と心にまたひとつ刻み込みました。応援歌7曲にコールやサックス演奏1曲を収録したCDはこの年の11月17日、札幌ドームで行われた名古屋戦で入場者全員に無料で配布されました。応援歌を聴ける貴重な音源ですが、残念ながら非売品のため、いまでは入手できません。ブックオフやヤフオクで見かけることはありますが。

この年のコンサは奮闘むなしくJ2降格が決定。翌年からJ2暮らしが続いています。でも、このCDを聞くたびに、熱い思いがよみがえってきます。亡くなった住友さんの夢も、私たちサポーターの夢も、まだまだ続きます。


posted by papa12 |21:44 | 思い出 | コメント(9) |

2006年04月10日

パソコン&インターネット事始め

職場などでいじってはいましたが、ようやく自分のパソコンを買ったのは室蘭に住んでいた1997年、NEC製のウィンドウズ95でした。パソコン通信のニフティサーブに加入したものの、メールで使うくらい。そのうち世の中はインターネットに移行し、最初はニフティ経由でネットを見たりしていましたが、OCNに加入。ダイヤルアップで確か月に利用10時間までのコースだったと思います。当時はそれで十分だったんですね。毎日見るようになったのは2000年に札幌に引っ越し、ADSLに加入して使い放題になってからです。パソコンはその年の暮れにSOTECのMEに買い替え、昨年秋に日立のXPに。ADSLもどんどん速くなり、もうダイヤルアップには戻れない体になりました。

というわけで、コンサ関係のホームページに入り浸るようになったのは2000年からです。公式ホームページを手始めに、ネットサーフィンの結果、行き着いたのが、公式ホームページより先に開設されたコンサ・デ・コンサをはじめ、コンサイズムコンサドーレ札幌インフォメーションなどです。このうち、インフォは今も活発ですが、コンサ・デ・コンサやコンサイズムは残念ながらほとんど更新されていないようです。ほかに当時見ていたホームページもかなり姿を消しました。やはりチームの長引く成績低迷も影響したのでしょうか。寂しい限りです。
そんな時に登場したのがコンサドーレ札幌オフィシャルブログです。間違いなくサポーターの情報交換、交流の場になっています。そのうえ、HFCの児玉社長のブログによると、運営するWEBOSSさんから入金があり、新しいHFCの収入源として期待されるとか。サポが盛り上がり、チームを鼓舞し、そしてHFCに金銭的なメリットをもたらすように、私も微力ながら、ブログを続けていかなければ、と思いました。

posted by papa12 |09:56 | 思い出 | コメント(5) |

2006年04月03日

アルシンド


Jリーグの思い出で書いたように、J発足時は鹿島を応援していました。その中でも、私のヒーローはアルシンドでした。日本に来る前は無名の選手で、神様ジーコに呼ばれて来日。抜群の決定力であれよあれよとゴールを量産、地域おこしで注目されてはいたものの、優勝争いとは無縁と思われていた鹿島を1993年前期で優勝に押し上げた最大の功労者です。1967年生まれ、身長175センチと体格に恵まれていたわけではありませんが、ここぞというときは必ず決めるストライカーでした。一躍人気者になった彼は独特の髪型から「カッパ君」などと呼ばれ、かつらのCMにも出ました。鹿島で93年に22得点、94年に28得点を挙げ、移籍したヴェルディで95年に19得点でした。余談ですが、ヴェルディはもともと嫌いだったのですが、私はよりによって鹿島からアルシンドを金で横取りしたと思って、ますます嫌いになりました。それとともに、金次第で移籍するサッカー選手のありようにもちょっと寂しさを禁じ得ませんでした。

そして96年に誕生したコンサドーレはなんとアルシンドを獲得。さほど熱心に応援していたわけではないのですが、華のある選手が来るのがうれしかったものです。ところが、JFL開幕から2試合目の富士通川崎戦で審判に暴言を吐いた(バカと繰り返したらしい)ため退場となり、4試合出場停止の処分。出場停止明け3試合目の徳島戦で再び退場、2試合出場停止処分。ついにアルシンドは6月11日に退団を発表。コンサでは出場わずか5試合、1得点で去ることになってしまいました…。決定力不足が語られる今のコンサからすると、本当に惜しい天才ストライカーだったと思います。

いったんブラジルに帰り、翌97年に再びヴェルディに戻り、16試合、10得点を挙げますが、往年の輝きは失われていたように思います。その後、テレビの「あの人は今」といった番組で、祖国で大農場の経営者として紹介されていましたが、今はどうしているでしょうか。蛇足ですが、アルシンド獲得のためにHFCがつぎ込んだ移籍金や年俸は相当な額だったらしく、巨額の累積債務をもたらし、経営難が長く続く一因ともなったようです。

写真のカードは鹿島とヴェルディ時代の上段がカルビー、下段がJカード。コンサでは球団配布カードがあったようですが、残念ながら私は持っていません。


posted by papa12 |12:36 | 思い出の選手 | コメント(6) |