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2007年02月25日

開幕戦

開幕戦は、シーズンの行方を占う意味でも、長い48試合のうちの1試合という以上の重みがあると思います(とはいえ、昨季の横浜FCは初戦の敗戦で監督のクビが切られ、その後、J1昇格を果たすとは夢にも思いませんでしたが)。北国のコンサドーレの場合、地元で練習ができず、長いキャンプが余儀なくされて迎えるだけに、選手たちは苦労が絶えません。しかし、冬が厳しければ厳しいほど、春を待つサポーターの気持ちは高ぶります。

コンサドーレにとって、長く開幕戦を道内で行うのが夢でした。2002年まではアウェイで開幕が当たり前で、最初のホームゲームも高知県春野や仙台などで開催。3月末か、4月初めに室蘭で道内開幕を迎えるのがやっとでした。私が見た室蘭の道内開幕戦は1998年4月4日のJリーグ第4節、ガンバ大阪戦(1-0で勝利)と99年3月28日のJ2第3節、サガン鳥栖戦(2-3Vゴール負け)で、いずれも天候に恵まれましたが、やはりまだ寒かったと記憶しています。J1に昇格した2001年と02年はいずれもホーム初戦を高知県春野にお世話なりました。この頃は合宿にも訪れたこともあり、高知県側も「高知県後援会」をつくり、後押ししてくれました(その後解散し、今はホームページだけが残っています)。高知から寄せられたご好意には今も感謝しています。

03年3月15日、長年の悲願が実ります。そうです、札幌ドームで開幕戦のJ2第1節、横浜FC戦を迎えることになりました。2週間前の3月1日には屋外で雪に覆われていたホバリングステージ(サッカーピッチ)をサポーターたちが除雪しました。そして迎えた開幕戦に、J2に落ちたとはいえ、気持ちが高ぶるサポたちが札幌ドームに続々と詰めかけ、入場者は2万3590人を数えました。わが家もワクワクドキドキしながら家族全員の4人で参戦し、「前年最下位のチームをたたいて昇格ロードへ」と意気込んだのですが、夢にも思わぬ1-3で敗れて出鼻をくじかれ、結果的に9位に終わるシーズンを予感させたのでした…。

今季のホーム初戦は3月10日、サガン鳥栖を迎えます。恒例となった除雪は3月4日に行われます。私はまだ除雪に参加したことはありません(カミさんに「家の除雪さえきちんとやらない奴はダメ」としかられています)ので、参加者の皆さんに感謝しながら、ホーム初戦では力いっぱい応援したいと思います。札幌にプロチームがあり、この時期に試合ができることを心から喜びながら、1人でも多くの人が札幌ドームに集まることを願っています。

posted by papa12 |16:17 | 思い出 | コメント(7) |

2007年02月19日

三原会応援ダンマクプロジェクト

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2004年5月2日、J2第9節・アビスパ福岡戦が行われた厚別競技場である極秘プロジェクトが決行されました。三原広樹ファンのうに丸さんが主宰する「三原会」が三原を応援する巨大ダンマクをバックスタンドSB席アウェイ寄りに選手入場時とハーフタイムに掲げたのでした。三原会はインターネット上の秘密結社で、実際の活動は試合や練習を見て「みはらさま~!(ハート)」と叫ぶものだったようです。10人以上の女性陣が密かに活動していたようで、うちの上の娘も入会が許され、会員ナンバーまでいただいていました。

三原はこれに先立つ4月3日の湘南戦で大けがを負い、左ひざ前十字靭帯断裂及び外側側副靭帯損傷で全治9カ月と診断されました。このけがに涙した会長のうに丸さんが製作したのがこの写真のダンマクです。「再びピッチを駆ける7を信じている!いつまでも待ってるぜっ!」という立派なものでした。かなり大きなものですから、三原会のメンバーらに掲げるのを手伝うよう呼びかけがあり、うちの娘も参加させていただきました。写真の右下が娘です。さて、写真の通り、ダンマクとしてはかなり巨大なのですが、いかんせん、左側下方にはビッグフラッグが掲げられており、気づいた人は必ずしも多くはなかったかもしれません。参加した娘はたくさんの人たちと知り合え、「楽しかったー!」と興奮気味に語っていました。私は写真を撮っただけですが、こういう、けがをした選手を励ますようなダンマクっていいなあ、選手に思いが届くといいなあ、と思ったものです。

余談ですが、三原がいなくなった上の娘は最近、専門学校の実習が忙しくなったこともあり、ほとんど観戦につき合ってくれなくなりました。やはりひいきの選手がいなくなったカミさんや下の娘も観戦熱が冷めてきています。今年はどの程度、家族で観戦できるでしょうか。


posted by papa12 |14:15 | 思い出 | コメント(4) |

2007年02月12日

サポーターズ集会

サポーターが集まり、クラブや応援方法などについて話し合う13回目の「サポーターズ集会2007」が2007年2月11日、札幌コンベンションセンターで開かれました。私も初めて参加してみました。正午から5時半ごろまで開かれたそうで、残念ながら所用があって開始から2時間ほどで中座しましたが、三上強化部長からチームの様子などについて詳細な報告があり、ますます期待が高まりました。

この集会の歴史をちょっと調べてみました。コンサ・デ・コンサによると、最初の集会は1997年12月27日、札幌市教育文化会館で開かれました。JFLで優勝し、Jリーグ昇格を控えながら経営難が表面化したなかで、4つのOSC(オフィシャルサポーターズクラブ)の代表らが企画し、HFC役員らを招いて話し合ったのが始まりだそうです。サポなら誰でも参加できるというのは画期的な集まりで、現在でもクラブ側とこうした集会を定期的に開いている例は少ないと思います。当初は「サポーター集会」と呼んでいたようです。翌年は2月と6月に開くなどしましたが、2002年の第8回からは年1回、2月開催が続いています。一時、2月12日を「サポーターの日」にしようという提案もあったようですが、04年からは祝日の2月11日開催が定着しています。

正直、私自身がこの集会に参加したいと思うようになるとは自分でも思っていませんでした。だんだん自分のコンサ病というビョーキが悪化しているようです。集会の詳しい内容を記録した議事録は05年まではコンサ・デ・コンサにあり、04年からは楽援コンサで紹介されています。サポが不満に思うことや批判も、この議事録でHFCの説明を読むと、一部は誤解だと分かることがあります(それでも納得いかない点も残りますが)。こうした集会で真摯に答える社長以下のスタッフに敬意を表するとともに、集会を企画・運営するサポの皆さんに心から感謝します。今後もフロントとサポを近づけるためにも、ずっと続いてほしいと願っています。来年は最後まで出席したいと思います。

posted by papa12 |22:54 | 思い出 | コメント(3) |

2007年02月04日

佐藤洋平



コンサドーレで守護神といえば、私が思い浮かべるのは佐藤洋平です。ディドも好きでしたが、なにせ生では2試合しか観戦しておらず、熱心に応援し始めたときにゴールマウスを守っていたのが洋平でした。あの鹿島アントラーズで正キーパーを務めた後、コンサには1999年から2003年半ばまで所属。J2で79試合、J1で56試合に出場しました。とりわけJ1昇格を決めた2000年シーズンと翌01年のJ1では相手FWとの1対1のピンチを神がかりのセービングで何度も防ぎ、J1昇格と残留に大きく貢献しました。寡黙ながら、気迫のこもったプレーが見ていた者にも確かに伝わりました。強いハートがあったと思います。文字通り「神」として堅守速攻のチームを支えました。しかし、02年は守備が崩壊し、自身のパフォーマンスもややダウンしたでしょうか。翌03年には藤ヶ谷がGKに起用されることが増え、シーズン途中の9月にジュビロ磐田に移籍してしまいました。この年、初めてキャプテンを務めたのですが、ジョアン・カルロス監督に選手を代表して意見したため対立したとも言われていました。磐田ではこの年、リーグ戦に出場こそなかったのですが、天皇杯で大ブレイク。5試合に出場し、見事、天皇杯を獲得し、柳下正明監督の胴上げに貢献し、GKに恵まれなかった磐田サポの信頼を勝ち取り、翌年には正GKになりました。

実はカミさんが大の洋平ファンでした。偶然、誕生日が同じ11月22日(何歳上になるかはヒミツだそうです)。今思えば磐田への移籍直前の03年夏、清田区の白旗山での練習を佐藤尽ファンの上の娘と見学に行き、カミさんは洋平と2ショットで撮影し、今も宝物として台所に飾ってあります。背の低いカミさんは洋平の肩の高さほどしかなく、残念ながら目をつぶってしまったのが玉にキズですが。

その洋平が今シーズン限りの引退を表明したそうです。最近は川口能活に正GKの座を奪われているとはいえ、まだ34歳。体力よりも、経験がものを言うGKならまだまだできるとも思いますが、こればかりは本人が決めることですので、悔いの残らない1年となるよう完全燃焼してほしいと願うばかりです。コンサドーレには今季、草津で昨季全試合出場した高木貴弘が加わり、林卓人と佐藤優也と正GK争いを演じそうですが、まだ守護神として安心して見ていられる存在はいません。いっそうの奮起を期待しています。

写真のカードは上段がJカード、中段と下段左端がカルビー、下段左から2、3枚目はパーフェクトイレブン、右2枚はイレブンスターズです。


posted by papa12 |18:02 | 思い出の選手 | コメント(4) |