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2006年01月29日

チョロQ

コンサドーレにまつわる「チョロQ」はJ1だった2002年に2種類、相次いで発売されました。

8月10日に発売されたのがチームスポンサー様のジェイアール北海道バスオリジナル「コンサドーレ号チョロQ」です。選手送迎用のバスをチョロQにしたもので、1個800円でした。JR札幌駅などで販売されたのですが、その日は行けないので、「売り切れたら困る」と思い、インターネットで通信販売で2個ゲットしました。送料が結構かかりましたね。あとで知ったのですが、何と2万個も売り出されたそうで、後日、札幌駅地下街のアピアのおもちゃ店で山盛りになって売っている(売れ残っている)のを見て、送料を損したと思って悲しくなりました。最近まで売っていたように思います(もしかすると、今でも)。

もう1個は10月1日に発売されたオフィシャルパートナーズ様のJR北海道オリジナル「コンサドーレ札幌応援号」です。函館本線を走る特急列車「北斗」がモデルで、1個1000円でした。限定6000個で、特急列車内でのみ販売するとのことでしたが、9月21日に札幌ドームでのJR北海道サンクスマッチ・浦和レッズ戦で1500個先行販売されるというので、その日は早めに並び、入場とともに席取りには目もくれず、売り場に全速力でダッシュ。当時アウェイサポの知人から頼まれた分と自分の保存用2個を無事にゲットできました。これもその後、長く売られていたようですが。

J1に復帰した暁には、ユース用の白いバスもチョロQにしてほしいものだと、コンサグッズマニアとしては願っています。
チョロQ



posted by papa12 |12:06 | 思い出 | コメント(5) |

2006年01月28日

日本代表

日本代表に対しては、あまり熱心に応援していません。もっぱらテレビ観戦で声援を送る程度です。

前に書きましたようにコンサのサポになるのを決意した日までは、コンサよりもむしろ日本代表の方が応援に熱が入っていました。ドーハの悲劇のころはまだきちんと見ていなかったのですが、1998年ワールドカップフランス大会へのアジア最終予選は真剣にテレビ中継を見て、応援していました。特に日韓戦のホーム、アウェイとも試合内容をよく覚えています。ホーム試合での加茂監督の選手交代は、采配ミスがいかにゲームに影響するか、痛感させられたものです。

そして、運命の1997年11月16日、アジア第3代表決定戦。いわゆるジョホールバルの歓喜ですね。イランに岡野のVゴール勝ちするまで、一進一退の攻防にテレビに釘付けで、延長に入ったときはすでに日本時間は翌17日午前0時を回っていたと思います。家族が寝静まった家で、一人、「行けー!」と叫んでいたものです。このとき、岡ちゃんは国民的スターとなり、その後、まさかコンサの監督になるとは夢にも思っていませんでした。そして、私にとって忘れられない日になったのは、喜びの興奮のうちに眠って迎えた朝のことです。午前7時前、カミさんに「あの拓銀がつぶれたって!」と揺り起こされました。以来、この試合を思うと、必ず拓銀破綻を連想してしまいます。

98年フランス大会はもちろんテレビ桟敷で日本代表戦を応援しました。しかし、この年の12月5日にコンサのJ2降格が決まり、以来、私の思いはコンサに大きく傾きました。この日を境に、日本代表には熱が入らなくなってしまいました。テレビ観戦は続けていますが、冷めた目で見ている感じでしょうか。コンサの試合に一喜一憂するようなことはありません。2002年日韓ワールドカップも燃えずに終わりました。04年6月1日にはU-23日本代表が札幌ドームでU-23マリ代表と戦うのを生で見ましたが、目が追うのは元コンサの今野と山瀬の姿ばかりで、いまひとつ試合に入り込めない自分がいました。

進んでしまった道はもう後戻りできません。命ある限り、チームとともに喜怒哀楽をともにしたいと思います。


posted by papa12 |21:30 | 思い出 | コメント(0) |

2006年01月20日

サテライト観戦

と言っても、サテライトはわずか2試合しか観戦したことがありません。コンサは2003年シーズンからサテライトに参戦しましたが、トップチームで出場機会が少ない選手には、格好の実戦での練習になっていると思います。

初めて見た試合は03年8月3日、宮の沢白い恋人サッカー場でのベガルタ仙台戦でした。上の娘が友達と行くつもりでチケットを買ったのですが、たまたま都合で行けなくなり、私に回ってきたものです。そういえば、最寄りのバス停から大谷地行きのバスに一緒に乗った若い女性はなんと目的地がまったく同じサテライト観戦だった、という偶然もありました。試合開始の少し前に着いたら、雨にもかかわらず、結構、席が埋まっていて、仙台サポの近くに座りました。おかげで試合後も仙台の応援コールが頭から離れませんでした。試合の方は負傷から復帰した酒井が先制、新居の2ゴールの後、酒井に交代して出場したユースの藤田が「征也のゴールを見てみたい~」というサポの応援コールに応えて2ゴールを決め、5-1で快勝しました。試合の後半途中には雨も上がり、気分良く家路につきました。それにしても、雨の中、旗を振り、応援を続けるサポは完全にビョーキだと思いました(カミさんからは「あんたも十分ビョーキ」と言われていますが)。

もう1試合は05年6月12日、札幌ドーム屋外のオープンアリーナ・サッカーステージで初めて行われたジェフ千葉戦です。うまく休みの日で、入場料が無料だし、ドーム屋外というのも見てみたいと駆けつけました。すり鉢状の芝生に座ると、ちょっと風が冷たかったけど、まずまずの観戦環境でした。試合は前半早々に清野が先制、後半に相手GKのクリアミスしたボールを謙伍が頭で押し込む、ちょっと笑えるゴールで2-0とリード。しかし、オシムイズムで走り回るジェフは徐々にペースをつかみ、その5分後に1点を奪い、ロスタイムに同点、2-2の引き分けで終わりました。実はこの試合で今季、コンサに移籍してきた芳賀が後半途中から出場していたのですが、まったく印象に残っていません(きっぱり)。むしろ、同点弾を入れながら、その直後に2枚目のイエローをもらって退場した工藤浩平が妙に記憶に残っています。

トップのホーム試合観戦を優先して休みを取るので、なかなかサテライトまで日程を合わせられないのですが、今年からはもっと観戦したいと思っています。なにせ、トップの試合ではなかなか見られない選手たちの勇姿を見ることができるのですから。


posted by papa12 |19:17 | 思い出 | コメント(3) |

2006年01月14日

ファン感謝デー&キックオフ

明日15日は札幌ドームで「キックオフ2006」が開かれます。
今日はこうしたファンとチームの交流イベントを振り返ります。と言っても、私が最初に参加したのは「キックオフ2003」からで、偉そうなことは言えないのですが。

ファン感謝デーは、百科事典のようなコンサ・デ・コンサなどで調べてみると、チーム創設の1996年10月13日、最終戦の後、そのまま厚別でサイン会やアトラクションなどが行われたそうです。次からは試合とは別に設定され、JFLで優勝した翌97年11月3日、大通公園を優勝記念パレードした後、アクセスサッポロでミニサッカーや縁日などで楽しんだようです。次いでJ2で優勝した2000年11月26日、アクセスサッポロで札幌市長から巨大感謝状の贈呈などがあったそうです。そして、01年11月29日には札幌ドームで開かれ、岡田武史監督が別れを告げたのでした。

ここまではシーズン終了後に行われていたのですが、03年からは年明け後のチーム始動前に行う「キックオフ」に変わりました。「キックオフ2003」は03年1月26日、札幌ドームで開かれ、人工芝の上を歩くことができたのが印象的でした。私が最初にもらったサインはこの場ででした。そしてウィルら新戦力が披露され、1年でのJ1昇格に期待は大きく膨らんだのでしたが…。

「キックオフ2004」は04年1月16日、札幌ドームで行われ、上の娘と参加しました。何かは忘れましたが、買ったら中尾選手にサインしてもらえ、娘がサインと握手をしてもらいました。まさかシーズン途中で10番がいなくなるとは…。選手と一緒に有料ですが撮影できるコーナーがあり、娘の大好きだった佐藤尽選手らがいたので並んでいたところ、私と娘の番になる直前に選手が交代してしまい、娘は残念そうでした。

そして昨年は合宿日程の都合で交流イベントが開けず、チーム紹介イベント「全員集合!2005」が開幕直前の2月26日、札幌ドームで行われました。人工芝が張り替え中だったこともあり、交流のアトラクションはなく、選手紹介とコンサドールズの踊りぐらいでしたが、衝撃的な坊主頭3人衆登場や謙伍の「コンサドールズ入り」発言など、なかなか見どころいっぱいでした。

さて、明日は3年目の柳下コンサの披露です。私のようなミーハーの皆さんはまずカメラを忘れずに。サインをもらいたい人はサイン帳や色紙、サインペンかマジックをお忘れなく。今から楽しみですね。


posted by papa12 |21:50 | 思い出 | コメント(5) |

2006年01月07日

年賀状

年賀状の図柄にコンサドーレを前面に打ち出したのは、2003年の羊年からです。私には絵心がないものですから、コンサラリーマンさんからコンサにまつわる年賀イラストを使わせていただいたのが最初でした。
いわば、私の公私の友人、知人にコンサのサポーターであることを宣言、カミングアウトするものでした。やっぱり、ちょっと恥ずかしかったのですが、今では対抗するように、旧友から浦和や仙台、京都のサポを名乗り出る賀状が届いたりもしています。
確か2年目もイラストを使わせていただき、昨年からは写真にある通り、自分で撮影したゴール裏の写真をメーンにすえています。さすがにカミさんは自分の分にはいやがるため、昨年から別な図柄の賀状をカミさん向けに作成しています。
以前には公式グッズでコンサ図柄の賀状が売り出されたこともあったようですが、今はないですね。コンサをPRする意味でも、今後もコンサ年賀状を続けていこうと思っています。来年はぜひともJ1昇格を報告する年賀状にしたい、と今から張り切っています。
nenga


posted by papa12 |21:48 | 思い出 | コメント(6) |

2006年01月03日

1998-2004年生観戦記録(備忘録)

1998年Jリーグ
1試合(室蘭)1勝=バルデスのゴールで、エムボマのG大阪を下した。
第3参入決定戦1試合(室蘭)1敗=J2降格決まる。

1999年J2
1試合(室蘭)1敗=鳥栖にVゴール負け。

2000年J2
ゼロ=転勤や新しい職場は土・日曜が仕事が多く、観戦できず。

2001年J1
5試合(すべて札幌)2勝2敗1分=ベストゲームは9月15日、初の札幌ドームで清水に3-2でVゴール勝ち。岳也のゴールは忘れられません。

2002年J1
9試合(すべて札幌)3勝5敗1分=ベストゲームは8月10日、厚別でのG大阪戦。前半早々のバーヤックの虎の子の1点を、古川らの魂の守備で守りきり、連敗を9で止めた。記憶に残る試合は11月30日、ドームでの広島戦。ノーガードの打ち合いは曽田のハットトリックなどで5-4とVゴール勝ち。相川に衝突した憎っくき相手GKがコンサに来るとは夢にも思いませんでした。

2003年J2
19試合(札幌18+室蘭1)7勝7敗5分=ベストゲームは7月2日、ドームでの大宮戦。岡田のJ初ゴールんどで6-2と大勝した。

2004年J2
20試合(札幌全試合)3勝10敗7分=ベストゲームはしいて挙げれば9月23日、厚別での水戸戦。同点に追いつかれた後、清野の絶妙のクロスに相川が頭で合わせて勝ち越した。追いつかれると、引き分けか、逆転負けしていたチームの成長をうかがわせた。

1998-2005年の通算生観戦試合は75試合23勝33敗19分。かなり負けが込んでおり、厚別不敗神話と言われた2000年に観戦できなかったのが痛いですね。ぜひ早く勝ち数が負け数を上回るよう、期待しています。


posted by papa12 |22:23 | 思い出 | コメント(0) |

2006年01月02日

2005年生観戦記録(備忘録)

2005年シーズンの生観戦はホーム22試合中、19試合でした。夏場の平日開催2日と同期会があって札幌の3試合(24、26、29節)が見られず、勝敗は7勝7敗5分とまったくの五分でした。アウェイはまだ行ったことがありません。ちなみに昨年まで生で勝利を見たことがなかったうちのカミさんは5試合、3勝2敗と何と勝ち越しました。今年からは「勝利の女神」になってほしいものです。

ベストゲームは10月22日、函館での山形戦です。土砂降りでずぶ濡れでしたが、7連敗中の相手に3-1で会心の勝利を収め、心は晴れ晴れとしていました。なにせ興奮してブログ(本宅)を始めてしまったほどですから

記憶に残るゲームは5月14日、厚別での水戸戦。HFC役員の不祥事直後で、厚別特有の強風がゴール裏に吹きつけ、文字通り逆風の中での試合でした。しかし、サポの声と思いが届いたのか、中山の鮮やかなゴールなどで2-0で勝利。目頭が熱くなりました。そして、試合後のヤンツーさんのあいさつ。もう2度とこんなことを監督にさせてはいけないという戒めのため、当時のメモから書き残します。
「皆さんの熱い声援があって、勝つことができました。われわれはこれからも、選手、スタッフ、そしてフロントも含めて、チーム一丸となって、夢と感動、そして喜びを与えるよう、精いっぱい戦っていきます。コンサドーレ札幌のサポーターとして、どこへ行っても誇りに思えるチームをつくっていきますので、これからも温かい声援をよろしく、ずっと、ずっと、よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」
忘れられない、というよりも、忘れてはいけない試合だと思いました。


posted by papa12 |20:45 | 思い出 | コメント(0) |

2006年01月01日

toto

totoと言っても、トイレ用品メーカーでも、音楽バンドでもありません。サッカーくじ(正式にはスポーツ振興くじというそうですが)です。

2001年から本格的に始まり、当時はJ1とJ2の計13試合の試合結果ホーム勝ち(1)、引き分け(0)、アウェイ勝ち(2)を当てるものでした。その年の初回に1億円が2本出たのをニュースで知り、一攫千金を狙って2回目から競馬もパチンコもやらない私も買い始めました。だいたいマルチでダブル(勝ち、引き分け、負けのうち2つに印をつける)3つの800円分というせこい買い方ですが。
そして運命の5月19日が来ました。なんとすべて的中し、1等! 試合結果を確認する手が震えます。何度見ても全部当たっている。「やったー! 1億円は無理にしても何百万円か、まさか1千万か」と興奮して、当せん金を調べたところ…
なんと、2万2290円。それまでのtotoの当せん金額で最も低額でした。マルチですので2等2本、3等4本も当たっているので、2万5000円近くにはなりました。でも、この時のコンサドーレはアウェイでジュビロ磐田と対戦し、1-2で惜敗するのですが、コンサと磐田両方の勝ちをダブルで買ったので、もしもコンサが買っていれば何倍かの金額になったのですが。

この後も結構買い続けたのですが、もはや運を使い果たしたらしく、2度と当たることはありませんでした。どうしてもコンサの勝ちに投票してしまい、はずれる確率が高くなってしまうのです。ひいきのチームがある人は向かないですね。だって、試合前に自分がサポートするチームに負けはつけられないですから。コンサが03年からJ2に落ち、くじの対象から外れることが増えたうえ、行きつけの店もtotoを扱うのやめてしまい、次第に足が遠のき、ついに05年は1度も買いませんでした。

toto自体、売れ行きが低迷し、本来はスポーツ振興に資金を回すはずが当てが外れたようです。インターネット投票を導入したり、しているようですが、対策も後手後手ですね。最大の欠陥は試合前日までしか買えないことでは。競馬のように直前まで買えた方が良く、競技場で買えないのも痛いですね。文部科学省の天下り組織がやっている間は無理かもしれません。まあ、1番はサッカーの勝敗は予想が難しく、当たらないことなんですけどね。


posted by papa12 |21:15 | 思い出 | コメント(3) |