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2006年11月26日

トレーディングシール



クラブスポンサー様とサポートシップ・スポンサー様限定の販売促進用シールとして2005年に登場しました。この年の3月10日に発表され、シールは登録27選手と柳下監督、ドーレくん、集合写真の全30種類。例えば、スポンサー様の店で買い物すると、もらえるという、なかなか希少価値の高いシールでした。わが家で利用できるような店とかはあまりなかったため、サポートシップ・スポンサー様のたこ焼き「ほっと12」様で確かたこ焼き3個買うと、1枚くれるというので、試合のたびに買いに行きました。また、4月23日の札幌ドームでの鳥栖戦は道新サンクスマッチとして先着1万人に1枚ずつ配布されるというので、娘らを動員して入手に努めました。その後、試合会場でのグッズ購入者にも配布されたように記憶しています(1年前だというのに、もうかなり忘れました。年だなあ)。

このような地道な努力もむなしく、運の少ないわが家では数少ないシールがだぶったりして、結局、10種類ほどしか集まりませんでした。ヤフオクを見ても、とても手がない高額で取引されていて、そろえることはあきらめていました。ところが、今年7月、下の娘の友達が親御さんの関係からか、知り合いから未開封のシールを大量にもらってきて、何と大半を譲ってくれたのです。持つべきは娘とその友人です。わが家分と合わせると、ついに写真のように全種類がそろいました。家族にはあきれられていますが、幸せをかみしめております。

こうした取り組みをしたHFCに感謝します。ただ、1年だけで続かないのが残念なところです。トレーディングカードのコレクターですので、シールよりもカードの方が良かったのですが。浦和レッズ、モンテディオ山形などのように、ホーム試合でカードをもらえると、うれしいでしょうね。他チームのようにどこかスポンサーを見つけて、実現させてほしいものです。


posted by papa12 |14:42 | 思い出 | コメント(7) |

2006年11月20日

好来符(すきっぷ)



コンサドーレ札幌5段階計画1年目の2004年、シーズン半ばに彗星のように登場したのが「2004応援証“好来符(すきっぷ)”」でした。7月31日の厚別での第25節・山形戦以降のホームゲーム10試合で来場者全員に1人1枚ずつ配布された縦5・5センチ、横2センチほどの小片です。この年はアクションサッカーを掲げた柳下コンサドーレ1年目で、純国産の若手選手ばかりにギアチェンジしたとあって、J2最下位を爆走していました。同年7月28日に公式ホームページで発表した佐々木利幸社長(当時)によると、最下位にもかかわらず競技場に詰めかけるサポーターに対し「感謝してもしきれない気持ち」を形にしたものだそうです。コレクター心をくすぐってまた来場してもらおう、との商売っ気ももちろんあったと思いますが。

当然、わが家も家族の協力を得て収集に乗り出しました。しかし、あまり運に恵まれない家系なのか、ダブりのことが多く、最終的に集められたのは写真にある10種類でした。HFCからの公式発表はなかったかと思いますが、事情通のネット情報によると、途中で種類が増やされ、全部で40種類あったようです。内容はさまざまで、結構、応援歌の歌詞からのものや「シュートは周到に!」など親父ギャグもあったようです。選手ものが「五 キャプテン尽」「二十 和波確変中」など7種類もあったようですが、わが家では1枚もゲットできませんでした(泣)。私のお気に入りは「好きです札幌」と「私、ヤンツー派です」あたりでしょうか。持っていないものでは「赤黒の誇り」「生涯サポーター宣言」が欲しかったです。「今頑張らずにいつ頑張る」と「チーム内安全祈願」はぜひ選手に持たせたいと思ったのは内緒です。

発表時の社長のコメントに「この“好来符(すきっぷ)”が、いつの日か、苦しい時期も変わらず応援していただいた皆様の誇りとなり勲章となることを願ってやみません」とありました。近い将来、そんな日が来ることを信じて、わが家の壁に飾ってあります。


posted by papa12 |16:54 | 思い出 | コメント(9) |

2006年11月12日

小倉隆史



「レフティーモンスター」ことオグちゃんがコンサ戦士となったのはJ1だった2002年シーズンでした。高校時代から注目され、名古屋グランパスなどで活躍、日本代表FWとしても期待されながら、靱帯断裂など大けがに泣いてきた選手。コンサドーレへの入団が決まったときは、「けがはもう大丈夫なのか」という不安もありましたが、ウィルの抜けた後だったので「すごい選手が来る」と期待が膨らみました。シーズンが始まってみると、けがはすっかり癒えていたようで、主力として活躍。FWとしては前線で張るよりも、すぐに下がってボールを受ける1・5列目の選手だったようです。確かに運動量では物足りなかったのですが、ときおり繰り出すトリッキーなパスは相手選手だけでなく、味方選手も合わせられないことが多かったのがご愛敬でした。喜怒哀楽が顔にはっきり表れるタイプで、ゴールを決めたときの笑顔は見ている者もうれしくさせてくれました。確かこの年のJリーグオールスターにコンサからただ1人東軍に出場、先制ゴールを決めました。ただし、MVPは2点目を決めた元コンサのエメルソン(当時浦和)にさらわれ、テレビの前で悔しかったのを覚えています。

結局、コンサでは27試合出場、7得点。最下位でJ2降格が決まったシーズンで、チーム得点王でした。当然、1年でのJ1復帰を目指して小倉には翌年も活躍してもらいたかったのですが、確か最終戦を終えてのインタビューで「男として許せないことがある」と発言、すでに次期監督に内定していたジョアン・カルロスとの確執を示唆し、退団してしまいました。中には「J2が嫌なのでは」との見方もありましたが、翌年途中からJ2の甲府へ入団。それから3シーズンを甲府で過ごし、J1昇格へチーム力向上に貢献しました。コンサとの対戦でも活躍し、痛い思いをしましたが、どこか憎めない選手でした。

05年シーズン限りで甲府から戦力外となり、選手続行を希望したようですが、結局、現役を引退。甲府のJ1初試合で引退セレモニーが行われました。その後はスーパーサッカー(TBS)などで解説者(レポーター?)として活躍、ドイツワールドカップにも派遣されていましたね。10月21日のOB戦に、ぜひとも来てほしかった1人でした。オグちゃん、商売も大事だろうけど、かつてのファンにも顔を見せてよ、と思ったのは内緒です。

写真のカードは上段左端がJカード、右2枚はカルビー(右端はオールスター)、下段左端がイレブンスターズ、右3枚はパーフェクトイレブン(右端は同じくオールスター)です。


posted by papa12 |18:58 | 思い出の選手 | コメント(5) |

2006年11月03日

アクセスサッポロ



何気なく入った施設やお店に、コンサドーレのグッズが置いてあって、うれしく思ったことはありませんか。私がそんな体験をした筆頭の場所が「アクセスサッポロ」(札幌市白石区流通センター4丁目)です。

財団法人札幌産業流通振興協会が運営するコンベンション施設ですが、私には縁のない所でした。たまたま6年前、商社の伊藤忠が主催する招待制のバーゲンセール「ファミリーフェア」の招待状を持っているご近所の方から、バーゲン命のカミさんが誘われ、アクセスサッポロに初めて行きました。カミさんが目の色を変えて戦っている間、手持ちぶさたの私は会場を出てロビーに戻ったところで、赤黒の小部屋を発見! 何とコンサドーレのコーナーがあるではないですか。事前にはそんなことを知らなかった私は、チームができた1996年からのお宝の山に見入ったのでした。カミさんはバーゲン品を買って大満足、夫は赤黒に染まって大満足と、夫婦円満となったのでした。

このフェアは春秋の年2回開かれており、先週の土・日曜日にも開かれ、私自身は2年ぶりぐらいに会場へ足を運びました(カミさんは最近、娘と毎回参戦しています)。小部屋は残念ながら現在、半分は北海道日本ハムファイターズに占められています。それでも半分はコンサドーレで、入り口には自動販売機「ドーレBOX」があります。展示品もバルデス、マラドーナ、吉原宏太、アシス(ロナウジーニョの兄ちゃん)のシューズをはじめ、ユニホームやボール、フラッグなど思い出の品々が並んでいます。見られたことのない方は、機会がありましたら、ぜひ立ち寄ってみてください。


posted by papa12 |21:42 | 思い出 | コメント(10) |