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2006年08月26日

携帯待ち受け画面&着メロ



携帯電話は諸般の事情でドコモを使っています。もう、かなり古い機種です。もっとも、中年おじさんなので、通話とメール以外はほとんど使ったことがなく、機能的には十分すぎるほどです。本当は写メールもしないので、カメラもいらないのですが。

さて、待ち受け画面は、実はもう記憶が定かでないのですが、ユニが2003-04年版なので、どちらかの年だと思います。どこのサイトでいただいた画像かも忘れましたが、上の娘に探して出してもらい、ゲットしました。サイトの管理者の方にはあらためてお礼を申し上げます。「ROAD TO J1」とあるように、J1昇格までの短期間使う予定でしたが、予想外に長くなってしまいました…。1日も早くJ1昇格を果たし、画面を一新したいと心から願っています。

着メロも娘にダウンロードしてもらった「赤黒の勇者」です。これもサイト管理者の方にあらためてお礼を申し上げます。あまり携帯は使わない方なのですが、この着メロが鳴ると職場の中には私の携帯と認識する人がいるようになりました。

いまのところ、新機種に変更する予定はありません。ワンセグも着うたも必要ないからです。壊れたら変えなければならないでしょうけど。ただ、J1昇格の暁には、少なくとも画面の変更を迫られますね。早くその日が来るのを待ちたいと思います。皆さんは待ち受け画面や着メロ、着うたを何にしていますか?


posted by papa12 |10:47 | 思い出 | コメント(4) |

2006年08月21日

森下仁志



日本代表のオシム監督のキーワードは「走る」ことのようです。コンサドーレで「走る」ということで思い浮かぶ選手が森下です。J1時代の2001年7月、ガンバ大阪からレンタルで移籍してきました。GK以外ならどこでもできるユーティリティープレイヤーで、確か手薄な右サイドの補強ということでしたが、コンサでは主にボランチを務めました。決してうまい選手ではありませんでしたが、驚くのはその無尽蔵の運動量です。サッカー選手としては驚異的な持久力だったのではないでしょうか。キックオフから後半ロスタイムまで、とにかく細い体で走り回っていた印象が強いです。この年は13試合出場、無得点でした。その風貌からか、ひそかに「板長」の愛称で呼ばれました。
翌02年、完全移籍し、キャプテンになります。しかし、この年は監督解任が続き、チームが崩壊。最下位でJ2降格が決まる、つらいシーズンでした。29試合出場、2得点。そしてJ2に落ちた03年もキャプテンを続けましたが、この年も監督交代とチーム崩壊。悲劇のキャプテンとなりました。この年は37試合出場、1得点。ゴールを決めたのは7月5日の厚別での鳥栖戦。ゴール前のオフサイドっぽい位置にいた森下に浮き球のバスが渡り、胸でトラップするとボレーでたたき込むビューティフルゴールだったと記憶しています。

この年のオフ、意外なことに、なぜかジュビロ磐田から獲得のオファーがあり、前年途中から磐田に移籍していた佐藤洋平とともにJ1の舞台に戻るのでした。04年はほとんどカップ戦や時間稼ぎ要員で、リーグ戦は9試合出場、無得点。05年はついに出場しないまま、現役を引退しました。今年から磐田のユースのコーチを務めているはずです。

どの試合でか忘れましたが、すでに敗色濃厚となり、コンサ選手の足も止まったなか、ただ一人、最後までボールを追い続けた姿は忘れられません。ただし、この姿にはヤジが飛び、某掲示板などでは「無駄走り」「モリゲ」などと揶揄されたりしたものです。しかし、私は孤高のキャプテンの姿が目に焼き付いています。オシム監督就任であらためて注目されている「走る」。アクション&ムービングを掲げる柳下コンサドーレでも基本中の基本です。孤高のキャプテンは再評価されるべきだと思っています。

写真のカードは上段左2枚がJカード、右2枚はカルビー。下段左2枚はイレブンスターズ、右1枚はパーフェクトイレブンです。


posted by papa12 |18:53 | 思い出の選手 | コメント(8) |

2006年08月18日

「好きですサッポロ」





シングルCD「好きですサッポロ」(700円)は道内民放アナウンサー5人の「C.S.サポーターズ」により2000年3月に全国発売されました。といっても、私が入手したのはその3年後ぐらい、近所のコーチャンフォー美しが丘店で発見しました。

アナウンサーは当時、各テレビ局でコンサドーレの応援番組を担当していたHBCの石山愛子さん、HTBの山口美保さん、UHBの千葉朱里さん、STVの宮永真幸さんと永井公彦さん。チームの応援のため、報酬ゼロで歌い、売り上げの一部はチームに寄贈されました。このころはコンサドーレも道内唯一のプロスポーツチームとして道内各テレビ局もこぞって応援してくれていました。ありがたいことです。その後、女性3人はそれぞれ結婚されるなどで退局されました(フリーになった石山さんは昨年までNHK・BSの「速報Jリーグ」のキャスターを務めていたのは記憶に新しいところですね)。コンサ応援番組も打ち切りで消えたり、大半は大幅に姿を変えました。STVのお2人も最近は北海道日本ハムファイターズで忙しいようです(それにしても、「ハム彦」と称するのはやりすぎだと思います)。それでも、各局で細々とながらも応援番組を続けてくれていることはありがたいことで、ぜひとも今後も応援をよろしくお願いしたいところです。余談ですが、今、サポーターの間で支持が高いアナウンサーはTVh「コンサにアシスト!」の佐々木由衣子さんでしょうかね。

ところで、「好きですサッポロ」の元歌は1981年に森雄二とサザンクロスが歌ってヒットさせました。このCDでは軽快なサンバ調に編曲されています。コンサの応援ではアウェイの試合開場でかなり早くからサポーターたちが勝利した際に歌っていたそうです。残念ながら私はアウェイに行ったことがないので、競技場で歌ったことがありません。近い将来、アウェイに参戦した暁にはぜひとも熱唱したいと夢見ています。


posted by papa12 |21:37 | 思い出 | コメント(8) |

2006年08月12日

さらば、みちのく食品(後編)



みちのく食品の「しまふくごはん」(800円)は2006年J2道内開幕戦の3月11日、札幌ドームで発売されました。「しまふく寮」で選手たちに出している料理を、かなり忠実に再現したお弁当です。発売が発表された時、寮母さんのブログで紹介されていた料理をよだれをたらして見ていたサポーターたちを狂喜乱舞させたものです。しかし、調理に手間がかかることから、1試合に限定500食。買うのは至難の技とされ、これまでは席取りや段幕張りのために早朝から並んでいたサポたちが開場と同時にお弁当売り場に走る姿が見られるようになりました。しかも、1人で仲間の分まで10個以上も買い占める人まで現れ、買えなかった人たちを悔しがらせました。かくいう私も最初の発売日は開場30分くらい前から並んだのですが、売り場に行くと、やはり完売。2回目の4月5日に札幌ドームで上の娘の分と2個初めてゲットしました。その時の感激は今も忘れません。醤油やソースがないのに、味は濃すぎず、至福のひとときを過ごせました。驚いたのは、いい年して好き嫌いの多い上の娘がどのおかずも残さずに食べたのでした。以来、札幌ドームと厚別で販売され、最後となった7月29日の厚別で13回目の販売でした。途中から初回の再現や夏場の暑さに強いメニューにしたりで、13種類ということではありませんでしたが、寮母さんの愛情とみちのく食品の情熱をおいしくいただけました。毎回、寮母さんによるメニュー紹介とメッセージが添えられていました。手元に残してあるメッセージによると、私は結局、13回中、11回食べることができました。食べられなかった方には申し訳ないですが。写真は最後となった7月29日の「しまふくごはん」です。これが食べ納めになるとは、思っていませんでした。

次にみちのく食品が私たちを驚かせてくれたのは、衝撃的な「赤黒カレー」(380円)の登場です。赤カレーと黒カレーのレトルトダブルパックという、普通の会社なら思いついても決して商品化しないであろうものが世に出ました。しかもパッケージは赤黒縦縞。よくこんな企画が通ったものだと驚いたものです。6月3日からWEB先行発売が始まりましたが、私は10パックセットということで尻込みし、試合会場で発売された6月24日に厚別で4人家族用に5パック買いました。まあ、こんなに買うなら10パックセットもあまり変わらなかったな、と思ったのは内緒です。トマトベースの赤に、ビーフベースの黒で、味や辛さは良かったのですが、難を言うなら値段の割に具が少ないかな。でも、サポならそんなことは気にならない代物です。さらに厚別では確か同日から「赤黒カツカレー」(650円)を販売。私は7月12日に諸般の事情で到着が遅れ、「しまふくごはん」が売り切れていたので、初めて食べました。なかなかおいしかったのですが、欲をいえば、冷めていることとカツが切れ目だけで食べづらかったことでしょうか。結局、これが唯一の「赤黒カツカレー」体験となります。

  

ほかの方のブログなどの情報によると、みちのく食品はその後、新会社「きらら食品」が一部弁当事業を引き継いでいるそうです。しかしながら、「しまふくごはん」や「赤黒カレー」を復活するのは難しいだろうと思われます。私たちに弁当で至福のひとときを与えてくれたみちのく食品に感謝したいと思います。決して忘れることはないでしょう。





posted by papa12 |12:14 | 思い出 | コメント(6) |

2006年08月11日

さらば、みちのく食品(前編)

スポンサーだったみちのく食品が倒産してしまいました。試合会場で私たちに応援のエネルギー源となる弁当を提供してくれていたうえに、「しまふくごはん」という画期的な弁当を開発してくれたばかりでした。過去形の思い出として語ることになったことは残念無念です。

試合会場で最初に食べた弁当はサザエ食品の「必勝弁当」でした。ですから、コンサドーレの応援弁当はこの「必勝弁当」が元祖と思いこんでいました。コンサドーレの百科事典のようなコンサ・デ・コンサで調べてみたら、みちのく食品の「かつ弁」の方が1999年から発売していて、翌2000年発売の「必勝弁当」より古かったんですね。今回調べるまで知りませんでした。ただし、試合会場内では最初売っていなかったそうで、だから「必勝弁当」が先と思いこんでいたようです。

いつから試合会場で売るようになったのかは分かりませんが、厚別でたまに「かつ弁」(600円)、「DX(デラックス)かつ弁」(700円)を買うようになりました。いずれもおいしかったです。デラックスの方は意外なほどカツが少なく、幕の内弁当に近く、中央のご飯がのりやふりかけでサッカーピッチのような形状になっていたのが印象的です。そして、わが家で1番人気があったのが「かつサンド」(450円)でした。私も夏の暑い日など食欲のあまりない日に食べていたのですが、娘は2人ともカツサンドというものを初めて食べ、すっかりファンになりました。もう、食べられないかと思うと、家族ともども残念に思っています。



「かつサンド」の赤黒のパッケージが気に入って、箱を保存しておりました。まさか、こんな形で紹介する日が来るとは夢にも思っていませんでした…

そして、「しまふくごはん」ですが、文章が長くなりましたので、後編に続きます。


posted by papa12 |13:08 | 思い出 | コメント(3) |

2006年08月06日

【願い】赤と黒の鶴に願いを託して



TOKUさんの呼びかけに賛同して、闘病中のなかさんへ、赤と黒の鶴を作りました。といっても、すっかり中年おじさんは折り方を忘れており、娘に折ってもらいました。私はなかさんもTOKUさんも直接は存じ上げないのですが、皆さんととともに願いが届いてほしいと思って参加させていただきました。


posted by papa12 |13:58 | 特別編 | コメント(4) |