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2006年03月24日

Jリーグ

Jリーグが開幕したのは1993年、10チームでのスタートでした。バブルの余韻もあってか、きらびやかなスタートを切ったJリーグは大変なブームとなり、チケットが入手できないとか、カルビーのJリーグチップスがすごい人気になるなど、にわかサッカーファンが巷にあふれました。当時、転勤で東京に住んでいて、職場のテレビも以前はプロ野球を入れていたのがJリーグにチャンネルが変わりました。もともとサッカーが好きな私も喜んでテレビ観戦していました。

問題はどのチームを応援するか、でした。もちろんコンサドーレは影も形もありません。実はJリーグ以前、テレビでサッカーを見るのは正月の天皇杯決勝と高校選手権決勝、トヨタカップぐらいでした。社会人では、横浜マリノスの前身の日産とヴェルディの前身の読売クラブがライバル関係にあり、どちらかといえば、華麗なプレーの読売クラブを応援していました(読売新聞は大嫌いでしたが)。でもJリーグ発足時に、ヴェルディはプロ野球の読売巨人軍のように金を使って選手を買い集め、「企業名を入れさせろ」などとわがまま放題で、すっかりアンチ・ヴェルディになりました。

そこで、一番に北にあるチームで、地域おこしとしてJリーグに参入した鹿島アントラーズを応援することにしました。日本リーグ2部のチームが母体で、ジーコがいるとはいえ、弱そうだからというのもありました。ところが、FWアルシンドの大活躍もあり、あれよあれよと思っているうちに初年の第1ステージのサントリーシリーズを優勝してしまいました。これは意外でした。ただ、第2ステージのNICOSシリーズ覇者のヴェルディ川崎にチャンピオンシップで敗れ、初代年間優勝は逃しましたが。その後、鹿島はご存じの通り、常に優勝を争うチームとなり、それとともに私の応援熱は冷めていきました。常勝チームはもしかすると私に合わないかもしれません。

ほかにJリーグではサッカーどころの清水エスパルス、リトバルスキーのいたジェフ市原が気になっていました。でも、やっぱり地元、北海道のチームがほしいと熱望していました。そんな時、札幌青年会議所のメンバーらが中心になって「札幌にJリーグを」と署名運動などを進め、そしてJFLにいた東芝の誘致を実現し、96年にコンサが産声を上げました。このとき、私はまだそれほど「われらがチーム」という思い入れはなく、現在のコンサ中心の生活を送る日が来るとは知るよしもなかったのでした…


posted by papa12 |19:31 | 思い出 | コメント(4) |

2006年03月19日

ハーフナー・ディド

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思い出話も尽きてきましたので、今後はたまに新コンテンツ「思い出の選手」も始めます。思い出とといっても、一方的な片思いですけどね。トレーディングカードのコレクションがある選手はそれも添えて紹介します。

第1回はディドです。私にとっては文字通り「守護神」と思った最初のGKです。コンサにはJFL時代の1997年とJリーグに昇格した98年に所属、98年はリーグ戦全試合出場を果たしています。1957年生まれとほぼ同年代のおじさんとしては、40歳を過ぎてもプレーしている姿にただただ感動していました。ディドといえば、いつも一番後ろから叫んでいるというか、怒鳴っているイメージ。前線の選手たちをいつも叱咤激励、鼓舞していましたね。忘れられないのは97年5月25日の川崎F戦。テレビ観戦でしたが、1点を追う展開で後半44分、コーナーキックで自陣ゴールを空けて相手ゴール前で攻撃に加わり、その気持ちが奇跡の大逆転劇につながったと信じています。生観戦で見たのは2試合しかないのですが、ああいう魂を今後のコンサにも受け継いで行ってほしいと思います。

余談ですが、引退後は岡田監督の下、GKコーチを務めました。宮の沢を初めて訪れた際、練習開始前に一番早く姿を現し、黙々と走っていました。思わず「ディド!」と声をかけ、手を振ると笑顔で手を振ってくれました。「いい人だー」と心に刻みました。でも、岡田監督が去った後もGKコーチを続けましたが、J2降格が決まった2002年限りで退団。翌03年から岡田監督の下、横浜FマリノスのGKコーチになってしまいました。ディドが去るとともに、コンサユースU-15で大活躍した息子のマイクもマリノスユースに移籍してしまい、今季、トップチームに昇格しました。194センチの長身で、かえすがえすもコンサでは過去にいなかった電柱系FWになれたのに、と残念でなりません。

このカードは98年のJカード。前所属の名古屋や磐田時代のカードは結構ありますが、コンサ時代のカードはこの1枚だけのようです。


posted by papa12 |09:53 | 思い出の選手 | コメント(4) |

2006年03月11日

ブーイング

中年おじさんのぬるサポのせいかもしれませんが、私はブーイングが好きではありません。それでも、思い切りブーイングしたことがあります。
2001年11月3日、札幌ドーム。そうです、前年、J1昇格の立役者となったFWエメルソンがよりによって浦和レッズの選手としてやって来たときです。上の娘とともに、入場とともにブーイング、選手紹介でブーイング、試合中までボールに絡むたびにブーイングしました。サポーターの気持ちとしては、なんとかコンサにつなぎとめようと、事実上のエメルソン基金として持株会に出資したのに、エメは川崎フロンターレに行ってしまい、さらには前年、J1昇格争いをした浦和に移籍しただけに、かわいさ余って憎さ百倍といったところだったと思います。
ほかにも審判のミスジャッジにも何度か、ブーイングしました。相手の汚いプレーにもブーイングしたことがあります。

それでも、自分の愛するチームにはどんなにふがいないゲームをしてもブーイングしたくありません。柳下監督などは、そういう時にはブーイング歓迎といった発言をしているようですが、常に応援は前向きでありたいというのが私の思いです。ただ、汚いプレーには敵、味方なく、ブーイングすべきだと思います。その意味で今日、フッキが相手を殴ったことはブーイングものです(いろいろ過去に問題のあった家本主審は今日に限っては妥当なジャッジだったと思います。むしろ、水戸の河野に対するレッドは厳しすぎる気がします)。
ふがいないチームを叱咤激励する意味でのブーイングも理解できますので、他の方がやるのまで反対する気はありません。ただ、一つ提案したいのは最近、相手チームの入場時や選手紹介の際に熱烈サポーター席を中心に行われるブーイングはやめませんか。サッカーは相手がなくてはできません。激しい競争を勝ち抜いてJリーガーになった選手たちに対するリスペクトを失ってはならないと思います。相手をブーイングすることで、自分のチームの選手たちをも、おとしめているような気がしてならないのです。相手にブーイングする暇があったら、自分たちのチームを力いっぱい応援したい、と私は思っています。
今回はちょっと思い出から脱線しました。反省。


posted by papa12 |21:54 | 思い出 | コメント(3) |

2006年03月05日

ウィズユーカード

先週は仕事の都合で札幌の自宅に帰れず、更新できませんでした(泣)。本日、久々に帰宅し、昨日の試合の録画を見て、勝利の余韻に浸っております。

本題に入ります。「共通ウィズユーカード」はチームスポンサーの札幌市交通局様(厳密には札幌市交通事業振興公社様でしょうか)が発売しているプリペイドカードです。1000円のカードを買えば1100円分(1万円なら11500円)使えます。札幌の市営地下鉄、市電、市内線のバスで使え、バスと地下鉄の乗り換えでもちゃんと乗り継ぎの割引料金となるスグレモノです。コンサドーレのチームや選手をデザインしたウィズユーカードは地下鉄の厚別駅か、福住駅で試合のある日に年何回か販売されています。私が買い始めたのは2002年からです。以来、コレクションしたのは02年が小倉、和波、酒井、03年がウィル、今野、堀井、藤ヶ谷、04年が曽田、新居、柳下監督、05年が堀井、砂川です。03年以降はすべてそろっていると思いますが、違っていたら指摘していただければ幸いです。

これ以前もかなり販売されたようで、とりわけ2000年は多数あるようです。コレクターとしては、ヤフオクなどで一部入手しましたが、安くないと買えないので、とてもそろいません。レアなものとしては97年のJFL優勝、祝Jリーグ昇格という2枚セットを手に入れました。ぜひ今年、J1昇格を決め、またこういうカードを売り出してほしいと願っています。そういえば、ホーム開幕戦の3月11日午前11時から、鈴木智樹をデザインしたウィズユーカードが地下鉄福住駅で1500枚発売されます。1枚1000円です。興味のある方はいかがでしょうか。並ばないと、売り切れるかもしれませんが。

なお、オフィシャルパートナーズのJR北海道様も過去にコンサドーレのオレンジカードを発売していました。最近は北海道日本ハムファイターズのカードを発売しているようですが、コンサドーレは03年のチーム集合写真のカード以後は発売されていないかもしれません。こちらもぜひJ1昇格を決めることで、発売してもらいたいと思います。


posted by papa12 |20:18 | 思い出 | コメント(7) |