2008年05月08日
サポーターの余裕。
古今東西、洋の東西を問わず「娯楽」は、日々の生活の憂さを晴らすという側面があります。 かつてローマ帝国の皇帝は、市民への「パン(食料)とサーカス(娯楽)」の提供を約束したり、 帝国領内各地に浴場(風呂)を作って市民からの支持を集めました。 そして、コロッセオで行われた剣闘士の戦いが、その最たるものでしょう。 同じような円形のスタジアムで行われるスポーツもローマ時代の娯楽の延長にあたるでしょう。 サッカーもスポーツであり、しかも、お金を取って観るプロスポーツです。 そこに求められるものは、究極の娯楽。 我々は、日々の鬱憤を晴らそうとそこに過大な期待を寄せます。 よくサッカーを知る観客が多くおり、サッカー文化を長く持つ地域として、 ヨーロッパをあげ、それを手本にすべきだという意見を見ますが、 ヨーロッパ経済とフーリガン(暴力的なサポーター)は、無縁ではありません。 今問題になっているイタリアのフーリガン。それは、現在不調のイタリア経済と無縁ではありません。 この間、マンチェスターUのテべスのスーパーミドルに古巣ウエストハムの 観客が今のシュートは仕方ないと拍手をしていましたが、 それも「イングランドの景気のよさ=観客の余裕」と無縁ではないと思います。 なぜなら、イングランドの景気が悪い時は、 イングランドのフーリガンは最悪とまで言われていたからです。 サッカーへのブーイングは、チームへの愛の裏返しだとか、 愛の鞭だとか、そのような言われ方もします。 サッカーについて色々と語ることは自由だと思いますし、大いに語るべきだとも思います。 しかし、ここ最近の流れを見ていると、負けたチームに対して 感情的になっているコメントが多かったように感じました。 相変わらずの北海道経済を反映しているのでしょうか、サポの心の余裕が あまり感じられませんでした。 それを見ている方もあまり気分がいいものではありません。 私は、宗教家でも占い師でもありませんから、 「愛とは何か」ということについて語る気はありませんが(笑)、 例えば、好きな異性(若しくは自分の子供)に君が好きだからもっと良くなって欲しい、だから、 君の事情はあまり考慮せずに自分が嫌なところを指摘しまくっているんだ。 それが私の愛情表現だといって相手に理解されるのでしょうか? 開幕前から戦力的にみて苦戦することは分かっていたはずです。サポが余裕を見せないで、 選手や監督に当り散らしても、さらにチームを苦境に追いやるだけだと思うのですが。 皆さん、いかがですか?
posted by whiteowl |12:04 | Consadole Sapporo | コメント(4) | トラックバック(1)