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2005年12月30日

裏口になった函館

トップチームの試合は、今年も函館で1試合開催されました。
試合に関する話はこれだけにして。(笑)

かつて、函館は紛れもなく北海道の玄関口でした。
内地から来る場合には青森から連絡船に乗り、しょっぱい川の津軽海峡を渡って函館に上陸すると、文字通り「北海道の地を踏んだ」ことになりました。

連絡船には数え切れないくらい乗りました。周遊券を買って、夜行列車で眠りながら全国を旅して回ることは、体力と時間がある年代ならば楽しいはずです。それでも、1週間くらい旅を続けると三半規管が異常を示すようになり、列車から降りても地面が揺れているように感じる頃が、家路につく頃合いです。

青函航路の途中で函館山が見えてくると、「北海道に帰ってきた」という実感が湧いたものでした。たとえ寒風の中に浮かぶ函館山が雪を被っていて、立ち木の薄墨色と混じってモノトーンの風景を見せていても、空気には暖かさを感じました。函館の桟橋に降りて、動かない地面を踏んだ時の安堵感は、どんなに高額な生命保険よりも有り難いものです。(船の揺れに強くない自分にとっては尚更です。)

ところが、青函トンネルが開通して連絡船が無くなると、函館はただの「途中下車駅」のような存在になってしまいました。
玄関口が函館から千歳空港に変わってしまったことが決定的ですが、寝台特急「北斗星」で帰って来るにしても、トンネルを出て目が覚めて、駅弁と朝刊を買うための駅(というか、単にホーム)でしかなくなりました。その駅が函館である必要はまるで無くて、停車時間が短いし、わざわざ降りて別の列車までの間に街を見て回る余裕が無いし、という生活様式に変わったことも一因です。

試合があって函館を訪れる機会が増えてくると、どうせ函館まで行くんだから、ついでにどこかに寄ってこよう、という企みを実行する余裕が出てきました。
大抵の場合、試合の前夜に札幌を発ち、夜中に函館に着く行程になります。朝まで眠っても、試合開始までには時間があるので、のんびり見て回れます。

前回は、隣町の上磯町七重浜にある「台風海難者慰霊之碑(いわゆる、洞爺丸慰霊碑)」を見てきました。心なしか、ゆったりと砂浜に寄せ返す波が、50年前の悲劇を洗い流そうとしているようにも感じますが、そう簡単に忘れてはいけない事故です。ここのすぐ近くに「慰霊碑前」というバス停があるので、場所は分かりやすいはずです。

今年は、函館山の登山道入口の脇にある「青函連絡船海難者慰霊碑」を訪問しました。ここはあまり知られていませんが、国鉄青函局の殉職者のための慰霊碑です。戦時中の連絡船空襲によって殉職した乗務員や、洞爺丸台風で沈没した連絡船(5隻)の乗務員を合祀しています。歴史の証言者として、沈没した船体の一部を石碑に貼り付けてあります。

函館を訪れたら「海鮮丼」や「やきとり弁当」を食べるっていうのも、一つの選択肢には違いないですが、歴史探訪も腹や脳を膨らませることができます。せっかく函館なんだから。


追記(2006-01-03 16:56)

【地名の変更】
洞爺丸台風の日にも連絡船に乗務していた叔父さん(上磯町七重浜在住)からの年賀状によると、上磯郡上磯町は亀田郡大野町と合併して、2月1日から「北斗市(ほくとし)」に変わるそうです。


posted by 雁来 萌 |22:42 | トップチーム | コメント(0) |

2005年12月27日

低反発床材があれば

冬季は主に屋内で練習をします。
いずれも正式な名称を忘れてしまった「つどーむ」や「きたえーる」などの公共の体育館を借りることになりますが、これが結構、競争率が高くて、なかなか思うように確保できません。
体育館の中を4分割して借りることもあり、テニスなら1/4のエリアでも用が足りますが、1/4でサッカーの練習をするのはあずましくないっしょや。フットサル用の小さいゴールしか使えない場合もあります。

先日の「きたえーる」での練習では、1/2がコンサユース、1/4が他のチームのフットサル、残り1/4がバトントワリング、の3グループが同居していました。ジャズダンスの練習などと一緒になることもあり、持ち込みのCDプレイヤーから心地良いBGMが聞こえてきて、楽しいんです・・目はサッカー、耳はダンスの方を向いていたりして。(決して逆じゃありませんからっ!)

「きたえーる」の内部は防寒着も要らないほど暖かいし、座席の座り心地もよろしいです。「つどーむ」も屋内だから暖かい、と思ったら大変な勘違いです。走り回って汗をかく人間に室温を合わせるので、暖房は(ほとんど)入っていません。冷房が効いた、だだっ広い空間の中で座っている人間にとっては、半端じゃない寒さです。
あのドーム状の空間に暖房を効かせるとなると、かなりエネルギーを浪費することになるから仕方が無いんですが、天井を葺いている半透明のシートからの放熱が大きい・・ことを考慮していない設計に見えます。

体育館は床が固い、という問題もあります。「つどーむ」なら、野球にも使えるように人工芝のマットを敷いてありますが、それでも反発があります。一方「きたえーる」は、バスケットボールなどにも使うため床は木材を敷いており、その床の上で急発進・急停止・ジャンプ・キックの踏込み・・を繰り返していたら膝に負担がかかるし、転んだら痛いです。U-12の練習でさえ、膝に装具を付けて走ってる選手がいて、無理をしないで欲しいと祈るような気持ちです。

「きたえーる」は地下鉄駅直結なので通いやすいんですが、「つどーむ」は地下鉄駅から歩くことになります。吹雪の日に、雪まみれになって歩いているU-12やU-15の選手達を見ながら車で追い越して行くのは気が引けます。「どうせ全員を乗せることはできないから」とか、「歩くトレーニングの邪魔しちゃいけないから」と考えるようにしています。
女子高生のように、真っ赤になった生足を出して歩いてる訳じゃないし、同乗するように誘ったりしたら不審者だと誤解されかねない世の中だし。

たまに宮の沢のジムを使ってトレーニングすることもあります。外のグラウンドで走ることもありますが、芝には入らずに外側のアンツーカーの部分を走っています。スパイクを履いてるんじゃないんだから、足に負担の少ない芝の部分を走らせてやってよ! と(心の中で)叫んでいます。


posted by 雁来 萌 |01:04 | 日々精進 | コメント(0) |

2005年12月23日

ネーミングライツ

我輩はサポである。名前は「萌」と言う。
最近、アキバ系による「萌え」現象が一世を風靡しているらしいが、私のペンネームはその方面の趣向とは違う。学生だった頃、秋葉原のパーツ屋さんを歩き回って、ジャンクやら工具やらを漁っていたことは否定できないけども。

私の父は(旧)国鉄職員であったため転勤が多く、幾度となく転校せざるを得なかったことが、私の性格形成に影響していることは否めない。
中学生の時、胆振管内のローカル線のK駅にいた。そこはテレビ小説「すずらん」に登場する架空の「明日萌(あしもい)」駅に似ていて、駅員が3名しかいなく、ホームは1本しかなかった。
官舎は一応、駅舎とは別棟であったが、両隣の駅では官舎と駅舎とが一つ屋根の下に繋がっていて、そのまま撮影セットに使えそうな佇まいだった。
待合室のベンチやストーブ、駅長室の椅子や用具など、見慣れた備品がテレビ画面に映し出されると、タイムスリップしたような懐かしさに襲われるので、あの番組は見ないようにしていた。時空を移動して若返ることができるのなら、それも悪くはないけれど。

そのローカル線は1986年に廃止になり、線路や駅舎は跡形も無くなったが、官舎が建っていた場所には、HFCのスポンサー様になった観光グループが経営する大規模な温泉ホテルがそびえている。その大浴場の脱衣室あたりに住んでいたことになる。
ホームだった場所はホテルの駐車場に変わり、線路跡は「平成ふるさとの道」と呼ばれるサイクリングロードになっている、という徹底したリユースぶりだ。
カーブの先から、今にも準急「いぶり」のディーゼルカーが、エンジン音を響かせながら走って来そうな錯覚に襲われるが、そんな奇跡が起こるはずもない。

「すずらん」は(事実ほどは奇でないはずの)小説だから、現実にはあり得ない設定が多く、ツッコミ始めたらキリが無いので目をつぶると、ヒロインの萌ちゃん(役の柊瑠美さん)の演技は、「おしん」や「チャングム」の子役俳優に匹敵する殺傷能力?があったようだ。小説やドラマが嫌いな私が誉めるんだから、マチガイナイ。(番組を見ないようにした人間による評価だけど・・。)

スタジアムにどんな名前を付けるかもスポンサーの特権だし、ブログでどんな名前を名乗ろうとも勝手なので、萌ちゃんというサウンドに基づいて私の偶像をデッチ上げてしまうと、不審者を見抜けなくなりますよ、きっと。

posted by 雁来 萌 |00:48 | 雑念 | コメント(0) |

2005年12月20日

大いなる野生

春先の除雪から始まった今シーズンの屋外練習も、12月10日で終わりました。
多少の雪ならば、走ってるうちに踏まれて融けるんですが、シューズが濡れるし、寒いとケガをしやすいし・・で、いいことは何もありません。

屋外で練習できなくなると、ユースの練習も終わります・・んな訳ありません!ユースにはオフは無いんです。
体育館などを借りての室内練習が、春まで続きます。体育館は有料だし床が固いので、なるべく遅い時期まで屋外の専用練習場を使うようにしますが、試合に勝てても雪には勝てません。

グラウンドをそのまま雪に埋まらせておくと、雪が締まる時にネットの裾の部分が下方に引きずられる(これを雪の沈降力と呼ぶ)ので、ネットが破れる恐れがあります。また、ネットを固定しているコンクリートの支柱が傾く恐れもあります。吹きっさらしの強風にも耐えられるように、支柱の根元はかなり念入りに固定されているそうですが、今年の春には実際に傾いてしまいました。

この被害を防ぐためには、雪が積もる前にネットをたぐり上げて、雪からフリーにしておく必要があります。ゴールのネットも、付けたままにしておくと破れてしまうので、これも外しておきます。
多分、無いとは思いますが、ゴールマウスも埋まるほどに雪が積もったならば、あの固い金属パイプでさえ飴のように曲げられてしまうほど、雪の力は強いんです。

何年も前にトップチームの関係者から、いつ頃まで外の練習場(当時は月寒)が使えるのか、という相談を受けたことがありました。本職でも雪の降り方を予想するのは難しいし、降った雪がどれほど積もるかの予想は、なおさら難しいんです。雪がすぐに融けてしまえば問題無いけど、寒気が続いて融けなければ積雪になってしまいます。日射や地面の状態や地中の温度も雪の融け方に影響するので、種々の兼ね合いを総合的に勘案する・・って、言葉では簡単なんですけどね。

札幌での初雪の平年は10月27日ですが、今年はその時期でもまだ手稲山さえ冠雪せず、季節の進行が半月ほど遅れていました。何しろ、10月の平均気温が13.2℃で、過去の高い方の1位の値とタイ記録になりました。
11月9日にやっと初雪を観測し、これは平年より13日遅れでした。初霜は11月15日に観測され、これは平年より24日も遅かったことになります。

12月になってやっと気温が平年並に下がり、10日に屋外での練習終了と冬支度、その次の週は寒いし大雪が降ったので、屋外練習を諦めるにはちょうど良い時期だったことになります。
ユースのスタッフも、屋内に避難すべき時期を察知する野生の本能が備わっているのかも知れません。

月寒練習場のU-15


(写真と本文とは直接関係ありません。)


追記(2005-12-20 23:54)

【注釈】:10月の平均気温が13.2℃ という値はどの程度か?

札幌の10月の平均気温の平年値は11.3℃ですから、今年は+1.9℃の差がありました。2℃くらいの差は大したことない・・と思うかも知れませんが、日平均値を1ヶ月間平均した値が2℃も違うのは、大したことです。

観測開始からの統計期間が130年くらいあり、その中での高い方からの1位タイの記録ってことは、130年間に2回しか起こらなかった現象なので、人間が一生の間に体験できるかどうか、という珍しさです。
ちなみに、第10位の値は12.3℃で、平年値より1.0℃高いだけです。
一方、低い方からの1位は1879(明治12)年の7.4℃で、現在の平年値との差は-3.9度になります。

平年値とは、30年間の平均値のことで、現在(2001年から2010年までの間)は、1971~2000年の平均値を使います。
2011年から2020年までの間は、1981~2010年の平均値を使う・・というふうに変わっていきます。


posted by 雁来 萌 |00:34 | 日々精進 | コメント(0) |

2005年12月17日

郷土の誇り

毎年、正月の高校サッカー選手権の時期になると思い出すことがある。20年も経ってしまったが。

父は室蘭出身だが、親の転勤や自身の転勤であちこちに引っ越したらしい。退職して落ち着いたので故郷の室蘭に家を建てたけれど、現役中から病気がちで、退職後も自宅よりは病院に入院していた時間の方が長かった。

ある日、見舞いに行ったら父はテレビを見ていた。テレビを見ることや眠ることは病人の仕事だから気にもしなかったのだが、やおらテレビに向かって何か言っている。
「よしっ、行け、ザイゼン!」

病室の小さなテレビを覗き込むと高校サッカーの試合を放送しており、室蘭大谷高校の財前恵一選手がボールを運んでサイドを突破しようとしていた。
父は若い頃から野球ばっかりやってて、サッカーの「サ」の字も知らないくせに、なんで急に高校サッカーよ。しかも財前の名前を知ってるとは、どーゆー知り合いなんだよ?

父が在学していた、旧制・室蘭中学(=現在の室蘭栄高)の卒業アルバムを見たことがある(父の年令が知られることは、私の年令も知られてしまう心配がある)が、部活動紹介のページに蹴球部のセピア色の写真も載っていた。足にはストッキングじゃなくてゲートルを巻いてる!ことは、大日本帝国のローカルルールだったとして容認するしかない。
そんな時代から、室蘭はサッカーの街だったのかぃ?・・サッカー以前に、軍港を抱えた軍事工場の街であり、「鉄の街」であるのだが。

その室蘭で育った父は、当然大谷高校を応援するから、地元のヒーローである財前選手を知っていても不思議ではないのだな。後で知ったのだが、室蘭市民であれば、サッカーは知らなくても財前兄弟の名前は知っていた。

その財前(兄)さんが、うちのチームでペレイラやアルシンドと一緒にプレイし、引退してユースチームの監督になろうとは、お釈迦様 はちまんさま(室蘭八幡宮のこと)でもご存知なかっただろうに。


posted by 雁来 萌 |00:09 | 思い出話 | コメント(0) |

2005年12月14日

たまねぎとかぼちゃ

玉葱と言えば黒柳徹子、南瓜と言えばシンデレラかハロウィーンでしょうかね。私自身は共通項のスープを連想しますが。
雁来が属する札幌市東区、特に丘珠の周辺は玉葱の産地です(でした)。玉葱発祥の地であり、「札幌黄(さっぽろき)」というブランド名で海外にも輸出されていたという歴史があって、玉葱は東区を代表する農産物です。

東区を走っていると、住宅街の真ん中に突然、玉葱畑が現れたりします。しかし順序は逆で、玉葱畑だった農地が住宅地に変わったんですが、昔のまま残っている畑もあります。
ねぎぼうずが並んで揺れている光景はメルヘンですが、収穫時期に畑の近くを通ると臭いですよね。玉葱が転がっている畑の中に建築現場の廃材入れの籠のような容器が置いてあり、それに玉葱を詰め込んで運ぶトラックが走っているのも東区の風物詩です。

東区のマスコット「タッピー」
東区のマスコットキャラクターは玉葱の妖精で、「タマネギ」と「ハッピー」を組み合わせた「タッピー」という名前だそうです。頭が玉葱の形をしていますが、ターバンを巻いているアラブ方面の王子様のようにも見えます。手に持っているのは、振ると幸運を呼ぶ?「ねぎぼうず」でしょうか?東区役所の玄関の屋根にこの人形が乗っており、区民の出入りを優しく見守っています。


地下鉄東豊線・環状通東駅の交差点に、(女の子に見える)人形が立っています。冬季は歩道の滑り止めに使う砂袋を保管してある人形で、頭が玉葱の形をしています・・そう信じ込んでいました。
ある日、信号待ちの運転席から良く見ると、「かぼちゃ」という説明が書いてありました。そう言われれば、確かに頭上のとんがりは、徐々に細くなる玉葱の尖り方ではなく、実(頭部)との間にくびれがあって、南瓜のヘタの形をしています。頭全体も「おかっぱ」のようにずんぐりしていて(だから女の子に見える)、玉葱ではないことが納得できます。

かぼちゃ頭の人形
なんだ、この頭は玉葱じゃなくて南瓜だったのか!・・でも、なんで南瓜なんだろう?・・東区なんだから素直に玉葱にしておけばいいのに、南瓜の形をした頭・・カボチャ頭!・・いや、そんなウケ狙いで人形を立たせるはずがないし・・と思いながら頭を叩いてみると、空洞的な低音が響きました。←自分の頭ですよ・笑。

それにしても、似てるよなぁ・・。


(はるか昔の)小学校にあがる前、道南の某市のお菓子屋さんの店先に、頭を押すとスプリングで揺れる人形が立っていました。(不○家ではなく、地元のお店です。)その頭を押すのが面白いので、人形に向かって横断歩道を渡り始めた途端につまずいてしまい、舗装路面が目の前に急接近してきたことまでは覚えていますが、その後の記憶がありません。一応レントゲンで検査したそうですが、それ以来・・(以下、自粛)。


posted by 雁来 萌 |00:41 | 雑念 | コメント(0) |

2005年12月11日

花嫁の父

例年のように、来季の契約を結べないトップチームの選手がいる、という憂鬱さを振り払うため(?)、ユースの選手がトップチームに昇格する話題で盛り上っているようです。

一般のサポーターの感覚としては、「ユースの選手がトップチームに上がって来る」ので、「若くて新しいメンバーが増える」と捉えるから嬉しいんでしょうが、私の場合はちょっと違います。
親しんできた「ユースの選手がトップチームへ去ってしまう」とか「送り出す」という感覚なんです。

ユースからトップへ昇格できる選手が1人もいなかったら、それはそれで困った事態なんですが、昇格するということを手放しで喜べる心境じゃないんです。
トップチームに上がるとなると、言うなれば「可愛がってきた娘を嫁に出す」ようなもんで、花嫁の父親になったような、変な感情なんですよ。「良かったね!」と言われても愛想の良い表情はできませんので悪しからず。

たとえトップチームに上がらなくたって、時期がくればユースを退団して進学やら就職する訳ですから、どっちみち彼らと別れなくちゃならないけども、その「別れる」という事実が先にきて、憂鬱になっちゃうんです。初冬に現われるこの症状を「ユースメランコリー症候群」と・・言いませんが、秋からジワジワっと、しかし着実に発症してきます。

その辛い時期を過ぎて春になり、彼らがトップチームに合流してしまうと、かえって楽になるような気がします(単に「木の芽時」だからかも)。
いったん嫁に出したら、「煮て食うなり焼いて食うなり、勝手にしてくれ」という感じで、自分の方から一線を引いてしまうようなところがあります。

トップに上がった選手の場合は、ユースへの「出戻り」はあり得ないので、「トップが辛かったら帰っておいで」とは言えません。一方通行の別れになってしまい、「もしかしたら帰ってくるかも・・」などという中途半端な期待が入る余地が無いからこそ、吹っ切れるのかも知れません。

ユース昇格1年目の選手を戦力外と判断したことに対してクラブへ抗議するのって、娘が出戻ってきた時に、実家の親や小舅(姑)が嫁ぎ先に苦情を持ち込むことに似てると感じるんです。「嫁の出来が悪かった」とは微塵も考えないのか?と。


posted by 雁来 萌 |11:25 | トップチーム | コメント(2) |

2005年12月09日

雁来練習場の立地・交通

時々知人から「雁来練習場って、どこにあるの?」と尋ねられたり、「どうやって行くの?」、「車でないと行けないんだべさ?」などと尋ねられたりしますが、カリキはそんな田舎ではありません・・郊外にあるだけです(と、一応否定してみる)。
選手達は自転車で通ったり、地下鉄とバスを乗り継いで徒歩で来たり、親御さんの車に同乗して集まったりします。
私自身も地下鉄とバスを乗り継いで行ったことはありますが・・確かに車に比べて時間がかかり、忙しい現代人にとっては不便に違いないでしょう。

左側のリンク集の中の「札幌周辺公共交通案内」を見れば、JR・バス・地下鉄・電車の路線と停留所を検索して、運行ダイヤを調べることができます 。停留所周辺の写真も載っていて、しかも携帯端末でもダイヤを調べられるスグレたサイトです。

市の中心部から公共交通機関で雁来練習場へ行くには、大まかに二通りの方法があります。

  • 地下鉄東豊線「環状通東」駅から、中央バス<東68>伏古札苗線・「豊畑東」行で「豊畑神社前」下車、徒歩10分くらい。
  • 中央バス札幌ターミナルから、中央バス<90>札江線、<56> 雁来線(いずれも国道275号線を通って江別方面へ向かう)で「雁来」下車、徒歩10分くらい。

ただし、上の方の路線は、停留所1つ手前の東豊高校に通う生徒のためにあるような路線で、平日の朝夕は便数が多いですが、日中や土日には極端に便数が少なくなります。

車で行くとすると、環状通あたりから国道275号線に入って北へ向かい、札幌新道を横切ってさらに道なりに進むと、豊平川を渡る「雁来大橋」があります。その橋を渡らないで、橋の手前の信号で左側の脇道に入ります。その突き当たりの一時停止のT字路を左折すると、豊平川左岸の堤防の上を走る道路になります。ここまで来たら、左手遠方に練習場のネットや照明が見えますから、2階建ての施設「ゆい」の手前で左折すれば練習場に着きます 。
「雁来」停留所の直前から入る近道は工事車両が使っていますが、来春には一般車も通れるようになるんじゃないかと期待しています。

練習場の駐車場は砂利を敷いてあるだけで舗装されておらず、降雨の後は泥と水溜まりになって靴底(やズボンの裾)が汚れます。
トイレは、クラブハウスの横に別棟で建っています。ハーフタイムには選手も使うので、なるべく混まない時間帯に利用させていただきましょう。
飲料の自販機もありますが、夏場に大会があって込み合う時などは、業者による商品の補充が間に合わない場合もあります。直近のコンビニまでは、車なら5分程度です。
ゴミ箱はありませんので、ゴミは各自で持ち帰りましょう。

道路に面した側に、支援企業から頂いた「ハマナス」を植えてあります。土壌は砕石と粘土だし、給水もままならなず、雪に埋もれる過酷な環境で育っているので、踏み潰さないで下さい。(ハマナスは雅子妃殿下の御印でございますよ。)

気象条件は札幌市中心部に比較してかなり厳しいです。
低気圧が通過した後に吹く北西の風は冷たく、石狩湾の方向には障害物が無いので(高い物体といえばモエレ山くらい)、風が弱まること無しに吹き付けてきます。これが、練習を見学するときには向かい風になります。
逆に低気圧が接近している時には、南西の湿った風が吹きます。風上側は米里とか山本方面の平地なので、こちらも(白石清掃工場以外は)障害物がありません。
遮る建物が無い分、眺望は良好です。練習場からは手稲山や藻岩山、恵庭岳などを見渡せ、テレビ塔や札幌駅のJRタワーも見えます。

丘珠空港に近いので、上空を民間機や自衛隊機が飛んでいます。風向によっては、ちょうど旋回して着陸体勢に入るポイントになり、少々やかましいですが、見物するには最適です。
飛行機に飛び方を教えるために、市の中心部ではあまり見られない鳥も飛んできます。カッコウは札幌市の鳥であり、かつては北大構内でよく見られた(聞かれた)鳥ですが、最近はとんど聞かれなくなりました。それが雁来では季節になると飽きるほど鳴き声が響き渡ります。アオサギや白鳥などの渡り鳥も、人間を嘲笑うかのように通過していきます。

この辺は、土地を分譲している住宅地(リンク集の「ウエルピアひかりの」)ですが、ボチボチ売れています。元々は豊平川の堤防の内側にあり、洪水になったら水に浸かる地域なので地盤が柔らかく、はるか遠くをダンプが走っているのに、地震か?と思うほど揺れるし、近くを人が走っただけでも振動を感じます。今年の夏に本当の地震による振動で、照明灯の支柱が揺れました。

堤防からの曲がり角には重要な水位観測所があり、その北側には排水機場(ポンプ場)もあります。つまり、洪水対策上の重要な地点であり、排水機が必要なくらい水没しやすい地域なようです。
リンク集に「雁来観測所の水位」があります。雁来地点での水位の経過と現在の水位を見ることができるので、大雨が降った時に洪水の危険があるのかどうかを調べるのに便利です。(そんな非常時に練習が行われるのかどうか、という疑問はさておき。)
注意する点として、石狩川は大きな川なので、流域に大雨が降ってから増水するまでに時間がかかります。雨が止んでから水位が上がることもあるし、上流の旭川方面で大雨が降ったとしても、河口に近い札幌市内の水位が上昇するまで、2日くらい遅れる場合もあります。

豊平川を挟んで右岸側の河川敷には「米里サッカー場」があり、市内のリーグ戦や公式戦などが行われます。ここは思い出の多い場所で、若い頃はここで草サッカーをしてました。大雨が降ると水浸しになり、洪水の後にはピッチ上に泥が積もり、乾くと固くなって凸凹に足が引っかかり、さらに乾けば土埃が舞うという、自然環境豊かな?サッカー場でした。
左岸側の河川敷には「雁来サッカー場」というのがあったんですが、現在は「豊平川緑地」という公園に変わり、一応サッカーグラウンドもありますが、休日には草地でバーベキューを楽しむ家族連れで賑わっています。


posted by 雁来 萌 |22:41 | 周辺環境 | コメント(0) |

2005年12月06日

若武者達の源平合戦

12月4日の昼過ぎから雁来で、室蘭大谷高校を相手に60分(30分ハーフ)の練習試合を2試合行いました。
コンサU-18は赤黒のユニ、室蘭大谷は白黒のユニですから、まるで源氏(白旗)と平家(赤旗)の合戦ですよ。室蘭大谷の応援歌は「♪俺達の誇り、白黒の勇者・・」だし。歴史上は源氏が勝つんですが。。。

★1試合目:U-18 0-0 室蘭大谷
スタメンはGKが岩田、DFが安藤・廣中・松本・久松、MFが岩月・大野・岡・小川、FWは横野・門間と、2年生を主体として1年生が混じっているメンバーでした。
立ち上がりはピリッとせず、サイドを突破されることも多かったんですが、決定的なシュートは打たせないように防いでいました。
22分頃、左サイドから切り込んだ久松がエリア内で倒されてPKを得ました。これはラッキーと思いましたが、岡が思いっ切り蹴った低いボールは相手GKが触れずにゴール左隅へ・・と思ったら、左ポストに当たって跳ね返ってきました。

後半開始時に、GK岩田に代えて平加を入れ、小川に代えて能登、岩月に代えて大西、岡に代えて伊東が入りました。1年生が増えたことと、MFをほとんど入れ替えたことになります。激しい攻防でも、互いに決め手を欠いて無得点に終わりました。
室蘭大谷の右SBは、コンサU-15出身の村松純くん(2年生)のように見えました。

★2試合目:U-18 1-1(0-1/1-0) 室蘭大谷
ほとんどのメンバーが1年生になり、相手側もメンバーを総入れ替えしたようです。
前半はGKが平加、DFが岩月・松本・福田・鎌部、MFが安藤・伊東・岡・小川、FWが大西・能登で始まりました。今日は1年生のDFが2人いないこともあり、2年生も入っています。

キックオフの後、メンバーを記録してから顔を上げたら、平加の手に触ったボールがゴールに入りました。近くに相手がいないので、遠くから打たれたようです。何が起こったのか分からないまま開始早々(0分)に失点したので、外気がなおさら寒~く感じます。

20分頃に、平加に代わって岩田が入りました。その直後、大西がベンチ脇に立っているので、いつの間に代わったんだろう?と思ってピッチ上を見回しても、交代で入った選手はいません。フィールドプレイヤーを数えると9人しかいないし、大西は片方のスパイクを手に持っているので、どうやらスパイクの故障でアウトしたようです。彼を補充する形で久松がFWに入りました。

チャンスはかなり多かったんですが、先制されたせいか、フィニッシュの精度(あるいはメンタルの落ち着き)が足りなくて、得点に結び付きません。
右からのクロスに安藤が合わせたヘディングは枠外に飛び、左からのグラウンダーのクロスがGKの前を横切って転がるのに、なだれ込んで来た誰もが合わせられず・・前日のトップチームの試合を思い出させる場面が多かったです。
コンサはパスでボールを運ぶことに腐心しますが、室蘭大谷はシンプルに前線へ送ることを狙っている、という違いが感じられました。

後半はGKが塚本に代わり、DFが伊東・大野・福田・鎌部、MFが岩月・廣中・小川・能登、FWが岡・横野になりました。大野のDF、廣中のボランチ、伊東の右SBは以前に・・(以下、諸事情により省略・笑。)
10分頃、小川のロングシュートは上方に外れるかに見えましたが、ゴールマウスの左上角に当たったものの、跳ね返りにも詰められずに、ストレスが溜まっていきます。
18分頃、伊東が右から放り込んだこぼれ球を、能登が左から矢のようなシュートを打ち込んで、やっと同点にしました。
相手のカウンター攻撃を防ぐ際に、ハーフウェイライン付近で廣中が相手の後方からタックルして倒し、ファウルを取られました。負傷は無かったようですが、これは一発退場にされても仕方のないような危険なプレイで、ベンチの四方田監督も彼に注意してました。チームプレイの為にも、こういう余計なファウルを減らすようにしないとね。

その後は怒涛の攻撃が続いた時間帯もありましたが、決定力が無いというトップチームの特徴を見習って焦っているのか、遠くからの無理なシュートや、周りが見えていないパスが多くなりました。
終盤はもう、互いにバテてきて、ボールの動きを見てるだけで足が出ない状態になりました。左サイド深くからのクロスに、フリーで走り込んだ横野が軽く足を当てるだけで得点になったと思われるシーンでも、体が残らないのでシュートがゴールの上へ飛んでしまい、少ないギャラリーからは溜息が漏れました。
そして終了の笛。結局、2試合とも引き分けになり、今回の合戦では雌雄を決するに至りませんでした。

もうじき雪が積もって、屋外での練習はできなくなります。練習場に早く着き過ぎたので、隣接地に建設中の「サッカーアミューズメントパーク」の工事の状況を見物(と撮影)に行きました。ここは来春に完成する予定ですが、現在は既にネットや照明灯の設置も済み、人工芝のピッチが敷かれ、クラブハウスや屋内練習場の骨格が出来ています。1月に開催される大会(コンサドーレカップ)では、会場の一部として使われるようです。
サッカーアミューズメントパーク(予想図)



posted by 雁来 萌 |22:14 | 闘う若梟 | コメント(0) |

2005年12月01日

お兄ちゃんなんだから我慢しなさい

11月27日、雁来でU-18と大学生との練習試合がありました。
前日、いいだけ寒さに打ちのめされたのにも懲りず、今日もイソイソと雁来へやって参りました・笑。前日と違って風がほとんど無いのでかなり楽です。ただ、起きた時刻が遅かったため途中で食料を買い込む時間が無く、昼食はザックに詰まっている非常食で済まさなければなりません。

相手はどこだろうかと見ると、ビブスを着てアップしているのでチーム名は見えませんが、白いパンツの脇に紫色の折れ線が入っていて、札幌大学でした。しかし、ピッチサイドには道都大学のジャンパーを着た人達もいます。
「最初に札大と試合して、その後で道都と対戦するのか?」とも思いましたが、それでは余りにもうちの選手達がしんどいはずだし・・と思って改めてピッチ上をよく見ると、脇に水色の帯が入った道都大のユニを着てる選手もいました。さらに、オレンジ色の線が入った別のユニを着ている選手もいて、教育大や札幌学院大も混じっているようです。

一体、どういう構成メンバーでどういう目的の試合なのか分からないうちにキックオフとなりました。ピッチ上に札大1年生の満生くん(北海高出身)がいることに気付き、控えのメンバーに札大1年生の石本くん(第一高出身)がいるので、「大学1年生の選抜メンバーと、うちのU-18との練習試合」と解釈するならば、不自然ではありません。
ところが、控えには道都大の伝庄くん(コンサ・U-18出身)も座っています。彼は3年生なので、相手チームの学年構成が分からなくなりました。おまけに主審と副審2人は、どう見ても専門家で、協会あたりから派遣された審判員のように見えます。相手のベンチにはコーチらしき人物が3人ほど立っていて、着てるコートも様々なので、別々のチームのスタッフが合同で指揮しているように見えます。

学年をごちゃ混ぜにした大学生の選抜チームを強化する目的だとしても、対戦相手に事欠いて高校2年生しかいないうちのユースと試合をさせるのも不思議です。
普段から、U-18が大学生と練習試合をすることもあるし、U-15が高校生と練習試合をすることもありますが、うちのチームの方から申込んだ試合であるならば、単独の大学チームでいいはずで、わざわざ大学連合軍を組む必要は無いだろうし・・この疑問は、ついに晴れませんでした。

試合は40分×3本で行われました。
★1本目:0-1
スタメンは、GKが岩田、DFは安藤・廣中・松本・久松、MFは大西・加藤・岡・長沼、FWは横野・門間で、途中交代はありませんでした。善戦はしていたんですが、終盤に左斜めからシュートを打たれて失点しました。

★2本目:0-0
DFの松本に代わって谷川が入り、FWの門間に代わって能登がトップ下に入り、大西がFWに上がりました。
なかなか思うように攻めさせてもらえませんが、相手シュートの精度が悪くて助かった場面が多く見られました。
20分頃に、岡に代わって(練習を見学しに来てるだけだと思ってた)西(3年生)がトップ下へ、FW大西に代わって小川が左サイドに入り、能登がFWに上がりました。その後の交代で道都大の伝庄優くんがCBに入りました。彼は去年まではMF専門でしたが、今年はDFとして登場することが多くなりました。今回はCBの訓練を受けているようで、右SBの選手から盛んに指示を受けていました。
27分頃に、能登に代えて岩月が右サイドに入り、西がFWへ、長沼がトップ下へ移動しました。続いて31分頃には、ボランチ加藤の位置に伊東が入りました。

★3本目:0-1
DFの廣中と久松に代わって松本と鎌部が入り、岩月がDFに下がり、安藤がMFへ、トップ下は再び西、FWは能登と門間になりました。
18分頃、いや~な予感がした左CKからのこぼれ球を押し込まれました。それまでもピンチは沢山あったんですが、何とか踏ん張って守っていました。そうそうラッキーなことは続かないはずだ、と思い始める時が運の切れ目です。20分頃に、安藤に代えて長沼を再び投入して、若干のポジション調整がありました。
教育大岩見沢1年生の斉藤来くん(コンサ・U-18出身)が中盤でプレイしてましたが、体格が少しがっちりしてきたように感じました。

3本トータルのスコアは0-2ですが、力の差はそれ以上にあったと感じました。高校生同士の試合とは寄せや攻撃のスピードが違うし、大学生の馬力には、高校1年生のフィジカルじゃぁ勝てません。倒されたり振り回されたりで、かなりバテてる筈なんですが、それでも基本をサボらずにプレスをかけ、スライディングでクロスやシュートを防いでいました。

うちの選手達は、チームの伝統として(笑)、無口でプレイすることが多いです。アイコンタクトだけで用が足りるのなら悪いことではないんでしょうが、パスをミスっ たり意識やタイミングが合わなかったりした場面などでは、もったいなく感じます。
対して大学生の方は、口数が多く、クレームアピールも堂々と言います。そのせいかどうかは知りませんが、若干、うちのチーム側に寛容な?判定があったかも知れません。


posted by 雁来 萌 |20:46 | 闘う若梟 | コメント(4) |