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2013年01月29日

トップ昇格おめでとう2012 ~深井一希

2012年11月8日にコンサ公式サイトでコンサU-18から来季のトップチームへ昇格する選手6名が発表されました。
こちら↓
コンサドーレ札幌U-18 中原彰吾・永坂勇人・堀米悠斗・神田夢実・阿波加俊太・深井一希 選手 2013シーズン トップチーム昇格のお知らせ(2012/11/8)

そのひとりひとりについて、お祝いを兼ねて、ユースでの背番号順に彼らのこれまでの思い出話とかプレーの特徴(←素人目線で)などを語ってしまおうシリーズの第3弾です。
(第1弾・阿波加俊太くんのエントリーは→こちら)
(第2弾・永坂勇人くんのエントリーは→こちら


深井一希  深井 一希(ふかい かずき)

  ユースでの背番号:5
  ポジション :ボランチ
  生年月日  :1995/3/11
  身長/体重  :177/72
  経歴  :コンサドーレ札幌ユース・U-12(苗穂小)
       →コンサドーレ札幌ユース・U-15(明園中)
       →コンサドーレ札幌U-18(札幌拓北高)
  呼び名   :かずき



一希は高校2年生のときメキシコでのU-17W杯で、U-17日本代表の主力選手として活躍し、日本中の(もしかして世界中の?)育成年代サッカー好きの注目を集めました。早生まれでチーム内では年下であるにもかかわらず、アンカーの位置での落ち着いた冷静なプレーぶりは心憎いほどで、エルゴラッソなどのサッカー専門紙や雑誌でも「職人」と評されたほどです。
同期の中でも全国的な注目度や実績では群を抜いている一希ですが、コンサU-18での3年間で見ると、一希が活き活きとプレーできていた期間はそんなに長くはありません。
U-15からU-18にあがってきたばかりのころの一希は、まだ背も伸びてなくて「小さい子」というイメージでした。小さいのにピッチの中央で自分より首一つ高い大きな相手を背負いつつ、いったいどこを見ているんだろうと驚くような視野の広さで、一発でチャンスになるところへパスを出す子というイメージです。以前一希のことを「一希の後頭部には魚眼レンズがついているのだと思います。」と紹介したことがありますが、どうしてもそうとしか思えませんでした(笑)。
一希は、ゴメスや夢実と違って1年生の最初の試合からスタメンというわけにはいきませんでしたが、1年生の夏を過ぎるころにはしっかりとスタメンに定着し、そのころ初めて年代別代表候補に選ばれました。同期の中での知名度や実績からすると「ゴメスや夢実に次ぐ」という感じだったかな。順風満帆に着々と・・だったんですが、1年生のシーズン終盤に年代別代表合宿に招集され、その代表合宿中に怪我(?)をしたようで、途中で帰ってきてしまいました。それからしばらく別メニューが続いたようで、1年生から2年生になるときのシーズン前の遠征にも帯同していませんでした。春になって公式戦が始まって久しぶりに一希の姿を見たとき、その変貌ぶりにはちょっとびっくりしました。「背が伸びたなあ」もありましたけど、何よりも上半身が分厚くなっていて。奈良くんが前年に(2年生の時に)つけていた背番号5をこの年は一希がつけたこともあって、慣れるまでは試合中に「今競り合ったのは一希?!奈良くんだと思ってた!」と見間違えるほど、体が大きくなり胸板ムキムキになっていました。別メニューの間に鍛えたんだろうなと思いました。そのころから一希のプレースタイルは「ちっちゃくて視野が広くて巧い」から「1対1に強く、対峙する相手のボールを巧みに奪い取る選手」に変わっていました。視野の広さは相変わらずのままですが。

ちなみに、彼らが2年生になるときの2011年3月版私的ユース選手紹介エントリーで、私は一希のことをこんなふうにご紹介しています。
主なポジションはボランチです。
一希も去年のAFC U-16選手権 ウズベキスタン2010のU-16日本代表で活躍しましたから、もうみなさんご存じでしょう。
一希のプレーの特徴は、相手の攻撃の芽を摘む守備力と、ボール展開の視野の広さでしょう。
去年の12月半ばに代表合宿で怪我をして、しばらくは別メ調整だったのかな。去年末のGO FOR 2014 CUPのときは遠征に帯同していませんでした。でも2月の広島遠征には途中から参加していましたから、きっともう大丈夫だろうと思います。復調した一希の素敵プレー、見るのが楽しみです。


2年生の春から夏にかけて、チームでの一希のプレーの存在感がどんどん増してきて、U-17W杯での活躍で一気に知名度を上げて、秋ころにはボランチに一希がいることでチームの安定感が増すわ~(はあと)と思うようになったのに、今思えばこのころから一希は膝の痛みを抱えたままだったんですね。シーズンの終盤、プレミアリーグイーストの優勝争いをしているころは、一希は試合に出場したり、様子をみて休んだり・・という状態でした。日本一の座を賭けて広島ユースと対戦したチャンピオンシップでも、一希は出場時間が限定されていて途中出場でしたね。シーズン終盤はちょっと無理しちゃったかなあ、でもシーズンオフにしっかり治せるかな・・・と思っていたのに。手術するとかの話もあって、年末の関東遠征(GO FOR 2018 CUP)に帯同していなかったのは予想どおりでしたが、2012年2月の広島遠征でも姿を見ることはできませんでした。3月下旬の東京でのイギョラ杯のときにようやく久しぶりに「一希も一緒に来てる!」と喜んだものの、試合には出ることなくピッチ脇でゆっくりとランニングしたり、リハビリメニューをこなしている様子を見るだけでした。それでもほんの軽~~くですがボールを蹴ったりもしていて、少しずつ良くなっていると期待していたのに、4月初めに宮の沢でトップとユースの練習試合があったとき、一希がベンチコートを脱ぐようすもなく、明らかに足を引きずって歩いている姿を見たときはショックでした。「え?イギョラ杯で見たときにはランニングもしていたのに・・?」
その後報道されたところによれば、3月下旬に再度手術をしたとのことでした。膝のお皿の骨の形が生まれつき一部離れているとかで痛みが出るのだそうですが、骨の成長が止まってない(骨年齢が若い)ためなかなか手術に踏み切れずにいたとか、記事には書いてありました。結局一希の3年生シーズンはリハビリでスタートし、夏を過ぎるまで試合にはずっと出れないままでした。でもベンチでチームの試合を見ていたり、Bチームの試合のときも(他の3年生はいなくても)チームに帯同していたりして、一希がチームにいるという存在感はけっこう感じていました。それだけに試合復帰が待ち遠しかったですけれど。
そしてBチームでの練習試合でのプレーを経て、一希がAチームの試合に復帰したのは、8月26日プレミアイーストの後半戦の再開と同時でした。復帰していきなりの圧巻なパフォーマンス。「一希、さすがだわあ・・」と思わず唸りましたね。そこから数試合、とても幸せな時間が続きました。プレミアリーグの前半戦9試合でボランチとして活躍した寛之がスタメンで試合に出れなくなったことはもったいなくて残念でしたが、それでも一希のいる試合を見てしまうと「寛之はこの一希を押しのけないと試合に出れないんだから仕方がない(押しのけて出場機会を掴むようがんばれ)。」と素直に思えました。一希のプレーを実際に見たサポたちは、いつしか一希を「深井様」と呼ぶようになっていたり・・(笑)。
でも私たちが「深井様」を堪能できたのはほんのひとときでした。私がユースでの一希のプレーを見たのは10月14日SSAPでののプレミアイースト第16節青森山田戦、一希が先制ゴールを挙げた試合が最後になりました。このゴール、一希がU-18にあがってから初めてのゴールだったんですってね(最初で最後のゴールになりましたw)。その後10/21宮の沢でのJユースグループリーグ仙台ユース戦(この試合見に行けなかったのですが)では出ていると聞きましたが、翌週の10/28宮の沢でのJユースグループリーグ栃木ユース戦のときにはベンチ外で担架隊を務めており、以後一希の姿はふっつりと見なくなりました。どうしたんだろ?と思っていたら、前の手術で入れていた骨を止めるボルトを抜く手術をしたのだということでした。
そっかあ、ここからのプレミアイーストの終盤2試合も、Jユースの試合も、すべて一希抜きで戦うのかあ・・・。がっかりはしましたが、トップ昇格後のチーム始動に間に合うように、それを見越して今の時期に手術することにしたのだと聞けば、嫌も応もありませんよね。万全の状態でトップに合流できる方がいいに決まってますから。

プレビューパーティーで発表されたトップ新チームの背番号では、一希は18番を背負うことになりました。ルーキーとしては異例です。コンサで「18」といえば、少し前までは吉原宏太や山瀬功治など「期待の若手選手の出世番号」の扱いでしたから、一希に寄せるクラブの期待の大きさもうかがえるというものです。
複数のポジションを経験させることの多いコンサユースの中で、一希に関してはボランチ以外の位置では見たことがないように思います。子供のころはもうちょっと前目のポジションもやっていたようですが。トップでもきっとボランチが一希のポジションになるんじゃないかなと思います。怪我がよくなって万全の調子でプレーできる日が早くきますように、楽しみに待っています。


私が一希の名前を最初に知ったのは、たぶん、毎年夏にJヴィレッジで行われていた全日本少年サッカー大会にコンサU-12が初めて単体チームとして出場した2006年に、J村までコンサU-12の戦いぶりを見に行ったひぐまさんが書いてくれた観戦記ででした。
ひぐまさんのブログ「ひぐまANNEX」で当時の一希(背番号10)やゴメス(背番号5)、彰吾(背番号9)、夢実(背番号6)の姿を見ることができます。やー、みんなめんこいねえ(*^_^*)
 2006/8/6 ひぐまスポーツJ村版(3)(U-12の初戦のようす)
 2006/8/6 ひぐまスポーツJ村版(5)(U-12の2戦目のようす)
 2006/8/19 ひぐまスポーツJ村回顧版(3)(U-12の戦いぶりまとめ) 


私が自分の目で一希を見たのは2008年夏のJ村が最初かな。グループリーグ3日目の清水エルパルスJrユース戦と、決勝トーナメント1回戦のガンバ大阪Jrユース戦です。
一希は中2で、試合にベンチ入りはしていたけれど、試合出場はありませんでした。(彰吾もベンチ入りだけ、夢実とゴメスはスタメン出場でした。阿波加くんと永坂くんはベンチに入っていませんでした。たぶん帯同自体していなかったのではないかと思います。)




2008/8/11 一希と名塚さん
2008/08/11@J村 グループリーグ3試合目・清水エルパルスJrユース戦
試合前に選手がアップしているときの一希(中2)と名塚監督





水を配る一希
2008/08/13@J村 ラウンド16・ガンバ大阪Jrユース戦
水の用意をする一希







中3になると、一希はスタメン出場しています。
2009/08/16@J村 グループリーグ2戦目・千里丘FC戦 観戦記


2009/8/16 試合中の一希
(プレー中の一希 背番号5)




この試合は退場者が出て1人少ないなか、先制された試合をひっくり返して勝ったという胸のすくものでした。それだけに選手たちはとっても嬉しそうにサポのところへ挨拶に来てくれました。


2009/8/16 勝利のダンス
挨拶の後、サポのチャントに合わせて肩を組んで飛び跳ねてノリノリの福永浩哉くん(16)、夢実(10)、ゴメス(6)、彰吾(7)、しもっこ(11)。
こんなとき、真っ先にチームメイトの肩に手を回して勝利のダンスを始めるのはゴメスや夢実です。照れ屋さんの多い北海道の子たちの中では珍しい、ノリの良い子たちです。

でも、後に「職人」と評される寡黙で冷静なイメージ(←プライベートではどうだか知らない)の一希は、このころからやっぱり、こういうとき飛び跳ねる輪には加わらず、チームメイトたちを(笑顔で?)見ているタイプで、






職人一希
ほら、やっぱりこんな風に離れたところにいます。


posted by あきっく |08:00 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(0) | トラックバック(0)

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