2011年03月31日
拓馬のトップ帯同発表
ちょっと前のことになりますが、オフィシャルで拓馬のトップチーム帯同が発表されました。→コンサドーレ札幌U-18 荒野拓馬選手 トップチーム帯同のお知らせ
◆この度、コンサドーレ札幌U‐18所属の荒野拓馬選手(札幌工業高校2年)が、高校3年進級を機にトップチームのトレーニングなどすべての活動に帯同することになりました。
リリースされた内容を見ると、拓馬は所属チームはU-18でありながらもトップにも登録して(2種選手として)、練習等の実際の活動はトップで行うということですね。新聞報道によるとすでにしまふく寮にも入寮済みとか。 これは一昨年のヒロと同じような感じだなと思いつつも、ヒロのときとは微妙に違う部分もあるので、どこが同じでどこが違っているのか比べてみたくなりました。(ひゃー、くだらねー。) 以下、しょーもない話だからたたみますわ。
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2011年03月29日
コンサU-18 関東遠征日程
チャリティーマッチが待ち遠しくてそわそわするこのごろですが、ユースがトップの偵察の目を逃れて?チームの準備をするために(冗談ですよ)、関東に遠征する予定だそうです。イギョラ杯も中止になってしまったし、外でサッカーやる機会を確保しなきゃ、ですもんね。 噂を聞きつけ、詳しい時刻や会場をHFCに教えていただきました。 チャリティーマッチには行けない関東在住サポの方、ユースくんたちのプレーを見るチャンスですよ~~。 (ただしユースの遠征の常ですが、状況次第で予定の変更等もあり得ますのでご承知おきください。) 03/31(木)15:00 vsジェフ千葉U-18 @フクアリサブグラウンド 4/1(金)13:00 vs順天堂大学 @順天堂大グラウンド
(順大サッカー部サイトで調べたところ、順大Gはさくらキャンパスにあると思われます。)
4/2(土)11:00 vsマリノスユース @マリノスタウン 1年生は帯同せず、2、3年生だけの遠征だそうです。 B戦の予定もないそうです。
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2011年03月29日
U-18の選手たち【2・3年生】(2011/3月版)
去年の高円宮杯(U-18)の前に、せっかくの札幌開催だから少しでも多くの方に興味をもってもらえたらと思ってユースの選手の紹介エントリを書いたところ、(一部の方に)思いのほか喜んでいただけました。 なので今年も高円宮杯プレミアリーグのホームの試合が始まる前ころに、今年版の紹介エントリを書いてみようかと考えていたのです。 そのころなら、シーズン前の遠征を何度か経て1年生も見ることができるし、プレミアリーグは多分グラウンドコンディションを考えると最初は何試合かアウェイの試合からだろうから、公式戦で新しい背番号も分かるだろうし・・と思っていました。 ところが大震災の影響で、イギョラ杯も中止になってしまったし、例年なら今ごろ組まれているはずの1年生も加わっての遠征も未だないようです。そのうえプレミアリーグ・イーストの開幕もいつになるのかわからなくなってしまいました。 でも、今週末に「東北地方太平洋沖地震」復興支援チャリティイベントでトップvsU-18の試合が組まれていることですし、せっかく見るならユースくんたちの名前を知って見たいとリクエストもあったことですので(笑)、とりあえず2、3年生だけの暫定版選手紹介をしたいと思います。 チャリティーマッチでは去年の背番号のままなのか新しい背番号をつけるのかわかりませんが、新しい背番号は(私には)まだわかりませんので、とりあえず参考までに去年の背番号を書いておくことにします。たぶん試合前にメンバー発表のアナウンスがあると思うので、背番号はそのときに忘れずにチェックしてくださいませ。 ポジションも、予想スタメンも、はっきり言ってよくわかりません(爆)。私が見たのはまだ今年のチーム作りが始まったばかりの時期でしたので。 なので、ポジションも参考までにという程度で、先入観なくご覧になってみてくださいね~。 というわけで、言い訳たくさんしてから以下スタートです。 学年は4月以降の新学年、身長/体重は去年の高円宮杯(U-18)パンフレットに記載されているデータ(濱下くんと小野くんは去年のプリンスリーグのデータ)です。 呼び名は選手たちが呼んでいるのを聞いて私が勝手に判断したもので、間違っているかもしれません。プレーの特徴等の説明は、あくまでも私の素人目で見た独断・主観ですからね~。 去年からよく試合に出ていた選手に関しては、去年の紹介エントリもどうぞ併せてご覧ください。 正面を向いたちゃんとした写真はオフィシャルの選手紹介ページでご確認くださいませ。 【2011/04/07追記】 JFAのプレミアリーグ特設サイトで今年の背番号がわかりましたので、付け加えておきます。
阿波加 俊太(あわか しゅんた) 背番号 :21 去年の背番号:30 ポジション :GK 生年月日 :1995/2/7 身長/体重 :185/74 学年 :2年生 経歴 :空知FC→札幌U-15→ 呼び名 :あわか
年代別代表の合宿等にも何回か招集されている選手です。 これまでの起用法を見ていると、今年の試合にスタメンとして主に出場するのは阿波加くんだろうと思われます。 長身を生かした安定したキャッチングと落ち着いたコーチング。バランスのとれたGKだと思って見ています。
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2011年03月27日
気にしないでと言われても・・(超私信)
『ブラックコンサドーレ日記』のブラコン2号さんがですね、自分とこにコメント欄をつけてないのに私に質問してるんです。 しかも「いーの、投げてみたかっただけ。気にしないで。」って言ってるんです。 でもその質問内容ってば、うずうずしてどうしたって答えたくなるような内容なんです。 うきーーーっ!! どうすればいいの~~~!! とジタバタした末、ここで勝手にお答えすることにしました。(爆) イケズなブラコンさんはトラックバックもできない仕様にしてるので、このエントリに気づくかどうかは知らない。 いいの、自己満足だから。気にしないで。←真似っこ
ご質問の内容は「2009年6月28日(日)のサテライトの試合に出ていた『ミツ』と呼ばれるユースの選手は誰か?」というものでございます。 じゃじゃーん。 答えは、工藤光輝(みつてる)くんです。 ちなみに、この試合の私の観戦記は→こちらです。 ミツはヒロと一緒の学年で、コンサU-18では主にFWでプレーしていました。 くりくりの坊主頭で泥臭くゴールに突進していくそのプレースタイルは、特におばさまたちのハートを射抜き、1年生のころから「ミツ~!」とどす黄色い歓声があがるようなマダムキラーな選手でしたの。 ブラコンさんたちに「応援してね」と教えてくれたというその女性も、きっとミツにやられてしまったひとりなのでしょう(笑)。 ミツは高校時代の3年間をしまふく寮で過ごした寮生なので、村野さんの本「しまふく寮通信」でも3期生のページにイラストが載ってますよ~。 ミツがどんなキャラだったかと言えば、→こんなふうにゴールを決めたときにチームメイトにぼこぼこにされるような、愛され(笑)キャラです。 そして去年の12月に久しぶりに会った大学生のミツは→こんなふうに大人っぽくなってました。 ・・というところで。 あー、満足した(笑)。
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2011年03月26日
高円宮杯U-18プレミアリーグ ~尚志高校(福島)がんばって~
一昨年のシーズン後か去年のシーズン前あたりから、高校生年代のサッカー記事などで「現状方式の高円宮杯U-18は2010シーズンで終わりになるらしい」との話が断片的に出ていました。毎年9月から10月にかけての週末に集中的に開催されていた高円宮杯(U-18)が1年を通じたリーグ戦方式に変わるらしいという話です。 でもそれ以上の詳しい話は何もないまま2010シーズンが始まり、そして終わりました。なぜ何も発表にならないのだろう? 内容がまだ定まっていないのだろうか? 育成年代の改革(?)は前会長の犬飼さんがかなり力を入れていたそうなので、犬飼さんが退任したことで方針が変わったとかあったのかしら?と邪推したりもしました。 というわけで、今年のシーズンがもう始まるというのに、今年の試合がどうなるのか未だオフィシャルな概要発表などはないままなのですが、3/17に行われたJFA理事会の資料と昨日発行のエルゴラ記事で明らかになった現状での内容をまとめておきたいと思います。 まずはJFA理事会の資料から。 →平成22年度 第11回理事会 協議事項 (2011.3.17)
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2011年03月18日
「倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ」
今日であの大地震発生から1週間が経ちました。 被災地の状況はまだ大変ですが、それでも少しずつ救援の手が届き始めているようです。ライフラインが復活した地域も出てきました。 私の住む首都圏も、停電や電車の間引き運転など不便はありますが、それでもだんだん慣れてきました。もちろんそうなるには多くの人の不眠不休の尽力があったからですけど。 被災者の受けた悲劇的な被害を思うと胸が痛みますし、今なお心配な状況は続いていますけれど、直接その救護救援に力を発揮することはできない私たちは、これから長期戦になるだろう復興への道のりへ向けてそろそろ前を向くころかなと思います。 できるだけ「日常」の世界に戻り、できることをやりましょうよ。 選抜高校野球は開催できるようで、よかったですね。高校球児にとって一生に一度になるかもしれない甲子園での大会がなくなってしまったら気の毒でしたから。被災した地域の高校が活躍したりしたら、みんな元気になるし、泣きますね。 プロ野球もできるならすぐに開幕するのも大いにけっこうだと思うんですよ。 電力供給に問題のない会場だけでの開催ならば。 Jリーグも早く開催できるようになりますように・・・と祈っています。 ところで冒頭のタイトルは、セルジオ越後さんのコラムの中の一文です。 「元気な人は、行動するべきだ。それぞれの立場で、どんどん働くべきだ。」と呼びかけています。 →【セルジオ越後コラム】すべての日本人へ「倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ」
1人負傷者が出たからといって、勝負を諦めるのか? 10人でも勝利を目指して戦い続ける、倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ。
悲しみを超えて、みんなで立ち上がろう。
サッカー人らしい、なんてかっこいいフレーズ! ほんとにそうですよね。 今は走れなくなっている被災地の方の分まで みんな、がんばりましょう。 コンサドーレは明日、トップの選手、スタッフ、フロントスタッフ、ドールズ、アカデミーの選手、スタッフ、みんな総出で募金活動をするそうですね。ユースもやるならぜひ私も飛んでいって協力したい・・と思いましたが、その分の交通費を寄付した方がいいと思い直して(笑)、私の気持ちをサポ仲間に託すことにしました。 たくさん集まりますように。 そしてコンサドーレに対する注目もたくさん集まりますように。 コンササポじゃない人が偶然通りかかって「あ、募金してるなら協力しようかな」と思って近寄っていき、募金箱のところにいる○○とか、☆☆とか(←お好きな選手名をお入れください)を間近に見て、あまりのかっこよさに心を奪われて、「きゃー、あの選手なんていう人~~?」「今度試合を見に行ってみよう~~」ってなる可能性だって大いにありますもんね。 そういう意味でもみんながんばって。 ファンを増やすチャンスです(笑)。 被災地の方になるべく早く、安心した笑顔が戻りますように。
posted by あきっく |18:34 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(6) | トラックバック(0)
2011年03月17日
大伍の移籍と思い出の品
2010年シーズンが終わったあと、征也がアルビレックス新潟へ、大伍が鹿島アントラーズへ、それぞれ完全移籍しました。 どちらもコンサのユース育ちで、しかも同期の2人です。 ユースのころから織り重ねてきた思い出のたくさんある思い入れのある選手が、同時に2人完全移籍でいなくなるというのは、事情はよくわかるしあたりまえだし仕方ないし、選手としての今後を応援したいという気持ちを十分に抱きつつも、私にとってはかなり切ない出来事でした。 それで2人の移籍にまつわる私の思いを綿々と書き連ねてみようと思ったのです。しかも同時に2人とも完全移籍とはいっても、経緯や私の心の動きが微妙に違う部分もあったので、その2つを対比するように別々のエントリを2つ同時に書いてみようと思っていたのです。 移籍の発表があったころは、まだ私の感情の波も高く揺れていたし、仕事も忙しくてゆっくり気持ちを落ち着ける余裕が持てなかったこともあって、つい伸び伸びになってしまっていました。 そのうちにキックオフイベントを迎えて、それどころかキャンプも終わってシーズンが開幕してしまいました。 いくらなんでも今さらだよなあ・・・と、これらのエントリはお蔵入りになる雰囲気でした。 ところが東北で大震災が起き、第1節を終えただけでリーグは中断することになり、なんだかチームはまた振り出しに戻った雰囲気で。この隙に書きかけのエントリを書いてみようかとも思いました。 でもあんな未曾有の大災害を目の当たりにした後になると、元気で生きていられて、サッカーをやれるなんて、それだけで十分幸せなことだという気持ちが強くなり、「移籍して切ないけど、でも応援する(涙)」モードのお涙頂戴話(?)なんて薄っぺらに感じる感覚になってしまいました。 なので予定を変更です。 途中まで書いた部分は消しはしないまでも、続きは書くのをやめて、最後におまけ話として付け加えるつもりだった「それぞれにまつわる思い出グッズ」を披露するエントリにしてしまいます。 移籍に関する思いは、今後別の機会で書く気になれば書くかもしれませんけれど。(鮮度がぐっと落ちてるからきっと書く気にならないと思います。) - 大伍の移籍に関して書きたかったあらすじはこんな感じです。
posted by あきっく |04:30 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(3) | トラックバック(0)
2011年03月17日
征也の移籍と思い出の品
2010年シーズンが終わったあと、征也がアルビレックス新潟へ、大伍が鹿島アントラーズへ、それぞれ完全移籍しました。 どちらもコンサのユース育ちで、しかも同期の2人です。 ユースのころから織り重ねてきた思い出のたくさんある思い入れのある選手が、同時に2人完全移籍でいなくなるというのは、事情はよくわかるしあたりまえだし仕方ないし、選手としての今後を応援したいという気持ちを十分に抱きつつも、私にとってはかなり切ない出来事でした。 それで2人の移籍にまつわる私の思いを綿々と書き連ねてみようと思ったのです。しかも同時に2人とも完全移籍とはいっても、経緯や私の心の動きが微妙に違う部分もあったので、その2つを対比するように別々のエントリを2つ同時に書いてみようと思っていたのです。 移籍の発表があったころは、まだ私の感情の波も高く揺れていたし、仕事も忙しくてゆっくり気持ちを落ち着ける余裕が持てなかったこともあって、つい伸び伸びになってしまっていました。 そのうちにキックオフイベントを迎えて、それどころかキャンプも終わってシーズンが開幕してしまいました。 いくらなんでも今さらだよなあ・・・と、これらのエントリはお蔵入りになる雰囲気でした。 ところが東北で大震災が起き、第1節を終えただけでリーグは中断することになり、なんだかチームはまた振り出しに戻った雰囲気で。この隙に書きかけのエントリを書いてみようかとも思いました。 でもあんな未曾有の大災害を目の当たりにした後になると、元気で生きていられて、サッカーをやれるなんて、それだけで十分幸せなことだという気持ちが強くなり、「移籍して切ないけど、でも応援する(涙)」モードのお涙頂戴話(?)なんて薄っぺらに感じる感覚になってしまいました。 なので予定を変更です。 途中まで書いた部分は消しはしないまでも、続きは書くのをやめて、最後におまけ話として付け加えるつもりだった「それぞれにまつわる思い出グッズ」を披露するエントリにしてしまいます。 移籍に関する思いは、今後別の機会で書く気になれば書くかもしれませんけれど。(鮮度がぐっと落ちてるからきっと書く気にならないと思います。)
【以下は征也の移籍に関する書きかけ部分です。】
posted by あきっく |04:25 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(2) | トラックバック(0)
2011年03月16日
つらい状況だけど、悪いことばかりじゃない
3/11(金)に起きた東北太平洋沖大地震の被害は本当に甚大です。 地震って地面が揺れることによる直接の被害(家屋の倒壊など)もさることながら、それに伴って起きる津波や火災などの威力もそれに劣らずというか、それ以上に恐ろしいものなのだなあと今さらながらに認識しました。 今回はそれに加えて地震・津波によって福島にある原子力発電所が受けた損傷も憂慮すべき状態のようで。なんとか事態が好転しますようにと祈る思いです。 そして災害現場での救助・救援をはじめ、少しでも多くの人を助けようと危険で辛い作業に従事されている多くの方々に、ほんとうにありがたいと感謝の思いを改めて強くしています。 首都圏に住む私の日常生活も、けっこう影響を受けています。 東京電力の供給電力量が不足することにより計画停電とか、その影響での電車の運休とか。通勤がままならなくなるのは困ったものです。電力不足はこの先も長期間にわたって続くと思うので、停電は避けられないとしても電車の運行はなんとか回復して欲しいなと願っています。 なぜか過剰反応で食べ物や日用品の買い占めも起きているようで、スーパーでも買い物も不自由な感じになって目を丸くしているのですが、ま、これはすぐに元に戻るでしょう。
大災害の被害で辛い話や悲しい話や胸が痛む話があふれていますが、そんな中でも人の優しさや思いやりが感じられてほろっとすることもけっこうありました。あちこちでそんな素敵な話が紹介されていますよね。 もしかするとこんな場面にならなければ見聞きすることもなかったかもしれない「ちょっといい話」。こんなことにならず、見聞しないで済む方がよかったには違いありませんが、起きてしまった悲惨なことがらの中で明るい救われる話を聞くのは希望の灯火だなあと思いました。 私が八軒中学校の出身であることは以前のエントリで書きましたが、そのエントリに八軒中学校サッカー部の息子さんをお持ちの方がコメントを寄せてくださったことがありました。私の後輩にあたる生徒さんになりますね。 私のその後輩くん・・・と呼ぶのも面映ゆいほど年は離れていますけど、中学1年生かな、2年生かな、の彼が、今回の震災でたいそう心を痛めて自分に何かできないかと考えたそうです。 そんな彼の真摯な思いに心打たれて、昔のエントリのコメント欄でひっそりやりとりしているだけではもったいないと、ここで新しいエントリにしてご紹介しちゃいます。 不正確になるといけないので、要約じゃなく、やりとりとそのままここにコピーしますね。 【以下はコメント欄でのやりとりのコピペです】 ◆2011-03-13 18:07 の「まま」さんの書き込み 地震大変な事になりましたね。息子が少年団の時に選抜で青森の子のホームステイがありました。私も観光の引率などしました。息子の友達は連絡がとれないらしくあせっています。私たちに何が出来るのか息子に問われてもなにも出来ない自分がいます。今私たちに何が出来るのでしょうか。暗い文章ですみません。 ◆2011-03-14 02:42 の私のお返事 >ままさん それは心配ですね。 私もどうしていらっしゃるか気になっている方がいるのですが、どうすることもできず、ただご無事でありますようにと念じています。 いま私たちができることは、自分たちの日常の営みを続け、被災者の状況に関心を持ち続けることじゃないでしょうか。直接物理的に役に立つ救助救援はその道のプロにお任せするしかないでしょうが、しばらく経って現地の必要なもの、私たちにもできることが明らかになったら、そのときにできる協力をすればいいんじゃないかなと思います。 復興はたぶん長い時間がかかるから、すぐ忘れてしまうのではなく「少し愛して。なが~く愛して。」(←古っ)の心持ちで。 ◆2011-03-14 22:55 の「まま」さんの書き込み ありがとうございます。大きな体で泣きながら出来ることの模索をしている息子の姿は胸が痛みますが今わたしたちに出来る節電をしつつ彼の中でも答えが出るよう見守ってゆきたいと思います。どうか被災地の皆様今も救済に尽力されてる皆様に遠くはあっても確かな道程がありますように。中学生の息子に人として一番大事な事を教えてもらったきがします。そちらも大変だとおもいます。その中で返事をして頂いて感謝の念に耐えません。 ◆2011-03-15 12:02 の私のお返事 >ままさん 私の後輩のサッカー少年くんは、大きな体と優しい心の持ち主なのですね。素敵だわ。 ツイッターでみかけた心温まるお話がありました。 ぜひ息子さんに読んでもらってくださいな。 そして勇気凛々でいっぱい勉強してサッカー(に限らないけどw)をしていっぱい青春を楽しんで、さらに素敵な若者になっていってねとお伝えください。 http://chodo.posterous.com/45938410 ◆2011-03-16 16:18 の「まま」さんの書き込み 昨日卒業式でした。送る側で早く帰宅した息子が大きいダンボールを持って私に着いてきてと言うので何と無く察してはいたものの知らん顔で一緒に近所のゲーム店に行きました。彼は自分のこずかいで貯めたほとんどを売り彼にとっては大金なそれを自分の財布に入れることも無く横の募金箱に入れました。店員さんも驚いたらしく私に大丈夫かと尋ねましたが息子がハイと笑って二人でみせを出ました。私も募金しましたが横を歩いていた息子は自分の記憶にあるよりずっと大きかったです。皆大人になるんですね。 (このあとのやりとりは省略) こういう若者がいるって、とっても素敵ですね~。 八軒中学校サッカー部をますます応援しちゃいます。 今年もまたサッカーに、ボールパーソンに、思いっきりがんばって欲しいです。
posted by あきっく |22:30 | 日常 | コメント(8) | トラックバック(0)
2011年03月12日
サッカーのある日常の幸せ
昨日、最初に大きな地震が起こったときは、職場で仕事の打ち合わせをしていた最中でした。 前日にも「あら・・?なんだか揺れてない?」と言い合う程度の地震があったところだったので「今日もまた地震?」と顔を見合わせながら、横揺れがしばらく続いているのを感じました。なかなか揺れがおさまらず、それどころか揺れがだんだんと激しくなってきたので、これは大きな地震なのかもしれないと思いました。横揺れで部屋の壁がミシミシいっている感じで、下から突き上げるような揺れはなかったので、震源地は遠そうだ、それでこんな揺れだとしたら、震源地に近いところはかなり揺れただろうなと思いました。 とりあえず部屋のドアを開けて退出口を確保したうえで状況を見守ることとし、揺れがおさまった後も断続的に余震が続くため、外に出ていた方がいいだろうということになりました。寒いことは寒かったけど、それでもお天気のよい日の明るい時間帯で助かりました。 職場の建物は水が出なくなってトイレも使えなくなり、あたり一帯が停電しているようで、待っていてもなかなか復旧する兆しがありませんでした。まだ明るい時間だったから落ち着いていられましたけれど。 横須賀市の防災広報が津波への警戒を呼びかけていました。職場のあるあたりは海から1.5キロほど離れた高台の上なので津波は大丈夫だろうと思っていたのですが、あとで知った仙台の津波の被害状況からすると、津波の威力はそんなレベルじゃなかったのですね・・・。 電車は全線止まっているようでした。 電車が動いてくれないと、ふだん電車で片道2時間弱かけて通勤している私は、りっぱな帰宅難民です。横須賀中央駅に行ってみましたけれど、駅自体も停電しているし、電車はいつ動くようになるか復旧の見通しが立たないとのことでした。駅は停電していましたが、幸い駅周辺の商店街や街灯や信号は明るくきちんと動いていました。 早い段階でチャオコンからJリーグ全試合中止のお知らせメールが届いたので、それでかなり余裕をもってその後の行動を考えることができました。物事の重大さ、優先度合いの判断が違うでしょと思われるかもしれませんが、変な話、ほんとにこれで気持ちのゆとりができたのです。我ながら困ったちゃんですね。 駅ビルも駅周辺のお店も続々と早めに閉店し、駅前には行き場所のない人がおおぜい立っていました。タクシー乗り場やバス乗り場にも長い列ができていましたけれど、バスもタクシーもまったく見かけませんでした。だから道路は空いていました。 午後7時を回るころ、小学校を避難所として開放するので帰れなくなった人は避難所にも案内しますとの呼びかけがありました。 結局私は、職場近くに住む同僚が家に車をとりにいって都内まで送ってくれて、そこからまた別の人がリレーして車で家の近くまで送ってくれて、というご厚意で昨夜12時ころに帰宅することができました。首都高は閉鎖されていましたけれど、それ以外の高速道路やバイパスは通れる区間もあり、一般道は信号も平常どおり動いていました。渋滞している部分もありましたけれど、どの車も落ち着いて譲り合っての運転で、殺気だった雰囲気はなかったです。歩道には、歩道を埋め尽くすくらいたくさんの人がぞろぞろと歩いていました。みんな歩いて帰るんだなあと心の中でエールを送りました。コンビニの明るい光は救いだったんじゃないでしょうか。ちゃんと営業しているのには感動しました。商品がどれほど残っていたかはわかりませんけれど。 家に着くと、積んでいた雑誌の山が崩れて床に散乱していましたけれど、それ以外は被害はなく、水も電気もガスも無事でした。ありがたかったです。余震が続いているのは気持ち悪かったですね。まだ余震は続いていますね。 家につくまでは携帯やiPhoneの電池容量が心配で各地の被害状況はあまり見ていなかったものですから、仙台や福島の悲惨な映像は帰宅して初めて見ました。ひどいらしいとは聞いていたけれど、これほどとは・・と言葉を失いました。 都内で仕事中だった夫や横浜に住む妹家族や札幌の実家とは、携帯のメールで連絡をとることができていました。かなり遅れて届く状況でしたが。 通話は無理でしたね。 夫は仕事の都合でまだ帰れないようですが、彼の職場はいざとなれば家まで歩いて帰れる距離なので、まあ大丈夫でしょう。 東京電力によると、今日の夕方以降には電力不足になることが予想される事態だそうですね。電気を切実に必要とされる方に少しでも届くように、節電に努めようと思います。 幸い今日もよく晴れています。 お日様の恵みに感謝しつつ、明るいうちにできることを済ませておきたいと思っています。 お互い知恵を絞って、電気や水などなるべく節約して過ごせるように備えておきましょうね。 愛するチームの動向に一喜一憂し、あのプレーが素敵だったと喜び、無様に負けたといってがっくりし、好きな選手が移籍してしまったと悲しみ、次の試合こそはと期待に胸躍らせる。 そんな日常がどんなに幸せなことだったか・・と改めて痛感した出来事でした。 災害に遭われた方がひとりでも多く助かりますように。 少しでも早く穏やかな日常を取り戻せますように。 災害地の救助や救援のために働いてくださっている方々、ライフラインの確保をはじめ人々の日常の暮らしを守るために働いてくださっている方々、本当にありがとうございます。
posted by あきっく |11:45 | 日常 | コメント(11) | トラックバック(0)
2011年03月10日
ヒロと山瀬
「山瀬」と言ってもマリノスサポーターからすれば「功治?幸宏?どっち?」でしょうが、コンササポにとってはただ「山瀬」といえば「山瀬功治」に決まってます。 そして、「ヒロ」と言えばコンササポーターにとってもいろいろあるのかもしれませんが、私の場合、「ヒロ」といえば古田寛幸に決まってます。(や、実を言うと前寛之の可能性も出てきたのだけども、それはまだおいといて。) 今年のオフィシャルガイドブック巻頭に、北海道出身選手6名の座談会がありました。ユース出身選手4名と、らんた出身選手2名での対談です。オフィシャルガイドブックにはまだ読んでないページもあるというのに、ここはもう何遍読んだことか(笑)。 いろいろ盛りだくさんな興味深い話をしていますので、まだ読んでない方はぜひ手にとってご覧になっていただきたいのですが、その中に、ヒロが当時憧れていた選手が山瀬だったという話が出てきました。 「へーえ、ヒロは山瀬が好きだったのか~」と感心するのと同時に、ヒロがドリブルでゴールへ向かって突進していく姿がそういえばなんだか山瀬を彷彿とさせるわ、とも思いました。 ヒロのドリブルの方が山瀬よりちょっと軽やかですけれどね。 山瀬がうちにいたころってヒロはどのくらいの歳だったんだろ?と指折り数えてみました。 ヒロが札幌U-15に入った年が2004年になりますから、山瀬がコンサに入った2000年にはヒロは小3です。ちょうど東川下少年団に入って本格的にサッカーを始めた年です。 ということはヒロが4年生のときに山瀬が新人王をとり、5年生のときには山瀬が10番を背負って名実ともにチームの大黒柱になりシーズン中に大怪我をして・・・という時期にあたるんですね。 宮の沢で1人遅くまで居残り練習をしているのを見たというのはどの年なんでしょう。2年目あたりかしら?
ヒロが初めてコンサのアカデミーの存在を知ったのは赤池さんに誘われたときということですから、ヒロが5年生のときのはずです。赤池さんはヒロのプレーを見ててっきり6年生だと思って「来年は絶対にうちにきてね」と誘ったところ、ヒロが困惑して「僕まだ5年生だから・・・」と答えたエピソードがあるらしいので。ということは、ヒロはもしかしてコンサのアカデミーを知る前から宮の沢でコンサの練習を見ていたのかしら・・・。
山瀬は高卒ルーキーの年にキラリ☆と輝く活躍を見せて、2年目にはJ1でチームの主力選手として活躍し、そして3年目には押しも押されもせぬ中心選手の貫禄を見せていました。クラブはこの年山瀬に日本人選手初の10番を与え、地元出身の輝かしいスター選手、クラブの宝という扱いでした。 振り返ってみれば、ヒロも今年3年目にあたります。ヒロの場合は1年飛び級でトップに昇格したので、同じ3年目でも山瀬より年はひとつ下になりますけれど。 そしてヒロも今年はまさしく「チームの顔」ともいうべき扱いですよね。HFCはヒロを前面に押し出してコンサドーレを売り出しています。あれだけプレーが魅力的で、目を惹くようなイケメンで、しっかりとした受け答えができて、「年代別代表選手」の箔があって、しかも小さなころからコンサ育ちの地元っ子となれば、クラブの営業的にもこれ以上ないでしょ。というくらい好条件が揃ってますもんね。 クラブの営業だけじゃなく、チームにとっても、今年ノブリンは攻撃の大事な部分を担う選手としてヒロに期待しているところ大のようです。 もちろんサポも! そして本人も、自分が中心となってチームを引っ張っていこうという自覚と責任と意欲をしっかりともっているようで、頼もしい限りです。 山瀬は不運なことに3年目に、プレーが輝きを放っていた時期に怪我をしてしまい、その後もかなり苦労をしました。 ヒロにはそんな不運がありませんように、順風満帆で充実したプレーがずっとずっとできますようにと祈りつつ。 ヒロがひっぱるコンサを隅々までしっかり見て、喜んだり笑ったり泣いたり怒ったりしながら熱く応援して。 ヒロと一緒に過ごす幸せな時間を存分に味わいつつ、今年のシーズンを思いっきりコンサと一緒に歩んでいきたいなあと、そんなふうに思いながらオフィシャルガイドブックを眺めるのでした。
【ヒロと山瀬のこと以外でこの座談会で印象に残ったエピソード追記】
- 純貴が裕樹くんに対して「部活と違ってユースは上下関係にうるさくないし・・」みたいな光線を発していたようですが、そうは言いながらユース出身選手が互いを呼ぶ呼称がみなきっちり先輩・後輩の関係を明確にしていたのはちょっと笑えました。さすがにこの年代の子たちって1歳2歳の差でも大きいのよねー。
- 純貴がユースにいた3年間、らんたとの公式戦(つまりプリンスですよね?)が3回とも引き分けだったとは意外でした。札幌第一にはなんとなく苦手意識があったのですが、らんたにも勝ってなかったのねー。
- 陽輔がいたフォーザFCって名門クラブだったのね。というか少年団と比べるとクラブチームって強豪なイメージなところが多いのかしら。陽輔はヒロより1コ下だけど、その陽輔が10番を背負っているフォーザと対戦するときヒロが「緊張していた」というのもなんだか微笑ましかったです。ということは、そのときって実は拓馬もいたのかしら。
- ヒロはオフィシャルサイトの選手プロフィールでも自分のベストゲームに「小4のときのフォーザ戦」を挙げています。どんだけフォーザを意識してたんだろう(笑)。そしてどんだけスペクタクルな試合だったんだろう。陽輔は対談の中で小2のときに少年団からフォーザに移ったと話してますから、ということはこのときに小3だった陽輔も対戦相手にいたんでしょうね。
posted by あきっく |23:54 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(4) | トラックバック(0)
2011年03月07日
第21回国際親善ユースサッカー大会 イギョラ大会
◆ 第21回国際親善ユースサッカー大会 イギョラ大会 主催:(財)東京都サッカー協会・東京朝鮮中高級学校サッカー部OB会 期間:2011年3月19日(土)~3月21日(月) 今年もコンサU-18は イギョラ杯に参加するようです。 在日本朝鮮人蹴球協会の オフィシャルサイトで 大会要領が発表されました。 →こちら 今はまだピッチに雪が積もっている 札幌では外でのサッカーが できない選手たち。 こういう遠征の機会に 久しぶりの広々したサッカーを 思いっきり楽しみ 個人の力を伸ばすとともに 高円宮杯U-18プレミアリーグに 向けてよい準備を重ねていって 欲しいと思います。 そして「ユースを見てみたいけど なかなかチャンスないんだよね」と 思っている関東在住サポの皆様、 ユースくんたちの活きの良い プレーを生で見るチャンスです!
3月の3連休は、 ユースの選手たちのプレーで コンサの未来を見つめてみませんか? ◆参加チーム グループA:東京朝鮮高校(東京)、韮崎高校(山梨)、尚志高校(福島)、青森山田高校(青森) グループB:朝鮮高校選抜、都立駒場高校(東京)、浦和レッズユース(埼玉)、コンサドーレ札幌U-18(北海道) グループC:FC東京U-18(東京)、駒澤大学高校(東京)、鹿島学園高校(茨城)、八千代高校(千葉) グループD:成立学園高校(東京)、流通経済大学付属柏高校(千葉)、矢板中央高校(栃木)、三菱養和SCユース(東京) 試合の日時・組み合わせは、朝鮮高級学校サッカー部のサイトにはまだ去年のものしかありませんでしたが、日韓サッカーの架け橋Between日記というブログで組み合わせ表を貼ってくれています。 →こちら ◆コンサU-18の試合日程 (予選リーグ) 3/19(土)16:00 vs浦和ユース @駒沢公園第2グラウンド 3/20(日)10:30 vs都立駒場高校 @朝鮮大学校グラウンド 3/20(日)14:00 vs朝鮮選抜 @朝鮮大学校グラウンド (決勝トーナメント) 3/21(月祝)9:00~ 会場・対戦相手とも、1、2日目の戦績次第 このほかにもB戦があるようですが、コンサU-18はB戦を組めるだけの人数がいるのかな? このあたりはちょっと見当がつきません。 もしB戦も見れたらラッキーということで。 去年の暮れの GO FOR 2014 CUP に引き続き、また優勝の笑顔が見れたら最高ですね。 そうじゃなくても、みんなが思いっきり伸び伸びサッカーをやって、自分の長所を磨き、課題を克服するための良い機会になるといいなあと思います。 あー楽しみ!
【2011/03/15 23:30追記】 残念ながら大会の中止が正式に決定されたようです。 仕方ないですね。都内はまだ余震が続き、停電もあり、電車の運行もかなり乱れていますから・・。 ユースくんたちは外で伸び伸びサッカーする機会が減ってしまったけれど、うまくトレーニングを積めますように。(トップと試合する?) 札幌の雪も早く溶けますように。 地震も地震の影響も早くおさまりますように。
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2011年03月07日
【第1節】純貴のゴールがっ、見たいのっっっ!!(半ギレ)
2011/03/05(土)14:00 @ニンジニアスタジアム J2 第1節 コンサ 0-2(0-1、0-1)愛媛FC 得点者:ジョジマール(愛・16分)、赤井秀一(愛・56分) 試合結果詳細→ 札幌公式 J'sGoalサマリー 大伍の初ゴールの楽しい思い出はあるものの、それ以外はなんだか悲しい思い出が多い愛媛。2006年の→このときとか。テレビで見てただけだけど「唐紙事件」もここだったわ。そもそも愛媛だけじゃなく四国全体が相性よくないんでしたっけ? でもリーグ開幕戦となれば話は別です。新しい年の始まりだもの。過去は過去。新しいストーリーをここから作っていかないとね!(←スタジアムでのコールリーダーの受け売りw) と、やや勇んで松山空港に降り立つと、なんだかぼよ~~んとしたものが出迎えてくれました。 「牛鬼」だそうです。
posted by あきっく |12:11 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(8) | トラックバック(0)
2011年03月02日
赤黒連盟の素敵なチラシ
サポ有志が作って配ったり配るのを呼びかけたりしている赤黒連盟さんの今年バージョンのチラシ第1号ができあがったとお知らせがありました。 チラシ活動の趣旨を説明したり印刷用データを格納してある赤黒連盟のサイトは→こちらです。 サポ有志があらかじめ紙に印刷したものをシースペースや宮の沢や試合会場に大量においてあるので、そこから誰でも自由に持ち帰ってポスティングとか人目につく場所に貼ったりとかお友達を誘うのに使ったりできます。 チラシを取りにいけなくても、データをダウンロードして自分の好きなサイズで印刷することもできます。 今年のチラシデザインの「素敵ポイント」は、赤黒連盟ブログにもありますように、
- HFCの協力でエンブレムとコンサドーレロゴが使えるようになったこと
- チラシ裏面に初めての方でもわかりやすい試合当日の流れの説明があること
じゃないかなーと勝手に思っています。 制作者さんブログによると、Flickerのチラシ画像を直接リンクしてブログ内に貼ることも(一般的には)できるそうなのですが、このコンサドーレオフィシャルブログのシステムでは本文中にタグを貼るのはできないみたいなので、残念ながらふつうに画像を貼り付けるのでがまんです。 細かいところまで見れるほどきれいに大きく貼ることができませんので、どうぞみなさま各自ダウンロードして、その目で工夫内容をとくとご覧になってみてください。 そしてチラシ活動の普及と、チラシそのものの拡散に、ぜひぜひご協力いただけると幸いです。 ・・・え?そういう自分は何してるのかって? こうやって「チラシ活動そのものの宣伝」もりっぱな普及活動になるんですって。(爆) 少しでも多く人目に触れることが大事ですから。 ほんとはね、こんな偏り濃いめなところじゃなくて、もっと広い範囲の人がご覧になるような場所で宣伝した方が効果的なんでしょうけどね。
posted by あきっく |07:20 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(2) | トラックバック(0)
2011年03月01日
15周年ユニ♪
今日の午前中仕事の区切りで席に戻ったら、メールの着信があったようで机の上に置いた携帯がチカッとしてました。
開いて見てみたら・・。
「宅急便お届けのお知らせ」
「お届けに参りましたが、ご不在でしたので持ち帰りました。」って。
商品は宅急便コレクト(代引き)ですって。
・・ということは!!
わー、レプリカユニだわ。もう届いたんだ~。
思ったより早かったぁ~。
弾む気持ちで今日明日あさってあたりの仕事の予定を目まぐるしく確認します。確実に早く帰れそうな日はいつだろう。
段取りを考えて、持ち帰れる作業は持ち帰って・・。
・・・。
今日だわ!今日早く帰っちゃおう!!
そう思い至るとそのまま携帯電話から今日の夜の時間帯に再配達の指定をして、午後はすごい勢いで仕事片付けて(笑)、そして首尾良くさっさと帰路に。無事予定時刻には家に着くことができました。
途中でちゃんと現金も用意して。
待つことしばし。
しばらくして宅急便がやってきました。わーい。わーい。
ということで、私の今年のユニはこれです。
じゃじゃーん!!
やっぱりこれでしょ。
なんたって名前が JUNKI に変わったんですもの。これははずせませんよね。
(カーテンレールに引っかけてるから斜めになってるけど気にしないで (>_<) )
これを着て今年24ゴール決めるはずの(←勝手にハードルを上げてる)純貴をバリバリ応援しちゃいますからねー。
・・・と言いつつ、
「夫の分も」という名目でやっぱりこれも。
だって15周年なんですもの。
そのメモリアルな15番になったんですもの。
この白いユニのモデルをしてたんですもの。
というわけで、15周年豪華バージョンレプリカをホーム&アウェイ両方ゲットしてしまいました。くふふふ。
どちらも金色がふんだんに使われていたり、細かいところで凝っていて、ふだんの年とは感じが違う豪華な仕上がりになっています。
ホームユニの方は先日ゼロックスのときに現物を近くで見ていたから分かっていたのですが、アウェイユニの白い生地も雪の結晶の地模様があるのですね。
白い生地に地模様。素敵だわぁ。
真っ白な生地が素敵なので、ファンデーションがついたりしないよう脱ぎ着に気を遣いますね。飾っておく用かも~。(←え?)
posted by あきっく |21:40 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(4) | トラックバック(0)