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2012年03月05日

新居と相川、それぞれのサッカー人生

J2に降格した1999年からコンサを見始めて、2001年シーズンに初めてJ1での戦いを体験した私にとって、「J1ってすごいなあ」と改めて感じたのは、アイカーがコンサに加入すると発表されたときでした。
前橋育英高校のFW相川進也選手。
全国に名をとどろかす強豪校の中心選手で、コンサ以外からもたくさんのJチームからオファーが殺到していたという選手。その選手が、特に札幌や北海道に縁があるわけでもなさそうなのに、コンサに入ってくれるというのですから。
監督が岡田さんだったことも影響しているのかなあと思いました。日本代表を率いてワールドカップに出場した監督の指導を受けたいと思ったのかなあって。
岡田監督はアイカーが札幌に入るのと入れ替わりで退任してしまったので、もしそうだったならアイカーには申し訳なかったけれど(笑)。
そしてアイカーと同期でコンサユースからトップに昇格したFW新居辰基選手。
夏にJ村にクラセン(U-18)を見に行ったし、それ以前にも以後にもユース好きなサポ仲間から思い入れたっぷりな話をたくさん聞いていた選手ですからね。トップへの昇格が決まってとても嬉しい思いをしたものでした。

そんな2人は、2002年、コンサに入ってから同期の同ポジションのチームメイトとして、ライバルとして、とても仲良しになりました。互いに対抗心を燃やして切磋琢磨して、合宿先でも一緒に美容室に行って髪を金色と銀色に染めてくるなど仲良しで微笑ましいエピソードが新聞記事を賑わせたりしました。遠征先の駅や空港でも2人が一緒に売店を見て歩いている姿を見て、ほんとに仲良しなんだわと笑みがこぼれたり。
そして2人はさらに期待に違わない活躍ぶりで。
アイカーは怪我で出遅れてしまったけれど、新居は(私の予想より早く)函館での鹿島戦でJリーグ(そしてトップでの公式試合)デビューを果たし、その試合でいきなりゴールを決めました。日本代表DFの秋田を持ち前のすばしっこさで振り切ってのゴールでしたよね。開幕からチームの成績がふるわず、このままだと降格まっしぐらだと先行きが暗かった状態でのルーキーのプレーは希望の光になりました。
アイカーが膝の怪我から復帰してJリーグデビューしたのは、アウェイでのヴェルディ戦でした。あのころは味スタじゃなくて「東京スタジアム」だったかしらね。すでに鹿島スタジアムで降格が決まった後だったと記憶しています。アイカーはたぶんナビスコでトップの試合デビューはしていたと思うけど、リーグ戦では初の出場。それが途中交代で入ってすぐに、豪快なゴールを奪ってみせました。溌剌として胸のすくようなルーキーの活躍は、ほかにすがるもののない暗いシーズンの中でどれだけサポの心に支えになったことか。
あの年の最終節・広島戦@札幌ドームは、「2003年J2第0節」とか、派手なスコアとか曽田さんがJリーグ最後のVゴールを決めたとか、林卓人のJリーグデビューとかアイカーとの交錯とかいろいろ話題のタネは尽きない試合ですけど、相川・新居の2トップがスタメンで、2人して活躍して、「チームは降格するけれど、こういう希望溢れる若手選手がいるからコンサはまだまだこれからだ!」と本気で思える明るさが漂っている試合でもありました。
「新居と相川でコンサのFWはこの先10年は安泰だ」って、みんな思ってましたよね?ね?
私だけじゃないですよね?


それがその後紆余曲折があり・・・。
2人とも本意じゃない形でコンサを去ることになりました。

新居はプロ選手としてきちんと活躍できるようになる前に生活を乱して、応援したり支えてくれている人たちの期待を裏切る行為をして。
Jの舞台に戻ってこれるかどうかもわからない境遇に身を置きました(→2004/08/17「新居辰基選手・中尾康二選手 契約解除について」)。
それだけに鳥栖での活躍はほんとに嬉しく思いました。コンサと対戦したときにやたらとゴールを決めるのだけは閉口しましたが(笑)。
チームが別々になってもアイカーと新居がずっと、選手名鑑等の「仲の良い選手」「好きな選手」「ライバル」の欄に互いの名前を書いているのは微笑ましかったですね。

アイカーは出場機会を求めてレンタル移籍で岐阜に移り、コンサに戻ってくることなくそのまま引退となりました。予想外に若い引退には本当に悲しい思いをしたものでした(→2009/01/06「今日はアイカーも・・・。」)。どこでどうしているのかしばらくわからないままだったものですから、クラッキのブログで消息を知ったときは飛び上がって喜んだっけなあ(→2010/03/01「アイカーが!!!!」)。

その後のアイカーについては、最近発売された「サッカーキング」コンサドーレ札幌特集号にインタビュー記事があって、穏やかな表情をした幸せそうなアイカーの近況を知ることができました。
同じ記事をこちらのサイトでも読むことができます。
[サッカーコラム]
◆相川進也(元コンサドーレ札幌) OB選手たちの現在
「趣味と言えるのはいまだにサッカーだけなんで(笑)」
「生まれ変わっても、もう一度サッカー選手になりたい。」
と話すサッカーが大好きなアイカーが、サッカーとは違う仕事に就いて、でも地元で働けて幸せと話していて、明るい素敵な顔をしているのを見るのは、応援していたサポにとっても幸せなことだ・・としみじみ嬉しく思いました。

一方新居の方は・・・。
縁があればコンサに戻ってきて欲しいなと思ったことも(そしてそれには反対意見がかなりあるんだなと再認識したこともw)ありました(→こちら)が、幸か不幸か縁はなかったようで、新居はその後再び鳥栖に戻り、そして昨シーズン末で現役を引退しました。
ホーム最終戦のスタジアムで心温まる引退セレモニーをやってもらい、幸せな選手だなと思っていましたが、年が明けたら鳥栖のアカデミーのコーチになると知り、それはよかったととても嬉しく、安心しました。
サッカーに関わる仕事ができるのは、やっぱり幸せなことでしょう。
アカデミースタッフとして元気にやっている新居の笑顔が今日の佐賀新聞の記事にありました。
◆元エースストライカー新居さん、スタッフで再出発
こんな屈託のない満面の笑顔、見ている方が嬉しくなります。
「残ってくれてありがとう」と言ってもらえるほど愛される街で、大好きなサッカーの仕事をして、安住の地を得られたのだったら、なんと幸せなことでしょう。
一時の境遇を思えば、恵まれてるよなあ、よかったね・・と思わずにいられません。もちろん新居自身の努力と天賦の才があってのことでしょうけれども。
私たちコンササポが愛した2人の若きストライカーが、当初の想定とはかなり違った形ではあるけれど、それぞれに幸せな道を進んでいるのは嬉しいことだとしみじみ思いました。
私たちの目に見えないところで暮らしているコンサゆかりの選手たちも、みんなそれぞれに幸せでありますように・・・と心から祈ります。
そんなわけで今日はちょっと感傷的になった一日だったのでした。

posted by あきっく |19:31 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(3) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:新居と相川、それぞれのサッカー人生

初めまして。
貴重な記事ありがとうございます。
引退後、仲のいい二人どうしているかなぁ?
と思ったこともあり、二つの記事を読んで色々考えさせられました。
そして、喉につかえていたものが、すっとする感覚を覚えたのでコメントさせて頂きました。
二人が居る頃よく旭川から練習を観に通っていたので余計に……。
それぞれの道をしっかり歩いているんだなぁ~と感動しました。
私も負けないで、病気のせいにしないで少しずつ歩いていかないといけないな、と思いました。

本当にありがとうございました。

posted by sakura| 2012-03-05 20:46

Re:新居と相川、それぞれのサッカー人生

新居についてはなかなか良いイメージが持てないまま、ついに引退してしまったけれど、そっか、こんな穏やかな笑顔で・・・よかったな、と素直に思える記事でした。
あきっくさん、紹介してくれてありがとう。
それにしてもパパだなんて、意外に思っちゃった~

posted by むーこ| 2012-03-06 08:38

Re:新居と相川、それぞれのサッカー人生

>sakuraさん
ようこそいらっしゃいませ。コメントありがとうございます。
sakuraさんもあの2人には思い入れがあるのですね。安心する嬉しい話は嬉しいものですよね。
喜んでいただけてよかったです。
ご病気を抱えていらっしゃるのですか。
コンサゆかりの選手の元気な消息やコンサのパワーがsakuraさんの支えになりますように。お大事になさってくださいませ。

>むーこさん
新居は確か、千葉にいるころに結婚したはずです。「へえ、あの新居がねえ」と当時も思いましたけど、パパになってるなんて尚更ですよね~(笑)。
むーこさんにも「よかったな」と思ってもらえてよかったわ。(*^_^*)

posted by あきっく| 2012-03-06 12:41

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