2006年05月02日

私の初めてのJ村

今週末、いよいよ北海道プリンスリーグが開幕します。
今日の朝日新聞道内版にも記事があったようです。
記事のweb版は→こちら
ふだんコンサのことはあんまり大きくは取り上げない朝日新聞でこのように特集記事を組むのは、朝日新聞がプリンスリーグに協賛しているからでしょう。


北海道プリンスリーグの試合会場に掲げられる大会幕
共催:朝日新聞社の文字が見えます。

ですので、プリンスリーグの記事を探すなら朝日新聞や同系列の日刊スポーツがお奨めですよ。
ちなみに、今年のプリンスリーグ・コンサユースの試合日程は以前のエントリーを参照してくださいませ。
私も、第1節の5/6は笠松での水戸戦と重なるので、これでも関東在住サポのはしくれとして笠松に行ってきますが、第2節の駒大苫小牧高戦はぜひ見に行きたいと思っています。
新しくできた札幌アミューズメントパークも楽しみですし。


私がユースの試合のために遠征するようになるほど、いわゆる”ビョーキ”になったのは、プロフィールにも書いていますけどそもそも2001年夏にJ村に行ったことが始まりです。
今回のエントリーはその思い出話です。


2000年シーズンの私は、以前思い出話をしたとおり初めてシーズン当初からスタジアムで観戦するようになった年でもあり、また、福岡から東京に越してきてどこのアウェイもホームも行きやすくなったこともあって、トップチームの試合を追いかけるのに夢中でした。
チームはどんどん勝ち続け、サポの知り合いは増えていって、まさに私のサポ生活において右肩上がりの時期でした。ホーム、アウェイ合わせて40試合中確か36試合行ったと思います。
そんな無我夢中な1年が過ぎて、翌年の2001年。
J1で試合数が少なかったこともあり、自分の中である程度気分が落ち着いたこともあって、トップチーム以外のコンサ全般に目を向ける余裕が出てきました。
ひぐまさんを初めとする”ビョーキ”(←トップよりもむしろユース観戦の方を優先してしまうユースヲタの人たちを、こう呼んでいました。)の人たちから、ユースの魅力を散々聞かされていた影響も大きかったと思います。
ちょうどその夏、ふだん関東エリアの試合でバスツアーを個人で企画してくれていたひぐまさんが、特別編としてJ村でのクラセンU-18に向けた日帰りバスツアーを企画してくれました。それまでなかなかユースの試合を見る機会というか、きっかけがなかった私でしたが、そんなバスツアーをやってくれるなら参加してみるかな、と軽い気持ちで参加してみることにしました。今思えばあんな遠いJ村での観戦が初ユースだなんて、なんて珍しい!と思いますけれども。


ひぐまさん他ユース好きの人たちの中でしばしば話題になるのは、にやにやして試合中ピッチ上をのらりくらりと歩いていたかと思うと、あっと言う間にボールをさらってゴールしてしまう、ふてぶてしい態度のFWのことでした。そのFWは、調子のよいときはピッチでにやにやしているので、その表情を見れば調子がよいかどうか分かるということでした。
私はそのFWを見るのを楽しみに、J村行きのバスに乗り込みました。
J村行きのバスツアーは、ふだんJリーグの試合のときにバス3台とか仕立てるのと比べると1台だけのこじんまりしたツアーでしたけど、でもバス1台がそこそこ埋まる状況で、コンササポのユースに対する関心の深さを改めて示すものだったと思います。今思えば。他サポのユースヲタの某有名人も混じっていましたけどね。


当時の大会パンフレットを見直してみると、私が見に行ったのは、2001.7.29(日)のグループリーグ第1戦・GENIOS.FC(冨山県のクラブチーム)戦だったろうと思われます。各ピッチで一日3試合あるうちの第3戦(16:10キックオフ)だったので、どうせ行くならと少し早めに着いて他のチームの試合を観戦したりしました。
当時はコンサユースの選手をほとんど知らなかったので、今思い出せることはとても少ないんですけど、私の目を奪ったのは、にやにやしてゴールをゲットするFWでもなく、多分出ていただろうと思われる智樹でもなく(出ていたかどうかさえ記憶にないw)、右サイドを疾走する1年生の選手、石郷裕二くんでした。
そしてこの試合で私は、ユース好きの人がユースの試合を観戦・応援する際のスタンスを目の当たりにしました。
例えば、相手チームの選手もサッカーに真摯に取り組んでいる高校生。決して「敵」ではありません。痛んでいれば心配するし、いいプレーは賞賛し、ときには励ましたりもする。いつどこでコンサの一員になるかもしれない選手たちですしね。
もちろんコンサユースの選手にはそれ以上。ミスをしたり弱気な選択でせっかくのチャンスを生かせなかったとき、トップの試合だと「あーあ。」とため息をついたり「なにやってんだよー!」と罵声が飛ぶようなシーンでも、選手を萎縮させるような言葉は避け、励ましたり、前を向かせる言葉をかけるという姿勢が徹底していました。話には聞いていたけど感心しました。
「ユースの選手たちはプロではない。サポーターのためではなく、自分の夢、自分の目標のためにサッカーをしているんだ。私たちはそれを勝手に見せてもらって楽しんでいるだけ。」という言葉に納得したものです。


そうやって試合を楽しみ、さあ帰ろうと帰りのバスに乗ろうとしたところ・・・。なんか人が減っています。来たときの半分ほどの人数でしょうか。
実は、日帰りのバスツアーのうち、行きの片道だけを利用するという人がかなりの部分いたのです。つまり、その日はJ村周辺に泊まって(中にはテントで野宿をする人もいたような)翌日のグループリーグ第2戦も見ていこうというわけです。
翌日は月曜日ですよ?!ほんとに?! と私は信じられない思いでした。そのときはいずれ自分がJ村の日程に合わせて休暇をとるようになるとは想像していませんでした(爆)。
私のこの夏のJ村はこの日だけで終わってしまいましたが、現地に見に行かないまでも日ごとに結果については気にしていましたね。ビョーキの方の伝える速報でコンサユースが勝ち進んでいることを知り、とても嬉しく思っていました。大会パンフレットに当時私が書き記した結果のメモが残っています。
準決勝、決勝は土日だったこともあって、多数のサポが駆けつけたと聞いています。決勝戦は惜しくもFC東京U-18に破れましたけど、それまでのコンサユースの戦績の中では大躍進である準優勝に輝き、3年生の新居が大会MIPを受賞して、コンサユースにとっては歴史に残る年になりました。

このころはクラセンで上位5位に入ったチームに高円宮杯の出場権が与えられるなど、大会の位置づけは今とは多少違いますけれども、あのころから去年までずっと変わらないのが決勝トーナメント進出を決める方法のややこしさです。
夏になると地道なシミュレーション作業をしてくれる通称「勝ち点計算士」さんが恋しくなります。(笑)
今年のクラセンの大会要領はまだ発表されていませんが、これまでと同じ方法だったらまたよろしくお願いしますね。>計算士さま


初めてのJ村に続いて、私がユースにのめり込んでいった理由も書こうと思ったけれど、長くなり夜も更けてきました。
続きはまたの機会に。

(追記)
私がユースにのめり込んでいった理由は、こちらのエントリにもあります。

posted by あきっく |02:10 | コンサ思い出話 | コメント(2) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:私の初めてのJ村

私も、この年からユースを応援するようになりました
病気の人達の様子をひぐまさんのHPで拝見して、J村に
いきたいな~と思ってました、今だJ村は未経験・・・。

posted by EIKO| 2006-05-02 07:30

Re:私の初めてのJ村

EIKOさん
石郷くんの名前に惹かれるように登場しての
コメントありがとうございます。(笑)
J村、楽しいですよ。一度ぜひ。
日によって灼熱だったり風が強かったり気象条件は厳しいですけど。
ってこれではあんまり有効なお誘いにはなりませんねw

posted by あきっく| 2006-05-02 21:30

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