2007年01月21日

柳下監督に育てられた3年間

疾風怒濤の年末年始が去り、ほっと一息ついたオフもつかの間、気づいたらもう今日はキックオフイベントで、新チームの始動がすぐそこに迫っています。
早かったなあ。というか、この期間、風邪と戦い、積み残し仕事と戦うだけで終わってしまったかも。
このブログもしばらくご無沙汰でした。
本当はヤンツーさんと過ごした3年間をまとめたエントリをもっと前に書きたいと思っていたんですけど、なかなか重い腰をあげられず。さすがに新チームが始動する前に書かなきゃ、もう締切だよなあと、まるで夏休み最終日の子供みたいな状態です。
ギリギリになるまでやれないこの性格は昔っから変わらないようで・・・。orz

今の私の心境を記録しておくことは、背比べの柱の傷のように、あとから振り返ったときに自分の歩みを確認する目印になるかなあと思いまして、まとまりはないながら書き留めておこうと思います。
タイトルの「育てられた」というのはチームや選手のことじゃなくて、私のことですからね(爆)。以下は私の個人的な自分語りなので、お時間と興味のある方だけおつきあいくださいませ。


自己紹介でも書いていますが、私がコンサを見始めたのは「札幌のチームだから」という動機でした。たまたまコンサがサッカーのチームだっただけでサッカーという競技自体に元から関心や知識があったわけではありませんでした。
見始めてみたらサッカーっておもしろかったので、サッカーの魅力自体によってより深みにはまったということはあるかもしれまんせんが。
ですからコンサの試合を見始めたころは、ルールもよくわかっていませんでした。知っていたことといえば、ボールをゴールに入れれば得点になるということと、GKだけは手を使っても良いということくらいかしら。・・・というのはいくらなんでも誇張かなw オリンピックのときに普段は見ないいろんな競技種目を見るのと同じような感じで、ワールドカップ関連での日本代表戦くらいは見ていましたもんね。

でも、サッカーの試合をちゃんと見始めたのはコンサを見るようになってから。99年シーズンの終わり頃というか、ほぼ2000年シーズンからということになります。当時は「戦術」とか「どんなサッカーか」ということはさっぱり分かりませんでした。99年の終わりから2000年の初めというと、当時の監督だった岡田さんが「理想の、やりたいサッカー」を諦め、現実を直視して「J2で勝つためのサッカー」をやりきろうと腹をくくった時期にあたります。「岡田さんのサッカーはおもしろくない」という話や、戦術に詳しいサポの説明によれば「コンサのやっているサッカーはみんなで体を張って守り、攻撃は『エメ!行ってこい!』サッカー、『ウィルにお願い』サッカーだ。」ということであり、それを聞いて「へえ、そういうもんなんだ」と思ってはいたものの、正直ピンときていませんでした。
そりゃそうですよね。それ以外知らないし、他にどんなサッカーがあるのかもわからない、比較のベースとなる引き出しがからっぽなわけですから。
それでも当時の私は、ピッチ上で選手みんなが一緒になって戦って、コンサが勝ったり負けたりするのを見ることを楽しみ、遠征に出かけて応援したり友達ができて一緒に飲んだりということを心から楽しんでいました。


2002年と2003年のシーズンの個々の試合のことは、私の中ではもうほとんど記憶が薄れています。残っているのは苦しくて辛いシーズンだったという全体の苦い印象です。これらのシーズンは、選手も大幅に変わり、監督も何人も変わりですから、やむを得ないのかもしれませんが、チームとしてやりたいことが端から見ている素人にはさっぱり伝わってこなかったのが私にとって一番悲しいことでした。先の見えない暗闇の中でみんながバラバラにもがいているようで。「このあいだより少しはよくなっているだろうか」とほのかな期待をしつつ試合を見に行っては、さっぱり変わっていない、変わる兆しが感じられない試合を見せつけられがっかりする。そういうことの繰り返しでした。しまいにはそういう姿を見るのが辛くて、ユースの試合を見に行くのを優先したりしていました。
このときに私がユースの試合にはまっていったのは、単なる「現実逃避」としての他に、ユースくんたちがやっているサッカーがおもしろいということがありました。
ユースは選手を育成することに主眼がありますから、ボールを受ける、止める、蹴る、走る等の技術をきちんと身につけ、チームとしての連携を考えつつ自分のプレーを選択する判断力を養うことを基本にしたサッカーをしています。トップチームのバラバラで意図の見えないプレーにやさぐれていた私の心には、ユースくんたちが見せる有機的な動きややりたいことが伝わってくるパス回しは、潤いたっぷりに浸みこんでくるようでした。今思えば、このとき私は、中盤でボールを支配してゲームを作っていく試合のおもしろさに魅せられ始めていたということになるのでしょう。


そしてヤンツーさんが監督に就任した2004年。
この年に試合のピッチ上で見せられていたものは、予備知識なくそれだけを見ていたならはなはだお粗末なプレーだったのかもしれません。
でもそのころの私には、HFCが直面している経営危機を踏まえ、再建のためには支出を抑えるしかない、こういうメンバーでやるしかないんだという状況に置かれていることを理解しているだけでなく、「点をとれる外国人選手が一人変わるとそれだけでチームが変わってしまうなんて状態は長期的に見てよくない。」「チームでやりたいことが表現できないつじつま合わせのプレーは嫌だ。」という明確な思いがありました。負け続けた2004年シーズンでも、コンサの選手たちのプレーは形成途上にあることを前提とすれば十分にワクワクさせてくれるものでした。
ヤンツーさんは、試合後の記者会見で、12.netで送られてくる日々のコメントで、練習を見に行ったサポが伝えてくれる練習の中で、どういうことを意図してどういうプレーをすべきか、こういう試合の状況下ではこういうときにどうすべきかということを素人サポに分かるように折に触れて伝えてくれました。
練習を直に見に行けるわけではないので1回の情報量は多くはありませんが、それが3年間毎日毎日積み重なると、こういう場面ではこんなふうにしたらいいんだなあという引き出しが私の中にずいぶん増えたように思います。試合を見ていても、以前はあいまいに眺めていたことを「あ、そこだ!」というポイントに焦点が合ったと感じる場面が増えてきたし、単にシュートを打った、ゴールが決まった、だけじゃないプレーの綾を楽しむ場面が増えたと思います。
言ってみれば、以前は塩味と甘みくらいしか分からない子供の味覚だったのが、次第にだしの旨味やこく、アクセントになるほろ苦さや酸味、薬味の香りなども渾然一体となって楽しめる大人の味覚に近づいてきたというような。(←すぐ食べ物の話になる。)
これは別にヤンツーさんがどうだという話ではなく、単に私がそれまで未発達だっただけ、サッカーを見始めてからの時期的な問題でしょ、という面もあるかもしれません。けれどそうであっても、私にとってはヤンツーさんこそがサッカーのおもしろさを教えてくれた大切な人なのです。
味覚が大人になり始めてみると、前はあんなに栄養たっぷりで美味しく感じたユースの試合も、やっぱり子供ならではの未熟さも見えて(←当然です。)熟成した大人の旨味とは違うと感じるようになりました。
ようやく、あたりまえのことがあたりまえに見える視界を手に入れたような感じでした。ユースの試合はユースならではの楽しさ、トップの試合はトップならではの楽しさがあるのであり、それを混同するのは倒錯した世界だったなあと振り返ってみて思うのです。


私が以前と比べると引き出しも楽しみ方も増えたとは言っても、それはあくまでもヤンツーさんがヤンツーさんの見方で教えてくれたもの。監督が替わり、コンサのサッカーに別の色合いが重ねられれば、また違った味を体験し、別の美味しさも覚えることになるのでしょう。それもまた楽しみです。1年後の私は、どんな味を覚え、どんな味が美味しいと思うようになっているでしょうか。そのときの比較対象とするために、今の立ち位置を書き留めておこうと思いました。

三浦監督のサッカーで私にとって一番印象的なのは、大宮でのきっちり3ラインになって動くサッカーです。大宮のときと同じことをするとは限りませんが、コンサの監督に就任してからのコメントなどでも、相手チームに応じて戦術を工夫してシステマティックなサッカーをやろうとしているように感じます。今までよりも個々の選手が個々の場面で選ぶプレーの選択肢が少なくなりそうで、その分きっちりと選手たちが「同じ絵を描いて」プレーできる場面が増えそうです。選手が右往左往する時間が少なくなり、よい結果も期待できそう。甘いかな。いや、シーズン始まる前なんだから、うんと甘い期待をしてもいいですよね(笑)。
三浦監督は、Jリーグのトップチームの監督として当然のことではあるのですが、結果を出すことを目標に掲げています。当然、チーム運営もシーズン通して勝利を重ねることを第一の目的としてなされるでしょう。そのためには選手は一人前のプロ選手であることが前提とされ、そうではない選手は置いて行かれると思います。

ここで老婆心ながら、特に若い選手たちに言いたいことは、監督が道を明るく照らしてくれて、道路状況に沿った歩き方を事前に教えてくれるとしても、そこで思考停止しないでね。ということです。
三浦監督は、ヤンツーさんよりも迷いが少なくなるような指示をしてくれるかもしれません。でも、いつでも監督が言ってくれなければ自分で路面の状況も判断できないような選手では、というより、自分自身で目的地への行き方をチェックして、道路状況を見極めてどう進んでいくべきかを常に考える習慣がない選手では、この先成長していけないし長くプロ選手として生きていくことは難しいでしょう。ヤンツーさんのように「自分で考える」状況に追い込んで宿題をやらせてくれる先生ばかりではないのですから、宿題やったか?といちいち聞かれなくても自分でこつこつと勉強していく努力を怠ってはいけないはずなのです。
それはある程度経験を積んだ選手たちなら当然わかっていることでしょうが、若い選手たちはどこまで実感を伴って分かっているか心配で。
ほら、コンサの選手たちって、今まで自分の頭で考えることが苦手で、戦術理解度が低いと言われる人が多かったから・・・。こんな心配は余計なおせっかいだし、第一ここで書いてもどうにもなることじゃないんですけどね(笑)。

ぐだぐだ書いているうちに、いよいよ今年のキックオフイベントが始まります。今年のメンバーのお披露目、今年のユニ、今年の背番号。
楽しみー! 私にとっても今年初の札幌行きです。
どうぞよいシーズンになりますように。パン!パン!(←柏手を打つ音)

posted by あきっく |05:50 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(0) | トラックバック(0)

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