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2006年12月21日

風鈴火山の旗印

前編中編に続き、この話は妄想の産物ですから・・(以下略)

福蟻城を出立した魂娑藩の伊達討伐軍は、半月ほどの行軍の後に、仙台・湯明日田城を眼下に望む丘へ到着しました。
途中、蝦夷地から小船に乗って馳せ参じた武者どもが合流しましたが、長い船旅のせいか頬が痩せこけており、足元がおぼつかない様子に見えました。

城の周囲には伊達の友軍勢が堅固な陣を張っており、容易に城へ接近することもできません。
さすが、領内で金が産出する富裕な仙台藩の布陣かな・・と呟きながら遠眼鏡を城に向けてみると、伊達家の旗印ではなく、甲斐の武田家の旗印である「風林火山」の文字が目に飛び込んできて度肝を抜かれました。

そんな筈はないと、気を落ち着けてよく見れば、「風鈴火山」と記してありました。虎の威を借りて敵を欺く姑息な手段を用いているようです。
 

仙台藩では、かつて「舞乱目留」と呼ばれる品種の稲を栽培しておりましたが、この種は寒さには滅法強いものの、味が落ちることから評判が悪く、他藩に売却することは無理なので領内だけで消費しておりました。
近年、「笹西季」と名付けられた種の稲を採用し、新たに開発した「辺軽田」と呼ばれる作付け法を用いることにより、収量を大幅に増やすことが可能になった結果、一気に藩内の経済状況が好転したと聞いております。

藩士達の暮らし振りもたいそう豊かになり、楽をして安泰に生活できる水準にまで達したため、藩士達の間にも不満を抱く者がいないそうです。
従って、戦という手段を用いて覇権を競ったり領地を広げたりする必要は無く、武士でありながら戦そのものに嫌気がさしてしまう者が多くなるのも頷けます。
他藩との争い事が生じた場合には、巧みな交渉術や金銭で解決するのが仙台流の慣わしらしく、藩内では「銭は城、銭は石垣、銭は堀」が合言葉のように言い交わされているとか。

そうなると、城や砦は無用の長物と化してしまうので、固定資産の有効活用という観点から、戦をしたい藩に城を貸し出して賃貸料を徴収し、その収益で城の損傷部分を補修する仕組みを考え出しました。
賃貸の城を利用すれば、自前の城を持たない藩でも戦を構えることができ、自ら城を築くよりも賃借した方が安上がりに済むため、好戦派の諸藩からは有難られております。
月単位や旬単位で繰り返し借用する上得意の藩もあって、何年も先まで予約が詰まっている城もあります。

この仕組みを試行していた当初には、戦を見物しに来た者どもから見料を集める程度でしたが、次第に見世物化して商い事の対象に変わってきました。
昨今では、藩内の富豪な商人達を半ば強制的に戦場に招き寄せ、法外な観覧料を藩に献納させることが常態化しています。その見返りとして、見物に来る商人達が自家の宣伝を行うために、戦場に隣接した見晴らしの良い小山などに家紋入りの陣幕を張ることを黙認しています。

一体、どこが戦場でどこが見物席なのかも判別が難しい有様で、稀に敵陣と間違われて矢が飛んで来るという、笑えない体験もできるそうです。
用心深い見物人達は、身の安全のために煌びやかな鎧を着て花見弁当を広げる始末で、なおさら敵陣と間違えられる原因を作っているようにも見受けられます。まことに、金の亡者につける薬は有馬温泉。
 

おそらく、仙台陣の最前列に並んでいる「風鈴火山」の軍旗は、伊達家に金で雇われた武田の落ちこぼれ武者が掲げているに相違ありません。いくら落ちこぼれとは言っても、流石に「風林火山」の軍旗を掲げることは武田本家に憚られるのでしょう。「其喧如鈴」とは、よく考えたものです。
・・とすれば、戦陣を構えている軍団は、全て雇われ武者の寄せ集めなのでしょうか。もしそうだとすると、恐れるに足る武者達ではありません。大方は、食うにも事欠く百姓どもが、兵糧を与えられて胴丸を着ているだけなのでしょう。
 

魂娑藩の切り込み隊長である富貴氏は、福蟻城の戦で手傷を負って止むなく戦列を離れましたが、その後の傷の回復が思わしくないのか、湯明日田城へ向かう途中で故郷へ引き返してしまいました。
彼は切支丹大名の血筋を引く武者であるためか、年末に行われる栗栖神社の鱒際りの頃になると、役目を放り出して自宅で家族と共に過ごすことは毎度の慣わしであり、里心がついたとか仮病だとか囁かれたりもしますが、本人は一向に頓着しない様子です。

残る兵で頼りになりそうなのは中山小隊長と相川進之介くらいで、その他は狙撃兵の正也、伝令の謙伍郎、斥候の征八、お小姓の大伍郎くらいです。
いくら財前守による鍛錬の成果があったとしても、お小姓が一人前の戦力になるとは思えません。

縁起でもない話ながら、万一この戦に不覚を取るようなことがあれば、幕府からの恩賞を貰い損ねるどころか、湯明日田城の賃借料まで払わされる恐れもあります。参戦する道中で陣形を整えるために逗留した、磐城村での旅籠賃も踏み倒さざるを得ません。

(終編?へつづく)

posted by 雁来 萌 |23:23 | 雑念 | コメント(0) |

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